ジャニアリー伯爵の苦悩

 王都の館で、ジャニアリー伯爵は国元からの手紙を読んでいた。

 すでに、メイ侯爵に勝利した知らせは、早馬で受け取っている。

 何かと思えば、凱旋して立ち寄ったダニエルを居城の家臣が冷遇し、怒らせたとのことだった。


「馬鹿者が!」

伯爵は吐き捨てるように言う。


 兵の賞罰はダニエルの言うようにして伯爵名で行なえば良く、領地を救ってくれた貴族へのもてなしなど当然のことではないか。


 思えばダニエルの処遇については幼い頃から揉め続きだった。


 伯爵の結婚はもちろん政略結婚であり、メイ侯爵からの執拗な侵略に対する王政府からのバックアップを得るため、宮廷貴族の高官の娘を妻に迎えた。


 彼女は美しく、また良き妻たらんと努力してくれたし、伯爵も愛情を持ち、嫡子も授かった。円滑な結婚生活を営んでいたときに、次男のダニエルが誕生した。


 領主貴族の次男には、長男のスペア、また長じては当主代理や主家の重臣として当主を支える役割が期待される。

 反面、長男の潜在的な競争相手ともなり、バランスが難しい。


 一人っ子だった伯爵は、しばしば他所の当主の弟が当主を助けて、代理として軍を指揮し、王政府に出仕する姿を見て、羨ましく、自分の子供もこうあってほしいと思っていた。


 しかし、宮廷貴族で育った妻は異なる考えだったようだ。


 領主貴族は、領内統治、外交、軍事多方面に活動し、また開拓や侵攻により領地の拡大も可能であることから、当主以外の兄弟にも活躍の場や与える領地があるのに対し、宮廷のポストは唯一つであり、当主以外の子供は家を出て養子に行くしか貴族として生きる道はない。


 そのため、宮廷貴族は嫡子と次男以下を厳しく峻別する。

 とりわけ夫人の実家は兄弟抗争が激しかったため、伯爵夫人は当然のようにポールとダニエルに厳しく差をつけた。それに容貌に優れ、礼儀作法を身に着けた長男が特にお気に入りだったということもあった。


 子供たちが幼い頃、伯爵はメイ侯爵との戦い、王政府への出仕、領内見回り等で不在が多く、更に居城に戻っても第一家老との権力闘争や内政に追われていた。


 王都で育った妻は領主の政治がわからないので、そちらでは当てにできないが、家政のことは大丈夫だろうと任せっぱなしだった。


 ある日、居城に帰った伯爵は、幼いダニエルが廊下の隅で泣きじゃくっているのを見かけた。


「ダニエル、どうした?」

乳母もつかず一人で放置されている我が子に不審に思い、声をかける。


 泣きながら話す言葉を聞くと、兄が食べているお菓子を欲しがったところ、お前は世継ぎでないからと与えられず、身の程を知れと叱責されたことに泣くと、物わかりが悪いとご飯も抜かれ、廊下に追い出されたという。


 よく見ると、服も粗末なものを与えられ、顔や身体も叩かれた跡が腫れている。ダニエルの扱いに抗議した乳母は居城を追い出されたらしい。


「お父様、ボク、お城にいるの嫌だ。バーバラのところに帰りたい。」


 必死で訴える我が子を哀れに思い、伯爵は夫人にどういうことか尋ねると、長男と次男の扱いに差をつけるのは当然でしょうと返された。

 その一方、その下の妹は唯一の女の子と溺愛されている。

ダニエルが自分の扱いに不満を持つのは当然だった。


 伯爵は、少なくとも子供の頃は兄弟を等しく扱うよう厳しく注意したが、その後も、気をつけてみるとダニエルだけ疎外されていることをよく見かけた。


 いっそ外に出した方が良いかと、騎士団に小姓として預けることにする。

夫人も、誰が家を継ぐのかはっきりすると賛成した。


 以後、長期休暇のときなどにダニエルは帰ってくるが、夫人やポール、その取り巻きからの冷遇は続き、ポールが大きくなるに従い、それが城の家臣全体の風潮となった。


 それに応じ、ダニエルの帰省の頻度も減り、騎士になってからはほとんど帰らず、帰っても乳母宅に寄るぐらいである。


 この状況に伯爵は心を痛めるとともに、ダニエルの武勇が秀でていることからジャニアリー家の軍事面の支柱としたいと考え、夫人やポールに、ダニエルを大事にするよう諭すが、ダニエルを潜在的な競争相手と見做す彼らは態度を変えなかった。


