マーチ侯爵の政治講義
別室の小部屋に移ると、食卓に簡素だがボリュームのある食事が用意されていた。
「腹が減っていては頭に入るまい。質より量だと思って用意させた。食べながら聞くがいい。」
一日走り回り腹ペコだったダニエルは有り難くいただくとともに、練達の政治家だけあってよく人を見ているものだと感心した。
侯爵はワインを一口飲んでから話をはじめた。
「話の前に、結婚式の相談に何故儂のところに来た?
ヘブラリー伯爵がそうしろと言ったのか?」
「伯爵からは何も言われていません。
騎士団では、緊急に想定外のことが起これば直属の上司を超えて上位者に判断を仰いでも良いとされています。
今回はそれに該当すると判断しました。」
ダニエルの返事を聞いた侯爵は少し口元を綻ばせた。
「お前の兄よりはできそうだな。お前の兄は婚約の挨拶に来たとき、孫娘の陰に隠れてろくに口もきかなかったわ。
これならジャニアリー家を傀儡にできるかとほくそ笑んでいたがな。」
「まあいい。これなら時間の無駄にはならないだろう。
早速だが、我がエリース王国には王党派と貴族派があるが、貴族派は更に宰相の派閥と儂の派閥に分かれる。
王党派は王権を強化しようとしていて、法衣貴族と騎士たちが属する。彼らはお前が知っての通り王から俸給をもらっているからな。」
「貴族派は貴族の権利を重視する。もちろん国あっての貴族なので、王は必要だが、権力は最小限でいいという考えだ。
その中で都市商工型と武力農業型の貴族に別れている。
地理的に言うと王都周辺の商工業が盛んな地域と国境や農村部との対立だ。」
ダニエルは尋ねた。
「何故対立するのですか?」
「一言で言えば都市に金が集まるが、武力は地方にあるからだ。我がエリース王国は建国時に将軍達を国境周辺に配置し、王都近くは王族や側近を置いた。
そのから4代80年が経ち、概ね平和が続くと王都に富が集中し、都市貴族と商人は栄え、地方貴族や騎士は困窮してきた。彼らは、この国を作った我々が貧しいのは悪政のせいだと考えている。」
ダニエルの実家は裕福であったが、騎士仲間には貧しい者が多く、しばしば政治への不平不満の声を聞いていたため、ダニエルもその言葉は頷けた。
侯爵は続けた。
「建国時の国土は戦乱で荒廃していたため、戦争より外交を選び国土や産業を再建するしかなかったことは事実だ。
しかし、平和が続く中、作物の収穫は増大し、商工業も盛んになった一方、固定化した税の価値は目減りし、地方の貴族や騎士は貧困化している。
国を守っているのは地方諸侯と騎士である。その根幹が朽ちていくことをこのまま放置していては国の安否に関わると儂は考えているが、宰相とその一派は国を豊かにしているとして現行の政策を是とする。」
「侯爵は具体的にどうするお積もりですか?」
「エリース王国は周辺をトーラス、ジェミナイ、キャンサー、リオの4国と接している。騎士団にいたお前ならよく知っているだろうが、トーラスは何度も侵攻してきた不倶戴天の敵だが、容易な相手ではない。
ジェミナイとキャンサーとは手を組んだり離れたりだが、トーラスを警戒するのは同じで存在価値がある。
残るリオは弱小国の上、貿易の中継地であり国は豊かだ。リオを攻め、併合することで貴族や騎士に報奨を与えるつもりだ。」
「そううまく行きますか?リオはその富を活かして、強固な城を築き、傭兵を雇ってますよ。」
ダニエルの疑問を侯爵は軽く受け流した。
「戦のやり方は儂には分からん。お前たち武官が考えることだ。
戦に勝つことも大事だが、それ以上に今軽視されている諸侯と騎士の存在意義を示し、都市から金を持ってくることが必要だ。」
「政の考えはわかりました。私もその考えにはうなずけるところがあります。それで侯爵は国政を握れそうですか?」
ワインを飲み、疲れもあって若干酔ってきたダニエルは遠慮なく聞いた。
「宰相を誰にするかは、王が貴族や騎士、大商人の世論を見ながら決める。今の王は即位して3年だが、今までの政治は宰相に丸投げで様子見だった。
そろそろ動き出すのではないかと睨んでいる。」
「そして、我が派のキーはお前にある。」
顔色を改め、ダニエルの眼を見ながら侯爵は言い始めた。
「精強なヘブラリー軍を騎士団で名を売ったお前が率いること、同時に、王都近郊で富裕なジャニアリー家がヘブラリー家と結びつくことは、宮廷、諸侯の注目するところとなっている。
しかもお前は王の腹心の騎士団長とのパイプも持っている。」
「本来ならこんな縁組は認められない。お前のボンクラな兄が相手であり、また勢力争いが目的ではなく、一目惚れという色恋沙汰が発端だから宮廷も苦笑いしながら認めたのだ。それが、こんな展開になるとは誰も予想しなかった。
宰相は頭を抱えているだろう。
逆に儂にとっては、転がってきたこの機会を逃す手はない。
幸い、ジャニアリー領の3割をもらえるのだろう。ヘブラリー領と併せれば、お前には有力諸侯の力がある。我が派の中核として働いてもらうぞ。」
いきなり大きな話になってダニエルは目眩がした。
そんな期待をされても困る、自分は何処かの当主に成れれば良かっただけなのだが......
