長い一日の始まり
遅くまでダニエルはあれこれと頭でシミュレーションし、ようやく寝入った頃にクリスに起こされた。まだ空は明けたばかりだが、今日は忙しい。
前日に用意した朝食を摂りながら、クリスと段取りを打ち合わせる。
ダニエルはふと気になって尋ねた。
「クリス、イザベラとは上手くやっているか?」
イザベラはあれから約束を守り、クリスを通じてジーナ宛の手紙の写しを寄越してくれる。これは後で大きな証拠になる。
「お陰様で、頼んでもいないのにしっかり者の妻を貰えることになりました。」
クリスは皮肉交じりに返すが、表情を暗くして続ける。
「彼女は、最近顔色が良くなくて、泣き出す時もあります。主人のジーナ様と私との板挟みになっているようで、ジーナ様に悪いようにしないよう頼まれます。」
「イザベラの気持ちを汲んでやりたいが、なんとも言えんな。今日が無事に収まるかどうか。
ただ、どうなってもオレはあの女と暮らす気はなくなった。形だけの結婚を続けるかどうか、マーチ侯爵や伯爵夫妻とも相談だろう。」
それから暫くダニエルは考える。
「いや待てよ。この襲撃に勝つことだけを考えてきたが、オレが入婿という立場は変わらない。家付き娘のジーナをどうするなんて言える立場じゃない。
オレが生き残った後でも、ジーナが、死んでもオレと結婚しないと言い張れば、娘に甘い伯爵夫妻もマーチ侯爵もそれを認めるかもしれない。
そしてヘブラリー家と縁を結べない時、親父が子爵位をくれるかどうか。オフクロは全くオレの敵だからな。」
溜息をついたダニエルは諦めたように笑った。
「まあいい。考えても仕方ない。まずは今日を切り抜けることだ。
もし両家に見捨てられたら、傭兵にでもなるか。
こんなくだらないことを考えずに、戦場で駆けずり回るのがオレには合っているよ。」
気の毒そうにダニエルを見ていたクリスが答える。
「ダニエル様、ここ暫く多忙だったのでお疲れのため、悪い方に考えるのです。今日を乗り越えれば上手くいくはずです。
例え最悪の事態が起こっても、私はどこにでもお供します。」
食べ終わったダニエルは笑って言う。
「クリス、ありがとう。つまらん事を言ったな。
オレが何とかしなければ、付いてきてくれた仲間や部下に申し訳が立たない。
人任せにせずに、オレの地位を掴み取らないとな。
行くぞ!」
気合を入れて、主従はまず庭に向かい、今日の行列の馬車をチェックする。
ダニエルの馬車は鉄板を張り、中を見えないようにして木の人形を置いている。これで弩を受け止めるつもりだ。
ジーナの馬車は飾り立ててあるが、ダニエルとバースが御者に扮するので、御者台の周りに剣や弓矢を隠しておく。
その頃には、ダニエルの配下が集まってくる。一応上着で隠しているが、チェーンメイルなどの完全防備で、戦場に向かうのと同じ姿である。
一方、ジーナの行列参加者は侍女侍童と兵が混じっているが、兵も祝祭用の服装を付け、とても戦闘できる態勢ではない。
ダニエルは怒りを押し殺し、率いる従士に尋ねた。
「昨日、トマソン従士長には武装した兵を10人以上付けろと言ったはずだ。」
従士は素っ気なく答えた。
「私は従士長の指示通りにしておりますので、従士長とお話しください。」
押問答をしているうちにジーナがやって来た。
「まぁ、みんな綺麗に着飾ってよく似合うわ。
兵隊さんも飾ってみると何とか見れるわね。
今日は大事な日だから頑張ってね。」
自分の供人に声を掛けたあと、ダニエルの方を見る。
「そのカッコは何!戦場に行くんじゃない。婚礼なのよ。
何を考えているの!止めて!恥をかくのはヘブラリー家なのよ。」
金切り声を上げるジーナに気づき、伯爵夫妻がやって来る。
伯爵は、ダニエルの襲撃者への備えという説明と、ジーナの訴えを聞き、時間もないのでそれぞれ用意した供人で行くように言う。
「そんなカッコ悪い行列と一緒に行けません。なるべく離れて付いてきて!」
ジーナはそう言い放つと、サッサと自分の準備のため、部屋に戻った。
ダニエルは、カケフとオカダ、バースを集める。