 せめて自分だけはと、王都に寄った際はダニエルに会いに行き、騎士の装備や軍馬に必要な資金を援助するが、もはや兄弟仲の改善は諦め、それぞれで生きていくようにしてやろうと考えていたところに、ダニエルのヘブラリー家への婿入り以来の騒動である。


(自分がもっとしっかりと家のことを見ているべきだったか。

しかし、こんなことになるとは・・・)


 国元からの使者に家臣団の様子を聞く。


「従士長以下の従士や兵、民からはダニエル様を次の主君にと望む声が圧倒的です。

 特に、ダニエル様が、騎士団に対して、手を出すな、自分の手で十分と言い切ったことを聞き、頼りになる方と皆口々に申しています。

 一方、上層部や城内の家臣、奥向きではポール様を推す声が強いです。」


 クリスのプロパガンダは予想以上に広がり、ダニエルの名声を上げていた。


 使者は話を続ける。


「両派はもはや一触即発の状態。

 ダニエル派は伯爵様はともかく、世子様には姿も見せず大事に頼りにならぬ方だと悪評を立てております。

 伯爵様には事態を収めるため一刻も早くお戻りください。」


「それはわかっているのだが・・」

伯爵が煮え切らないのには訳がある。


 血の婚礼事件後、伯爵はボールや関係者から真相を確認し青くなった。

 直ちに王に会見し、謝罪を行った際、王からは、今回は不問とするが、ダニエルの生家だからだ、世継ぎを間違えるなと強く牽制されていた。


(もはやダニエルを後継ぎとするしか、我が家が生き残る道はない。

 しかし、ポールを後継者とすることでこれまでの体制を作ってきたため、急激な転換にどこまで家族や家臣が対応できるか。


 家の利益のためなら肉親を平気で切り捨てるセプテンバー辺境伯やオクトーバー伯爵なら直ちにポールとその一党を処分し、悩みもしないだろうが・・)


 ジャニアリー伯爵は子煩悩な普通人であったため、家の安泰と子供の幸せの両立を願い、ダニエルを世子とした時のポールの行き先を懸命に探していた。


 王が広めた唄により、ポールが叛乱者の一味であることは秘匿されたが、その代わりに、弟を助けに行き、逆に賊に一撃で倒されたという間抜けな役を与えられている。


 そんなポールを、多額の持参金付きでも婿又は養子に迎えても良いという貴族はもはや王都近辺では見つけられなかった。

 王都の噂も入らない、僻地の貧乏男爵への婿入りを交渉しているところである。


 出来るだけ早く領地に戻るので、それまで両派を抑えるよう、家老と従士長への手紙を持たせて、使者を帰す。


 側近に聞くと、ポールは事件後、潰された鼻の修復とダニエルへの復讐の話しかしないと言う。


 妻は、ポールの傷ついた顔を見て泣き出し、こちらもダニエルへの怨嗟を吐き続けている。


 ため息をつく伯爵へ、ヘブラリー家からの書簡が届く。

 内容は、娘のジーナを元通りにポールと一緒にし、ジャニアリー伯爵夫人にできないかという相談である。


(今更なことだ。こんなことを言うとは、ヘブラリー殿もよほど困っているようだ。まあ、そこまで好き合っているなら田舎で2人でひっそりと暮らすことはありか。

 しかし、ダニエルも形だけの妻では統治も家政も不自由であろう。

家臣の娘で気の利いたものを側につければ、今後のジャニアリー領の統治にも役立つかもしれん。)


 まず伯爵は、ヘブラリー家宛に、ポールを世継ぎから外し、田舎の下級貴族として生きさせるつもりであること、ジーナにそのつもりがあるなら両家でカネを出し、夫婦養子の権利を買うこともできると返事を書く。


