宮廷の暗闘と内政タイム
マーチ侯爵が宮廷の定例会議から退出しようとすると、「ちょっといいか。」と宰相に声をかけられた。
そのまま、宰相の執務室に案内される。
宰相が不快そうに口火を切る。
「先日の王政府役人の殺人は卿の仕業だろう。ジャニアリー家の次男を使ったな。いきなり殺すとはやりすぎだ。検非違使に調べさせるぞ。」
マーチ侯爵は、すぐに調べずに警告するということは、証拠がなく、こちらの出方を伺っているのかと少し安心しつつ反撃する。
「藪から棒になんのことか。それより儂からも言うことがある。ジュライ家に押し入った強盗だが、なにやら宰相がバックにいると言っているらしいぞ。
あそこの姉弟が貴族の訴訟を扱う高等法院へ訴えると言っていたが、儂がまさか宰相がそんなことはするまいと言って、強盗の主犯を受け取った。まさか身に覚えはあるまいな?」
生き証人がいると思わなかったのか、鉄面皮の表情がほんの僅かに歪む。
「無論そんなことがあろうはずがない。宰相なんかになるとあちこちで名前を騙られるからな。
ところでその強盗は卿の館にいるのか。そのような凶悪犯は官憲に早めに渡した方が良かろう。」
官憲に渡したらお前が口封じするだろうと侯爵は考えながら答える。
「心配には及ばない。先程話に出たダニエル君が所領に戻っていたので、奴隷として使ってくれと預けておいた。
ところでさっきのような冗談を表で言わないほうが良かろう。
ダニエル君は騎士団育ちのせいか手が早くてな。そんな誹謗中傷を聞くと何をするかわからんぞ。」
「ほう、検非違使と力比べをしてみるか?」
「騎士団長がダニエルを可愛がっているらしいな。証拠もなく捕まえるなら騎士団が動くかもしれんが、それでもいいならやってみればどうだ。」
宰相は考え込んだ後、話を始めた。
「確かにこちらも曖昧な証拠だ。ここは痛み分けとしよう。
ジュライ家の嫡男に家督相続を認め、叔父殺しもダニエルを不問としよう。
その代わり、卿が推していた法務官の推薦は取り下げろ。元々儂の推薦の方が筋が良かったのだ。
卿も財務に勢力を拡大でき文句なかろう。」
マーチ侯爵は暫く唸っていたが、観念したように「わかった。」と言う。
「ただし、その証にここですぐに指示してくれ。」
良かろうというと、宰相は財務大臣と法務大臣を呼ぶ。
二人が来ると、宰相は指示した。
「財務部の人事だが、異議を唱えていた叔父もなくなったことであり、ジュライ家の嫡男の相続を認める。
法務部も揉めていた法務官については私の推薦者で合意が取れたので、彼をポストに就けよ。
なお、ジュライ家の叔父殺しの犯人だが、ジャニアリー伯爵の次男のダニエルが捕まえたそうだ。護送次第処刑してくれ。」
両大臣ともこれまで色々と奔走してきた件を一言で片付けられ、思うところはあるだろうが、宮廷の両巨頭には逆らえず、表情を消して肯いた。
両大臣が下がると、宰相は侯爵に向かって言った。
「今回は譲ってやるが、次回はこちらも手荒な手段も使わせてもらうからな。」
「何を言っているかわからないが、売られた喧嘩はいつでも買おう。」
睨み合いのあと、侯爵は自邸に戻ると、直ぐに執事を呼ぶ。
「宰相と手打ちした。これでダニエルを戻らせることができる。
ヘブラリー伯爵からもせっつかれているし、手紙を書いて呼び戻すので使者を用意してくれ。」
「承知しました。ダニエル様は領地の揉め事も収まったようです。結婚式も近づいてますから、急がせましょう。」
その頃のダニエルはジューン子爵領の内政に慌ただしく取り組んでいた。
マーチ侯爵が送ってくれた文官のゲイルは優秀であり、バレンタイン家老と相談しつつ、統治機構をつくりあげている。王政府にいた時は、提言を尽く無視され、やる気をなくしていたのが、白紙から制度を任され、喜々として働いていた。
一方、従士たちはバースから騎士団流訓練でしごかれていた。
隣では、ヘブラリー従士のクロマティがこなしているのに、領地の名誉に賭けてダウンする訳にはいかないと頑張るが、実力差は明らかだった。
これらの動きを見ながら、ダニエルはレイチェルから来た手紙を読んでいた。領地に戻ってから3日と空けずに手紙が来る。
内容は、ジュライ家の事件の捜査状況、マーチ侯爵との話合い、王都での噂などダニエルの関心がありそうなことを色々と書き連ねてあり、最後には早くお会いしたいと結ばれていた。
側に控えているクリスに話し始める。
「レイチェルの話ではマーチ侯爵の工作のためか、事件の捜査は政治案件ともならず、強盗の仕業になっているようだ。
また、ジュライ家の相続もうまく進みそうらしい。」
「ては、王都に戻るのも近いかもしれませんね。まずは、捕まらなくて良かったです。
レイチェル様もご熱心に。ダニエル様によほど恩義を感じられているのでしょうね。」
「えっ。オレに惚れてくれたからじゃないのか?」
「いやいや。婿入りの男に惚れても仕方ないでしょう。結婚式の前ですから変な噂が立たないように気をつけてください。」
「そのジーナの話だが、レイチェルの手紙ではあちこちにオレの不満を言い回っているらしい。ポールの言ったことも本当だな。
王都に戻ってあいつと結婚するのが憂鬱だ。このままここに引っ込んでいたい。」
そこにカケフとオカダがやって来た。二人には特命調査を頼んでいる。それが終わったようだ。
騎士団以来の友人なので、人目がないところでは対等の言葉遣いにしてもらっており、気軽に話しかけてくる。
「ダニエル。メイ侯爵との領界を見てきたぞ。もう領界近くの2つの村は囲われて向こうに支配されているな。
それと現地で聞き込みをしたら、少し前に領界の原野で石炭が出てきたらしい。それをメイ侯爵家が確実に自らの所有とするため、周辺も合わせて併合しようとしているのではないか?
