マーチ侯爵の怒りと王都からの脱出
もう深夜に差し掛かろうという頃、マーチ侯爵邸に入ったダニエルは、まだ起きていたマーチ侯爵に会うことができた。
「ジュライ家の件だな。何か進展があったか。」
いきなり問いかけられる。
「遅くに申し訳ありません。ジュライ家の依頼のあった件につき、至急報告すべきと考え、お邪魔しました。」
「報告は早いほうが良い。どうなった?」
それからダニエルは、ジュライ家が既に襲われていたこと、それを防ぎ姉弟を保護し、襲撃者を捕えたこと、更に叔父に反撃に向かい殺害したことを話す。
途中まで肯きながら上機嫌で聞いていた侯爵の表情が、途中から不機嫌そうになり、叔父の殺害に至って爆発した。
「小僧、何を勝手なことをやっている!! 誰がそんなことをしろと言った!」
手に持っていたグラスをダニエルの顔に投げつける。
予想を遥かに超える怒りに、ダニエルは凍りついた。
「貴様は駒だ。駒が勝手に動いては棋士は将棋をさせないだろうが!
この馬鹿者が‼」
怒鳴りつけた侯爵は、次に背後に向かって、入ってこいと言うと、護衛らしき大男が部屋に来た。侯爵は男に対して、コイツを思いっ切り棒で殴れと命じる。
ダニエルは背後から背中や尻のあたりを何度も殴られ、血みどろになる。
更に、両手を後ろで縛られ、動けない状態のダニエルに、侯爵は短刀で喉を軽く突っきながら話す。
「ジュライ家の件は、宰相がやり過ぎたので、これをネタに宮中会議で揺さぶりを掛け、優位な状況を作るつもりだった。
貴様が余計な事をした為、計画が台無しだ。」
「ということは、ジュライ家の家督相続を助けるためではなかったのですか?」
「ジュライ家は一つのカードだ。これを材料に、更に大きなものを得られたかもしれないものを。この馬鹿が!」
侯爵はまた腹が立ったのか、ダニエルを蹴りつける。
「お前がヘブラリー家の婿となれるのは儂が推してやっているからだ。領主になりたい次三男はいくらでもいる。ここでお前を殺しても何の問題もないのだぞ。今回だけは許してやる。二度と勝手なことをするな。わかったな。」
ダニエルは、「わかりました、今後、誓ってご指示どおりにします」と恭順する。
それを聞き、侯爵は、はずしてやれと護衛に命じた。
「お前の殺した男はいやしくも王政府の役人だ。当然、巡回使やヘタをすると検非違使が捜査するぞ。
検非違使は、王や宰相の指示があれば貴族でも容赦なく拷問して尋問するからな。どこまで疑われているかわからないが、お前は関係者に口止めし、直ぐに領地に引っ込め。
儂が指示するまでこちらに出てくるな。」
侯爵の指示に、ダニエルは従う旨を伝え、怯えた素振りを見せながら館を去る。
控室から出てきたクリスは酷く殴られたようで顔が腫れ上がっていた。
外に出て、誰もいないのを確かめ、主従は話し始める。
「酷い目にあったな。騎士団であんなのと比較にならないしごきがあったから、大して効かなかったが、痛そうな顔をしておいたよ。」
「私は、お前の主人が悪いんだぞと言われなから、2人から代わる代わる殴られましたよ。だから、あの時止めましょうと言ったでしょう。」
「わかったよ。オレが悪かった。
しかし、マーチ侯爵があんなに怒るとはなあ。多分、ジュライ家の当主を引き渡す代わりに何かのポストか利権を貰う目算があったのだろうな。
レイチェルはよく気づいたものだ。貴族の騙し合いは凄いな。」
「何を呑気なことを。今回の貧乏籤はダニエル様ですからね。ジュライ家に上手く利用されたじゃないですか。運が悪ければ殺されてましたよ。」
「マーチ侯爵からも言われたよ。早くこんな政争から逃げ出さないと早死にするな。
それはさておき、検非違使が来るかもしれないので、王都を早く出よう。マーチ侯爵も都合が悪くなればヘブラリー家に命じてオレを殺して口封じするだろう。
お前は直ぐに離れに向かい、出立の準備をさせてくれ。強行軍だが今晩出る。
オレはジュライ家に行き、今回の件の口止めをしてくる。」
「騎士団長様に話をして、万一の保護を求めた方がいいのではありませんか?」