気を取り直し、脱線した話を戻す。
「ところで、今日お訪ねしたのは結婚式についてです。
当初考えていた、身内での小規模というのは無理です。出席を希望する方は来ていただいてよろしいですね。」
「お前は儂の話を理解していないのか?
奴らは、お前を利用するためか値踏みに来るのだ。
煮ても焼いても食えない奴らに、まだ何の準備もないお前が太刀打ちできるのか。」
「ジーナのこともさることながら、お前とヘブラリー家が組みやすしと舐められては儂にとって困る。
ヘブラリー家は儂にとっていざというときの刀なのだ。
それが竹光だと思われたら誰が恐れよう。」
「王と騎士団長が来るのは良い。向こうもお前を使う気だが、こちらもパイプがあることを示せる。
宰相は値踏みと脅しに来るのだろう。アイツの仲間は誰も入れるな。
しかし、王が出る式が閑散としている訳にはいかん。こちらの派閥の主だったものに出席するよう言おう。
そしてお前はなるべく黙っていろ。無言でいれば勝手に相手が考え込んでくれる。」
ダニエルはこれまで騎士として己を磨くことに集中しており、全く政治に関心もなかった。
マーチ侯爵の話を聞き、ようやく自分が命じられる側から命じる側の立場に変わったこと、そして既に政争の中心に巻き込まれていることを理解した。
(これは上手く立ち回らなければ大怪我をする!)
ダニエルは初陣のことを思い出す。
訳のわからないまま負け戦の殿に新人の騎士が向かわされ、戦場に着くとベテランにいいように肉壁として使われ、同期は次々と倒れていった。
ダニエルが助かったのは、一応貴族の子弟というので露骨な肉壁とはされなかったのと運か良かっただけであった。
そういう意味ではマーチ侯爵が政争を解説してくれるのは、自分の使いやすい手駒にするためとは言え、右も左も分からないダニエルには有り難かった。
(父かヘブラリー卿がこんな話を事前に聞かせてくれれば助かったのに。)
ダニエルの考えが分かったのか、マーチ侯爵はこんなことを言った。
「これまで話したようなことはほとんどの貴族はわかっていない。
彼らは自分の縁戚関係と利害、好き嫌いぐらいで派閥を決めている。
だから、状況によって直ぐに寝返る。」
「ダニエルよ。
儂は、領主貴族には一流から三流まであると思っている。
三流は己と家族のことだけしか見ていない。
二流は自領のことまでは見ている。
一流は自領に加え、我が国や諸国まで視野に入れている者だ。
お前は何処を目指すのか?」
それで話は終わりだった。
今まで考えたこともなかったことを長時間聞かされ、ダニエルの頭はパンク寸前である。
(今日は直ぐに宿に帰り、自分の頭を整理しよう。)
ヘブラリー伯が今日の結果を待っているかもしれないと思いつつ、控室で待機していたクリスを伴にして、ダニエルは宿に帰り、酒を飲みながら考えを張り巡らせた。
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