 いずれにしても、後継の交代をスムーズに行うまでは、まだ頑張らなければと、最近めっきりと老いた伯爵は己を激励する。


 妻とポールに引導を渡した後、領地に帰ってどうダニエルへ円滑に引き継ぐ体制を作るか、ダニエルにつける娘を誰にするかと考えていた伯爵に、客が来たと執事が知らせる。


「ジュライ家のレイチェル嬢?ジュライ家と言えば財務部の高官だな。

何の用だ。今は忙しいのだが。」


「緊急にお会いしたい用件があるとのことです。」


 やむなく会うこととし、入ってきた娘を見ると、美人と言えなくもないが、それよりも理知的で意志の強そうな眼が印象的である。


「初めてお目にかかります。急にご面会をお願いしたのは他でもありません。」

レイチェルの話は驚くものだった。


 なんとダニエルは、既にジーナと別に、実質的な妻とすることをレイチェルと約束しているという。また、王家も認めていると言い、レイチェルは王妃から結婚祝いに頂いたという王家紋章入の鏡を見せる。


(なんと、あの奥手のダニエルにしては手が早い。

おそらくはこの娘に押し切られたか。)


「そういう訳で、まもなくダニエル様のいるジューン領に向かうため、その前にお義父様にご挨拶に参りました。

 私は既に父を亡くしており、お義父様を本当の父と思い、お仕えさせていただきます。」

というと、伯爵好みの酒や美術品などを贈る。


 そう言われれば、伯爵も悪い気はしない。

(思えばジーナからこんな言葉やブレゼントを貰ったことがない。

これはしっかりしていていい嫁てはないか。)


 更にレイチェルは、お義母様にも挨拶したいという。

 伯爵は止めたが、レイチェルは、事情はダニエル様から聞いておりますとサラッと笑って、奥の部屋に入る。


 ちょうど折悪しく、妹のアリスが来て、ダニエルの悪口を言っていたところであった。


 伯爵はどうなるかとハラハラしていたが、はじめは妻と娘の大きな罵声が聞こえたものの、まもなく落ち着き、しばらくすると笑い声や懇願するような声も聞こえた。


(どうなっているんだ?)


 帰ろうとするレイチェルを、妻と娘が見送りに出て、これからよろしくお願いしますねなどと言うのを聞き、狐につつまれたような気持ちになった伯爵は、レイチェルを小部屋に連れ出し、どうしたのかを尋ねる。


「お義母様も義理妹さんも、誠心誠意お話すれば心は通じましたわ。」


 何を綺麗事を言っているのかと、詳しく聞くと、王宮や貴族女性の間で、ダニエルの評価が急上昇する一方、結婚式の客の前で大喧嘩をした母親や妹の悪評が大きくなっていると脅し、自分なら貴族女性の会や王妃を通じて助けられることやダニエルからの援助も検討することを匂わせ、いきなりマウントを獲ったようだった。


(これは頼もしいのか、恐ろしいのか。

領主の妻としては、自分の妻の遥か上を行くことは確かだ。

今後はダニエル以上にこの嫁とよく相談すべきだな。)


 伯爵は丁寧にダニエルと領地のことをレイチェルに頼んだ。


 その頃、ダニエルは、ジューン領の内政と兵の編成に忙しい一方、夜はイザベラが連れてきたヘブラリー侍女の夜襲に困り果てていた。


 隙あらばダニエルに近づき、既成事実を作ることを狙ってくる。

 これまでモテなかったダニエルは嬉しいことは嬉しいが、レイチェルからの手紙に、早くそちらに参りたい、それまで統治方針を決めるな、浮気をするなと見透かされたようなことが書かれていると、後が怖ろしい。


 領地視察の外泊時に、旅館のベッドに潜り込んでいた侍女にも手を出さず、「貴方はよっぽど度胸のないかたですね。」と呆れられてしまう。


 しかし、手を出した後のことを考えると、ここは我慢だと自分に言い聞かせるが、領主になっても我慢は変わらないとダニエルは少し悲しくなった。





 







 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る