「イヤ、これくらいは自分で片付けないと、保護する価値もないと軽く見られるだけだ。」
「わかりました。行き先はジューン子爵領ですね。アルトマンとラインバックは連れて行くとして、捕まえた賊どもはどうしますか。」
「あれらは連れて行って奴隷として使うか、売り飛ばす。結構な金になるだろう。」
クリスと別れたダニエルはジュライ家の門を叩く。
屋敷はまだケガ人の手当てや後片付けで慌ただしく、姉弟も起きていた。
「どうされましたか?」
叔父を片付けたことまでは伝令に伝えさせたので、丁寧なお礼の後、深夜に訪ねてきた用件を聞かれる。
ダニエルは、マーチ侯爵のところであったことを話し、怒りの程度を示すため、皮が剥け流血している自分の背中を見せる。
姉弟は息を呑み、手当てしようとするがダニエルは止める。
「そんな時間はないんだ。さっき話した通り、オレは今夜出立する。アンタたちは何か聞かれても、強盗がきたが防いだ、叔父の死については何も知らないで通してくれ。」
「わかりました。そのように致します。
ダニエル様には大変な御迷惑をおかけしました。この恩は必ずお返しいたします。」
レイチェルが深々と頭を下げる。
「また機会あれば会おう。」
ダニエルはジュライ家を立ち去り、ヘブラリー家の離れに戻り、傷を手当し、旅支度を整えた後、ヘブラリー家の執事に伯爵を起こしてもらう。
熟睡しているところを叩き起こされた伯爵は不機嫌であったが、一連の話、とりわけマーチ侯爵の激怒を聞くと、驚いたようであった。
「私から見ると、武人として相手のとどめを刺すのは当然のことをしたように思えるが、侯爵は別の思惑があっただろう。そんなに怒っていたのか?」
「この背中を見てください。」
幾多の戦いをしてきた伯爵はキズを冷静に見つめ、なるほど、警告だなと唸る。
「そういう訳で、忙しい中恐縮ですが、暫く子爵領に籠もって向こうの内政をしています。」
「わかったが、結婚式も近い。あまり長くはならないだろう。式の準備はこちらでやっておく。マーチ侯爵にもとりなしておこう。あまり気にすることはない。」
「よろしくお願いします。」
「折角なので、クロマティ以下10名の兵はそのまま連れていけばいい。ヘブラリー家の兵がいた方が領内に睨みが効くだろう。」
伯爵にお礼を言い部屋を出ると、クリスが手紙を渡してきた。
騎士団長からで、頼んでいた人員のことであった。
「おっ、これは団長は選んでくれたな。
クリス、バース曹長とカケフ、オカダが来てくれるそうだ。
彼らが良ければこのままウチで家臣にしてもいいそうだ。」
バースは、ダニエルが入団した時から、先生役として鍛え上げてくれた平民上がりの下士官であり、カケフとオカダはダニエルの同期で親友である。
よく冗談半分で誰かが領主になれば高禄で部下にしてもらおうと言っていたが、まさか実現するとは。彼らであれば一番気心が知れており、仕事だけでなく、色々と相談できそうだ。ダニエルは溜まっていたストレスが軽くなったような気がした。
「クリス、今晩はここに残り、明日、3人を子爵領に案内してくれ。」
「わかりました。皆様に来てもらえれば百人力ですね。」
ダニエルは20名の兵を率いてヘブラリー家の門の前に整列する。
深夜であるにもかかわらず、伯爵夫妻以下の家中の面々が見送ってくれるが、ジーナの姿はない。
イザベラが、申し訳無さそうに、「ジーナ様は体調が悪く、ダニエル様には旅中ご無事で言われておりました。」と言うのに、「ジーナさんにお身体に気をつけてと伝えてくれ。」と返し、体面を取り繕うのも大変だと自嘲する。
号令を掛け出立すると、そのまま王都から離れた、見晴らしの良いところで野営する。
(ここまで来れば直ぐに引っ立てられることはあるまい。一安心だ。)
ダニエルは、今日の疲れがどっと出てのか、ラインバックに見張りを命じるとすぐに死んだように熟睡した。
マーチ侯爵邸では、ダニエルを帰した後、侯爵と執事が話し合っていた。
「侯爵様、あそこまでダニエル様を脅す必要はありましたか?
