レイチェルの想いとその行動

 その日の朝、レイチェルはいつも通りに過ごしていたが、内心は穏やかではなかった。

 ダニエルは、結婚式の日に起こることを知っているようだったが、何度か遠回しに尋ねても何も話してくれなかった。


(私は信用されていない。)

レイチェルはそう感じる。


 内縁でもよいので妻になりたいというレイチェルの言葉に、ダニエルは表面では歓迎するように応じているが、一歩踏み込むと、内情も内心も語らず心を許していない。


 レイチェルは、子供の頃から、貴族の女性が習うべき家政や礼儀作法なども人並みに修得したが、それよりも歴史や経営を学ぶことが好きだった。


 長じて、財務部の高官であった父が病を得てからは、その仕事の多くを担い、国の財政や徴税にも精通し、父や伯父からは「お前が男であれば・・・」と嘆かれるほどであった。


 しかし、このまま、幼い頃に決められていた法衣貴族の婚約者に嫁げば、家政の他は、夜会や噂話ぐらいしか楽しみの無い退屈な暮らしとなってしまう。


 レイチェルも女性が王政府で政策面で働くことは難しい(女性が働くのであれば女官として後宮で働くのが普通)のは理解していた。


 しかし、諸侯や領主の妻であれば、夫とともに領地経営に携わり、子が幼い時には実質的に領主となっている場合もあるし、戦すら指揮し、男勝りの女傑として名を馳せた女諸侯もいる。


 レイチェルは自分も彼女達のように統治に腕を振るいたいと思うが、王政府の高官の娘とは言え、所詮は中級の法衣貴族の娘が諸侯の妻になるチャンスなどまず無い。


 レイチェルが、ジュライ家のお家騒動でダニエルと出会った時はそんな状況で彼女が悶々としている頃であった。


 当初、マーチ侯爵に孫婿と紹介され、縁がないと思ったが、宮廷や貴族令嬢達の噂では、彼は婚約者のジーナから嫌われており、またジャニアリー家から持参金代わりに子爵の家名と領土を与えられることを知り、希望を見出した。


 同時に、ダニエルと何度か会い、人となりに触れる中で、彼の素朴で素直な性格、騎士団育ちから来る政治的な知見の欠如がわかり、自分と能力的に相補え、相性も良さそうではないかと考える。


(両爵授爵か。無いことはないけど、よほど夫婦で緊密に連携しないと、離れた領地の経営は難しいわ。

 噂に聞く様子では、ジーナさんはジューン子爵家を差配する気はないでしょう。


 ならば誰か子爵家の家政を見て、領主不在時の代役を果たす女主人が必要よ。

 ダニエルさんは親しい女性も居らず、家族が紹介する様子もないのであれば、放っておけば、地元の有力者の娘がその地位に座るでしょう。

 その前に私が入る余地はある!)


 弟のアランからは、以前の婚約者でなくとも、ジュライ家の格に釣り合う家にちゃんと嫁入りして欲しいと頼まれるが、実質的な諸侯の妻になれるなら、形式的に正式な妻と認められないことなど問題ない。


 ただ、法にも実家の力にも頼れないレイチェルが、ダニエルの実質的な妻になり、ジューン子爵領を差配するためには、彼の愛情や信頼が必要だ。そうでなければ、いつでも捨てられる単なる妾になってしまう。


 しかし、ダニエルの信頼や愛情を得る術が見つからない。


 レイチェルがアランを相手に、ダニエルが腹を割って話をしてくれないと愚痴をこぼすと、アランはこう返してきた。


「それはそうだと思うよ。


 僕たちはダニエルさんに助けてもらい、彼に恩もあり、信用できると思うけど、ダニエルさんにしてみれば、僕たちに頼まれてマーチ侯爵に叱責されただけだからね。


 姉さんが日陰者でいいから妻にしてと言っても、また利用しようと考えているのか疑っているんじゃない。

口ではなく、何か行動して信用を得ないと駄目なんじゃないかな。」


 更に、姉さんのキツい本性を見抜いて敬遠しているんじゃない、もう普通に法衣貴族に嫁入りすればいいと余計な事を言う弟の頭を軽く叩きながら、ダニエルはレイチェル個人というより女性を避けている気がした。


 よく見ないと判らないが、ダニエルはレイチェルよりもアランに対して親しげに接している感じがするのだ。


(まさか同性が好きということは無いわよね。)

と思いながら、ダニエルの育ちを式部官の伯父に聞いてみると、家庭内で母親や兄妹から酷い扱いをされていたらしい。


(騎士団で男の友情は作れても、女とは縁がなかった。

女が嫌いなのか苦手なのかかしらね~)


