レイチェルとアランの旅
「アラン、いつになったら出発できるの!
もう王・王妃両陛下にも、ジャニアリー家への挨拶も終わり、ヘブラリー家にも手紙を出したわ。
ジューン領への土産も準備が終わったし、出発するだけよ。
早く行って、ダニエル様を助けてあげないと危なっかしいのよ!」
ジュライ家の屋敷をレイチェルの苛立った声が響く。
レイチェルは、ジャニアリー家への挨拶の後、ヘブラリー家へも挨拶に行くと言い出し、アランは、止めるのに大変な思いをした。
しかし、姉は、「形ばかりとは言え、妻の立場の人に一言挨拶するのは当然でしょう。」と、挨拶は行かないまでも手紙を出していた。
「今後、ダニエル様のお世話は私がしますので、ご心配無きよう〜」という内容の手紙を読んだジーナは、あんな粗野な男にも相手が出来て良かったじゃないと一顧だにせず捨て、両親にも見せなかった。
反対も抗議も無かったため、レイチェルはヘブラリー家からダニエルとの仲の黙認を得たと解釈し、親族や友人の貴族令嬢にも話している。
一部に眉を顰める人もいたが、諸侯の愛妾はよくあること、むしろ王や王妃の祝いもあり、貴族社会ではレイチェルの立場は正式な妻でなくともそれに準ずるものとして暗黙の了解を得た形になっている。
後ほどこのことを知ったヘブラリー家は強く後悔することとなる。
宮廷と親族に対処し、あとダニエルとレイチェルの関係に横槍を入れてきそうなのは教会であるが、流石にここばかりはレイチェルも手が出せず、様子見である。
「姉さん、何度も言うけど、女連れで大荷物で王都を出るには相当な護衛が必要なんだよ。今探しているので、もう少し待ってください。
そもそもダニエル様が迎えに来ると言ってるんだから、それを待てばいいと思うんだけど。」
「それでは遅いのよ!」
アランは何度か繰り返したやり取りを、疲れた声で応じる。
この頭脳明晰な姉が同じことを言わせるのはめったにない、それだけ早く領地に向かわねばという思いが強いようだ。
ダニエルは騎士に珍しく筆記や計数に優れている。これは騎士団長の書記をやらされ、騎士団の兵站も担当させられたからであるが、そのためレイチェルの求める、内容がある文書を書けた。
その書簡はそれなりの頻度で来ており、彼が急ピッチで異例の領内の統治態勢を整えつつあることが、逆に姉の苛立ちを増す要因のようだった。
レイチェルは、ジューン領やその周辺の土地について、地形から産物、人口などを、財務部等の王政府の資料や出入りの商人、芸人から聞き取り、秩序だった領内統治ができるよう政策を立案していた。
ダニエルは通常の領主教育を受けておらず、騎士団で身に着けた考え、即ち、最も合理的に、また民衆を差別なく護民するという原則に基づき判断していた。
そのため、これまでの慣例や風習に囚われない施策を次々と講じている。
例えば、領都と居城の建設に費やす膨大な費用や労力を道路や水運の交通網整備に使うことや、居城や砦への守備兵の配置でなく、見張り台と兵舎を騎兵や狼煙でつなぎ、攻勢防御による領地防衛を、これまでの騎士団での経験を踏まえ、仲間たちと相談して作り上げた。
平地の多いジューン領では立て籠もるより打って出たほうが良いとの判断である。
また、ギルド廃止による商人や手工業者の自由競争は、交通網の整備や山賊の一掃と相まってジューン領のことは多くの商工業者の評判となっている。
更に、賤民蔑視の廃止、異教徒の受け入れ、魔女との疑いを持たれた者の受け入れにも踏み込み、良くも悪くもジューン領は南部地方一番の活気を生んでいる。
その反面、保守派や頑なな信者の流出、アウトロー、爪弾き者の流入、市場の混乱など問題も多発したが、最大の問題は資金・人材の不足と、伝統的宗派のイオ宗からの圧力である。
攻勢防御と言えば聞こえはいいが、そのための部隊編成や兵士数は拠点防御よりも遥かに負担が重い。
また、賤民や異教徒の受け入れには国内最大の宗派であるイオ宗派が抗議文を送りつけてきた。
ダニエルから、こういう政策を始めた等の手紙が届くと(普通の領主は政策について妻に知らせることなどしないが、ダニエルはアランの忠告もあり、レイチェルに政策の報連相をすることとしていた)、それを読みながら、「そうじゃないでしょう、ど素人なの!」とイライラした声で独り言を言うのを聞く。
ダニエルは兎に角、レイチェルを向かえ入れる前に、一通りの体制を整えようと急いでいるのが、政を最初から参画、いや主導したいレイチェルの意図とは逆になっている。
(困ったな。どう収めればよいか。)
アランが姉夫婦の関係に悩みながら、財務部に出勤していると、アレンビー子爵が軍役奉仕を終え、王政府に帰領の挨拶にやってきた。
「君は、ダニエルの義弟となるアラン君だね。僕はダニエルと騎士団で同僚で、領地が隣接するアレクサンダー・アレンビーだ。以後、よろしく。」
如才なく挨拶する子爵に応えながら、アランは閃いた。
(隣接する領地に帰るのなら連れて行って貰えば良いじゃないか!)