あれでは当家に反感を抱くのではありませんか?」
「はじめの頃にしっかり躾けることが大事だ。今回の件はまだそれほど大きな問題ではなかったが、急所で勝手なことをされると困る。
まあ、果断に相手を殺す判断をしたところは、手綱を握っていれば使えるということだが。
鞭だけでなく飴が必要だ。ダニエルに頼まれていた人材を早めに送ってやれ。」
「この後、宰相様は本当に動きますか?」
「多分動くまい。ちゃんと嫡男がいるところに別の者を押し込むのが無理筋なのだ。財務部の役人は表立って反対せずとも相当な反感を持っているぞ。
この件は、宰相自身でなく、最近増長している執事が主導ではないか。宰相は身体の調子が良くないという噂がある。
しかし万が一、儂を陥れる陰謀であれば、すぐにダニエルを切り、我が身の安全を図らねばならぬ。暫くの間、よく動きを見ておけ。」
「ジュライ家はどうしますか?」
「こうなった以上、取り込むのが最善手だ。嫡男の後継を後押しし、我が派の為に働いてもらおう。」
「わかりました」
さて、ダニエルが去った後のジュライ家では姉弟が相談をしていた。
「姉さん、この件はどのくらい追及されるかな。」
「王政府の役人の殺人だから、普通以上に捜査するでしょうが、真相は分からないでしょうね。ただし政治事件にする気なら徹底的に調べるでしょう。
その時は、ダニエル様は危ないわね。」
「他人事のように言ってるけど、ウチも危なくない?」
「あなたは何も言ってないし、私も言質を取られるようなことは言ってないわ。大体、叔父がいなくなった今、我が家を失脚させるメリットはないわ。」
「ダニエル様ばかりにリスクを背負わせて、悪いと思わないの?」
弟の非難に、レイチェルは涼しい顔で言う。
「貴族はお家の為が一番。使えるものは使うの。あなたももう当主なのだから、覚悟を決めなさい。信義や義理人情も大事だけど優先順位を間違えないようにしないと家は保てないわよ。」
「理屈は分かるけど、僕には納得できない。貴族は人間らしくあってはいけないの?」
「他人が言っても納得できないなら自分で考えなさい。でも、あなたの肩にジュライ家の家族や親族、家臣の命運が乗っていることは忘れないで。
今晩の襲撃を覚えておきなさい。」
「わかったよ。よく考える。
ところで、明日からどう動くの?」
「少しは自分で考えなさい!
もう中途半端ではいられない。ハッキリとマーチ侯爵の庇護を受けていることを示すべきよ。そのため、明日の朝、侯爵に面会し、捜査への対応の相談をするとともに、あなたの婚姻の相手をお願いするわ。」
「僕はもう婚約者がいるけど!」
「今度のことで助けを求めた時になんと言われたか覚えているでしょう。
暫く距離を置こうと言ってたわよね。
困っている時に頼りにならない縁者なんてなんの意味もない。
婚約は断りましょう。」
「姉さんの婚約者も同じだったよね。」
「そうよ。勿論、私も断るわ。
今度のことでわかったのは、最後に物を言うのは実力よ。
私はダニエル様のところに行こうと思うの。」
「だって彼は婿だよ。姉さんは妻になれないことはわかってるよね。」
「勿論よ。でも、社交界の噂では、ジーナさんは未だにポールさんに想いを寄せていて、ダニエル様は相手にされていないらしいのよ。
それにダニエル様は両爵を持つのよ。その調子ではジーナさんは子爵領まで見ないでしょう。
表は愛妾でも実質は妻になれるチャンスは十分あるわ。」
「そこまで考えているならこれ以上言わないけど、うまく行かなければウチから普通に嫁げばいいからね。」
優しい弟の言葉にレイチェルは感謝する。
「ありがとう。でも、家の為にもできるだけ頑張ってみるわ。」
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