 アランの知人の騎士団員によると、ダニエルは夜の街に繰り出し、女性のいる店で遊ぶのは好きらしいので、女嫌いではなく、貴族の女が嫌なのだろう。


(うーん、どうすればダニエルさんの心を掴まえられるかしら。


騎士同士なら戦場で命を預あうとか言うけど、女嫌いに色仕掛というのも違うわよね。そもそも私に出来そうにないわ・・・)


 レイチェルが見るところ、ダニエルの大切にしているのは、仲間や自分の居場所である。

 ジュライ家の危機で助けてくれたのも、家を守るべくレイチェルが必死になっている姿に心打たれるところがあったようだ。


 おそらく幼少期から跡継ぎのスペアとして、家族・家臣からいずれは居なくなる者として扱われ、次に入った騎士団に擬似家族的なものを見出したものの、そこも終の住処にはなり得ず、常に自分の居場所を求めていたのだろう。


 そして、ようやく手に入れたと思った婚家では、婚約者から裏切られ、今のダニエルの寄るべき場所は、父から分け与えられたジューン子爵領と乳兄弟・騎士団仲間だけである。


(ようやく手に入りそうな自分の居場所が子爵家とそこの仲間たちなのかしら?

 そこを共有したいと思っている私を本能的に警戒しているのか?

 オマケに母親たちのイジメで貴族女性の不信も加わっているのがまた厄介だわ。


 でも、私も彼と一緒に家を創っていきたい、彼の役に立ちたいし、私の知見や人脈は役に立つはず。でも、それをわかってもらうのが難しい。)


 領地経営の本を読むのを中断して、レイチェルは歩きながら、考える。


 そこに従姉妹の女の子が置き忘れた本が置かれていた。


 手に取ると、今王都で流行っている、騎士と貴族の姫君が障害を乗り越えて純愛を貫くという物語や、仇敵同士の貴族の貴公子と令嬢が死んでも愛を守るというお話である。

 平和が続く中、こんな物語が流行し、貴族の子弟でも恋愛結婚への憧れが増えていると聞くが、レイチェルには絵空事に思える。


(ジーナさんも、貴族ならばそんな自由がないことくらいわからないかな。

現実に無いから物語になるのよ。


 私達が小さいときから衣食に不自由したことなく、侍女に奉仕されて、色々と教育を受けてきてのは何故なの?


 貴族は家の存続・利害が第一。その為に大事に育てられたのでしょう。

自由恋愛したければ、せめて跡継ぎを産んで、夫の了解を貰ってからじゃない。


 そもそも一目惚れってどれだけ続くのかしらね。

 生理的に無理と言うんじゃなければ、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよって言うじゃない。

 一緒に仕事し、生活する中で愛情も育ってゆくと思うけどな~。)


 名案は出てこずに、思考がフラフラする。


 今日のダニエルとジーナの結婚式で、宰相派が何か仕掛けてきた時に、ダニエルが失脚しても困るが、上手く対処して名を上げたり、ジーナとの不仲か明らかになったら、それこそ諸侯や上級貴族の次女、三女の売り込みがあるかもしれない。

 それも実家の力が無いレイチェルには困る事態になる。


 その時、貴族住宅街に近い西の広場から大きな音が聞こえる。

兵の喚声や矢を放つ音のようだ。


(ダニエルさんの結婚式の関係に違いない。)

 レイチェルは、アランと執事や従僕を連れ、広場に近づくと、既に多くの見物人がいる。


 広場では、ダニエルの兵と傭兵らしき集団が戦っていたが、傭兵は馬車の車体らしきものを集中的に襲っているが、そこを狙われ次々と斃されている。


(あの車体の中にダニエルさんがいると思っているのね。でも、あのチェーンメイルを着けた人が彼じゃないのかしら。)


 カケフ・オカダと名乗る二人の騎士が、鬼神のように傭兵を殺戮し、見る間に数を減らしていく。


(このままではダニエルさんの武名を上げて終わりだけど、流石にミラー男爵は第二弾を考えているでしょう?)


と思ううちに、驚いたことにミラー男爵は、多数の衛士を戦闘に投入し、更に誰か血塗れになっている男がダニエルのことを特定し、ダニエル方は一時劣勢になった。


 その後、ダニエル達が車体に籠城するのを見ていると、どうも中のダニエルから見られた気がした。


 アランも気づいた様子で、「姉さん、僕達はこんなところで見物しているんじゃなく、助けに行かないと駄目なんじゃない?」と言う。

 

 「そうね。アラン、ところで、こんな大騒ぎなのに騎士団が来ないのは何故だと思う?