争う気なら早くしないと既成事実をどんどん作られるぞ。」
カケフからの報告の後、オカダが話し始める。
「俺の方は領内を一通り回ってきた。新領主の評判は悪くない。あの砦にいた奴等、金に困って近隣に盗賊じみたことをしていたようで皆殺しにして助かったと言われたぞ。
新領主は頼りになるので山賊とかに困ったらいつでも討伐してやると言っておいたら喜んでいたよ。
それから近くの寄子の領主が挨拶に来たいとついてきたので、話をしてやってくれ。」
「寄子のことなんか聞いていないし、新米領主のオレより親父を頼った方がいいだろう。」
「そんなこと言っても俺は知らん。とにかくそこにいるので連れて来るな。」
オカダはそのまま外に出ると3人の男を連れて来た。
代表らしい年配の男がブリーデンと名乗り、挨拶をする。
「我ら3名は近辺の集落領主ですが、以後ダニエル様を寄親としたいので、御承認をお願いします。」
事情を聞くと、代々ジャニアリー家の寄子だったが、近年メイ侯爵の攻勢が激しいのに、ジャニアリー家は十分な支援をしてくれない。武勇の名が高いダニエルが分家を作るというのでこちらに鞍替えしたいという。
「待ってくれ。親父は知っているのか?」
「伯爵様はそれはいい、ダニエルなら頼りになるだろうと仰ってました。」
ダニエルはメイ侯爵とはいずれ戦うつもりだったが、寄子まで面倒見る時間はない。
しかし、話してみると、ブリーデンは何度も従軍したベテラン騎士であり、また地元の事情にも精通しているので、この辺りに慣れないダニエルにとってありがたい存在であることがわかった。
結局、ジューン子爵家の寄子として受け入れ、相談相手とすることとした。
早速、これ以上メイ侯爵が攻めてくるかを聞くと、炭鉱と2村を手に入れ、まずは満足しているのではないか、ただ牽制も兼ねて略奪は続ける可能性がある、王政府に侵略されていることを早急に訴えるべきと言われる。
これまで家臣と相談してきたのと同じ内容であり、ダニエルはこれは使える男だと思った。
ブリーデンには、いずれ奴等を追い出すつもりだが、それまでジューン家と協力し守勢でいるように命じる。
その次は、王から紹介があった銀行との商談が待っていた。王は約束通り国内一の大銀行を紹介してくれ、その支店長がダニエルに面会に来ていた。
ダニエルは、今年の収穫期からの税収を担保に金を借りたいのが希望だったが、街づくりや家臣への報奨、結婚に伴う費用、更に今後必要な戦争の準備を考えると、要望額は数年の税収では足りそうにない額であり、相手の呆れる顔が目に浮かんだ。
しかし意外にも二つ返事で用立てましょうと言う。
ダニエルの不思議そうな顔を見て、笑って種明かしをした。
「実は、王が自分が保証人になるのでいくらでも貸してやってくれと言われています。異例の待遇ですよ。」
ダニエルは背筋が寒くなった。
支店長が帰った後、クリスにこぼす。
「これで当分金の心配はいらなくなったが、この借金がある限り、オレは王の言うことを何でも聞かなければならない。
王、マーチ侯爵、ヘブラリー伯爵、親父と、オレには何人飼い主がいるんだ!」
「まあ、金の心配はいらなくなったのだから一歩前進です。これからのことはその時考えましょう。」
言っている間に、マーチ侯爵からの使者が来た。
手紙を一読し、ダニエルは顔を歪めてボソリと言った。
「もう大丈夫だから、王都に戻って来いとさ。
拒否権もないし、腹黒どものネグラに帰りますか。
せめてレイチェルに土産を用意するか。」
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