「アレンビー子爵様、恐縮ですが、お願いがございます。」
アランは早速事情を話し、ジューン領へ同行させて欲しい旨を懇願する。
「いいとも。
領主夫人に恩を売っておくのも後々良さそうだ。
それに帰領に際しての下賜金も色をつけて早く払ってもらえるだろうしな。」
アレンビー子爵は、ニコニコしながら腹黒いことを言ってきた。
「勿論です。」
王都から領地に帰るに際して、その働きに応じて、王から金銭、物品などが下賜される。財務部の所管なので、多少の融通が効くことを言っていた。
アランはこういう役得めいたことは嫌いだったが、背に腹は変えられない。
ため息をつきながら、応諾した。
帰宅し、レイチェルに話すと、良くやったわと珍しくお褒めの言葉をもらった。
ただし、時間がない。多少猶予をもらったが、3日後には子爵は出発するので、それまでに準備を整えねばならない。
アランがそのことを言うと、姉は、既にいつでも出発できる、それよりアランの準備はどうなのと聞かれた。
「僕も行くの?」
「当然でしょう。私の結婚式を挙げるのよ。唯一の家族が来なくてどうするの?」
アランはそれから役所の休暇を取り、旅装を整え、大忙しだった。
出発当日、レイチェルとアランは従者を連れ、馬車で集合場所の王都の門に着くと、アレンビー子爵とその手勢が待っていた。
「よろしくお願いします。」
レイチェルの挨拶に、アランビー子爵は、「いや、高名な財務部の賢女に頼み事をされるとはなかなか無いこと。
今後のお返しを期待して、丁寧に護衛させてもらうよ。これから隣人としてよろしく」と、これは貸しだと暗に告げる。
「もちろんです。アレンビー家のどなたかが王都に向かう時に、主人のダニエルに同じ予定があれば喜んで護衛いたしますわ。」
レイチェルは同じことしか返さないと言い返し、アランには目に見えない火花が見えた。
「これは厳しい奥方がきたものだ。頼み事はダニエルにした方がよさそうだ。」
苦笑いしながら、アレンビー子爵は馬に乗り、出発する。
ふと周りを見ると、多数の雑多な民衆が後ろから付いてくる。
「あれは?」
休憩時にレイチェルが聞くと、王都から南部に向かう人々とのことだ。
「王都を外に出れば、山賊や狼などがうようよいる。護衛を頼めない行商人や家族に会いに行く人などはこうやって領主や軍隊に合わせて出発するわけだ。
今回は異教徒や異民族が多い。ダニエルの受け入れ施策が早速知られていることに加え、伝統宗派のイオ派が異教徒はもちろん異宗派にも厳しい弾圧を始めて、住むところを追われているようだ。」
エーリス王国は国教のC教であれば、宗派は自由だが、歴史的に国家護持を教義とし、貴族を信者の対象とするイオ宗が優越して王や貴族の崇敬を受け、大きな力を持ってきた。
しかし、長年の栄華は腐敗を生み、その本山グラスゴーは、王都の北の要衝にあることを活かし、貴族からの多額の寄付に加え関所税や貸金業まで営み、膨大な富を蓄え、僧侶は戒律を無視し、貴族以上の豪奢な暮らしをしているという。
その堕落に反発した中下層の貴族や領主は、新興の宗派であるエウロパ宗への帰依を選ぶ者が増加している。
エウロパ宗は、東方から新たに伝わった瞑想を重視する宗派であるが、それにとどまらず、東方の先進的な文化、科学、経営など多面的な知識を有し、若い貴族には非常に魅力的であった。
王もエウロパ宗の僧侶を重用し、政治・経済・文化に意見を聞き、東方への貿易使節も任せている。
更に、財力・武力を持ち、貴族派と密接な関係だったイオ宗の牽制のため、五院というエウロパ宗のための修道院を建設し、権威を高めている。
その対抗のため、イオ宗は、異教徒や異宗派の締め付けの他、既得権益を守るため、頻繁に強訴を行うなど、王都周辺は緊張感を増していた。
更に、僧侶の妻帯肉食を許し、祈るだけで良いという易業で民衆を対象に布教を行うガニメデ宗も急速に勢力を伸ばし、宗派争いが激しくなる中、これまで共存してきたJ教徒や音楽などで放浪する民族ロテへの迫害が高まっていた。
王都を出たことがなく、机上で知識を得たレイチェルには知らないことばかりだった。
ちなみにジュライ家もアレンビー家も実利派らしくエウロパ宗である。
(頭だけでは机上の空論になるわ。領土の統治には現場で一から学ばないと。)とレイチェルは考える。
さて、ジューン領の手前にアレンビー領がある。子爵の誘いで姉弟は子爵館に泊めてもらうこととした。
(何か怪しいなあ。あの腹黒の二人が何を企んでいるのか。
あれだけ急いでいた姉がここで一日滞在するのもおかしい。)
姉で苦労を重ねたアランのレーダーが暗雲を知らせるが、
夕食時に子爵夫妻とアランより少し年下の可愛らしい女の子が現れる。
「妹のエリーゼだ。」とアレンビー子爵が紹介する。
夕食は和やかに行われた。
食事自体は王宮ほど洗練されていなかったが、十分に美味であり、会話もレイチェルとアレンビー夫妻は領地経営や王都情勢などを熱心に話し込み、アランはエリーゼと王都の流行や自分の仕事について話をする。
エリーゼは聞き上手であり、アランは話のテンポもあい、会話を楽しんだ。
部屋に下がると、レイチェルはアランに切り出した。
「エリーゼさん、いい娘だと思わない?」
「そうだね。可愛らしいし、頭の回転も早く、気立ても良さそうだ。話していて気持ちのいい女の子だね。」
「それは良かった。あの娘と婚約しなさい。」
「えー、それは突然過ぎない?」
「アレンビー子爵とは話はついているわ。今、子爵がエリーゼさんと話しているはずよ。向こうも良ければ、これで話を纏めるわ。」
「姉さん、ちょっと待ってよ。少し考えさせて。」
レイチェルは怖い眼でアランを見つめる。
「あなたが破談となった元の婚約者と密かに会っていることは知っているのよ。私がいなくなれば結婚するつもりかもしれないけれど、それは駄目。
あの家は一度は我が家を見捨てた上、グレイ宰相の失脚後、降格され、もう力がないのよ。それであなたに頼っているのかもしれない。」
「姉さん、そんなことはないよ。ロキシーは純粋に僕を愛してくれているんだ。」
「そう。だから何?
何度も言うけど我が家は貴族で、貴方は当主よ。
貴族が愛で結婚しようとして大失敗した例を目の前で見てるわよね。」
冷たくレイチェルは言い放つ。
「だからといって、あなたに無理な結婚を押し付ける気はないわ。
ただ、アレンビー子爵は若手の有望株で、ダニエル様の友人兼隣接領主。
エリーゼとの結婚はジューン家のためにもなるし、領主の親族がいればジュライ家を侮ることはできない。家としてはとてもいい話なのよ。
しばらく婚約期間をおいてお付き合いしてみればどうかしら。」
事実上の命令だった。
アランは理の通った姉の言葉に反対できなかった。
「アランには悪かったけど、ロキシーさんには、私から、一度アランとは大きく道を違えた以上、今後会うのは止めるように言ったわ。」
「わかったよ。姉さんが正しい。」
項垂れたアランは力なくそう答えた。
「それからね、子爵の話だとエリーゼさんは、一見可愛らしい令嬢だけど、詰めの甘いあなたを十分に補佐できるぐらい、締めるところは締めるらしいわ。
これで安心して嫁げるわ。」
レイチェルの笑顔と裏腹に、その言葉は、ようやく姉がいなくなって羽が伸ばせると思っていたアランをがっかりさせるに十分だった。
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