 恐らく宰相は、法務部を総動員してもダニエルさんを殺すまで、騎士団の出動を止めるつもりよ。

 ならば、私達はその裏を掻いて彼に援軍を出しましょう。」


 そして、一度屋敷に帰り、アランと執事に、いつも居酒屋などに屯する非番の騎士を何人か見つけること、王政府で使っている馬借を集めること、騎士団の旗を持ってくることを指示し、自分は、付き合いのある縁者の従僕を集めるとともに、領主貴族から嫁いだ祖母伝来の女性用甲冑をつける。


 そして、アランと執事が、クリスと3人の騎士を連れて戻る。


「姉さん、クリスさんがちょうど宮廷から出てくるのと会ったので、騎士を探してもらって、騎士団の旗も持って来てもらったよ。」


「お嬢様、言われたとおり、緊急の用だと馬借を30人ほど集めました。」

アランと執事が言う。


「レイチェル様、アラン様の頼みでコチラに参りましたが、私は一刻も早くダニエル様のところに行かなければならないのですが。」

クリスが怒った顔で言う。


 クリスは、衛士の誰何を何度も受けながら、ようやく宮廷を出たところを、まずミラー男爵執事のバビーに捕まる。


「クリスさん、ようやく見つけました。

 言われた通り、朝一番で、メイ侯爵には、計画は成功、直ちに侵攻せよと使いを出しましたよ。


 さっき広場を見てきましたが、ダニエルの旦那、大丈夫ですか?

 ミラーの野郎、貴族を衛士に攻撃させるなんてどうかしてますね。アイツはもうお仕舞だな。

 あたしは、ミラーの貯めてた金を全部持ってトンズラさせてもらいます。


 それと、約束のミラーの手紙はこれです。

アイツが追いかけてこないように、これを証拠に失脚させて下さいね。」

バビーは手紙を渡すと逃げるように行ってしまう。


 ダニエルの領地に匿ってもらいたいと言っていたが、戦況が危ないと見て別の場所に逃げるようだ。


 見送ったクリスは、今度こそと戦場に向かおうとするが、今度はアランに捕まり、騎士の捜索や旗の入手をさせられ、非常に焦りを感じていた。


「左様。我等はダニエルとオカダに頼まれ、彼らの行列の護衛に参らねばならない。如何なる理由でコチラに連れてきたのか?」

 3人の騎士がこちらも憤懣やる方なしという顔で言う。


 この騎士たちはオカダに頼まれ、行列周辺にいて、何かあれば援軍で駆けつけることになっていたが、行列を待つうちに、一杯引っ掛けようということになり、そのまま呑み続け、音を聞いて慌てて駆けつけるところをクリスとアランに捕まったのだ。


彼らの焦る顔を見ながらレイチェルは話す。


「皆さんに来てもらったのは他でもありません。ダニエル様と部下の方々は今傭兵団に加え、多数の衛士に攻撃され苦境に陥っています。


 宰相閣下は騎士団を足止めしつつ、自分の掌握する法務部の力を使い、ダニエル様を抹殺し、その後、騎士団に攻撃を掛け、クーデターを起こすつもりです。


 数人の騎士が赴いても大勢は変わりませんが、騎士団が足止めを抜け出し、出動したとなればその目論見が崩れ、攻撃している衛士の士気は崩壊するでしょう。

 戦況を逆転するのに皆さんのお力を貸してください。」


レイチェルの熱弁に押され、騎士達は頷くものの、一人が尋ねた。


「こんなことを企むのは貴女も危険だと思うが、何で貴女はこんなことするんだ?」


「ダニエル様に借りた恩を返すのと、彼の本当の妻となるためですわ。」


レイチェルの答えに騎士達は大笑いする。


「あの堅物のダニエルに、こんな浮いた話があったとはな。」

「騎士団にいい土産話ができた!」

「ダニエルの嫁の為に頑張るか!」


 騎士団の危機やクーデターより、この話の方がよほど騎士には士気高揚になるらしい。


 レイチェルにはさっぱりわからなかったが、彼らがやる気になったのはいいことだ。


「では参ります!


クリスさん、先頭に立って騎士団の旗を掲げて下さい。

騎士の皆さんはその後、馬を揃えて突撃してください。


私とアランは鎧兜を着て騎士に見せかけ、後ろを着いていきます。

その後に、我が家と借りてきた従僕、更に馬借の皆さん。

これだけの馬と人の数が有れば、騎士団が来たと思うでしょう。


皆さん、馬の足音は大きくして、喚声も大きく叫んでください!!」


そして、レイチェルの作った軍団は、戦いの続いている広場に駆け出してゆく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る