「早速、見込み違いだな。これじゃ頼んだはずのヘブラリー家からの援軍もわからんぞ。」
「すまん。オレの威令が届いてないせいだ。」
カケフのボヤキにダニエルは謝った。
「心配するな。その分、活躍の機会が増えるというものだ。」
豪放なオカダは笑い飛ばすが、ダニエルは心配顔で話を続ける。
「バース、お前とオレでジーナの御者となり、襲撃してくる傭兵はヘブラリー兵に防がせる一方、オレたちで攫いに来る兄貴を撃退するつもりだったが、聞いたようにヘブラリーの兵が使えなくなった。
そうなると傭兵の相手をお前にしてもらわなければならない。
クリスも紛れ込ませるが、かなりお前に負担がかかることになる。
すまんが、頼む。」
「任せてください。これまでの戦場に比べたら楽なものです。」
バースは言葉少ないながらも頼もしい返事を返す。
その頃、クリスが戻ってきた。
「トマソン従士長と掛け合いましたが、話になりません。姫様の意向に沿うとの一点張りです。援軍の念押しにも空返事でした。
仕方ないので、ダニエル様に心服しているクロマティを捕まえ、合図があれば必ず助けに来いと頼んだら快諾してくれました。コチラは大丈夫です。」
「やむを得まい。皆、知っての通り、戦場で思い通りになることなどない。
あとは持ち場で全力を尽くしてくれ。」
ダニエルは、あとの指示をカケフ達に任せて、婚礼用の服装の着付けをして、ヘブラリー伯爵やマーチ侯爵以下の親族が集まる場に現れた。
程なくジーナも婚礼衣装で姿を現す。
「お美しい!」「よく似合っている!」
集まった家族・親族や家臣から感嘆の声が上がる。
よく見ると少しお腹が膨らんでいるが、緩やかな服で上手く隠している。
確かにジーナはもともとスラリとした美人であり、白を基調とした婚礼衣装が映えて、非常に美しい。
だが、ダニエルには何の感動も喚ばなかった。
むしろ周りから、「こんな美しい妻を娶れて果報者だな。」などと声がかかり、その都度、笑顔を作って相手をするのが苦痛である。
やがて、伯爵夫妻やマーチ侯爵が宮廷に向かう時間となる。
「先に行って待っておきますよ。」
夫人とジーナが抱擁し、家族が出立する。
その後、ジーナが、ダニエルには目もくれずに飾り立てた馬車に乗り込む。
ダニエルも周りに手を振り、自分の馬車に乗る。
ミラー男爵の配下がどこかで見て、出発すると報告に行っているはずだ。
盛大な見送りの中、行列は屋敷の門を出て進むが、ジーナの馬車は暫くして止まった。
ダニエルとクリスが馬車の車輪に異音が出るよう細工しておいたのだ。
ダニエルは、様子を見る振りをしながら馬車を降り、どうしたと集まってくる人混みに紛れて、用意してあった小屋に入り、婚礼衣装を脱ぎ捨て、武装した上に御者の服を着る。
そのまま、ジーナの馬車に近づくと、車内でジーナが癇癪を起こし騒いでいるのを、同乗しているイザベラが宥めているのが聞こえた。
修理の振りをしている部下に、もういいと小声で告げ、御者台に乗る。
隣にはバースが座っている。
「ここまでは手筈通り。これからが本番だ。」
馬車が修理できたことを告げ、再び出発する。
ジーナの行列は知らないが、ダニエルの配下はこの後、臨戦態勢に入る。
一方、行列が出ていった後のヘブラリー家は、送り出したという安堵感で一気に弛緩していた。
「やれやれ。今までの準備は大変だったがもう安心だ。」
「ここにワインの樽があるぞ。マーチ侯爵様からのようだ。前祝いに頂くか。」
トマソン従士長もそこに加わる。
「従士長、ダニエル様が何かあったら援軍に来いと言われていました。酒は後にしてください。」
クロマティが止めるが、言うことを聞かない。
「あんな余所者の若僧の言う事なんぞ聞かなくていい。何も起こるわけがない。皆、折角の酒だ。飲むぞ。」
結局、ヘブラリー兵のうち、待機しているのはクロマティとその配下の5名のみとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます