第3話 深澤課長その参

 南東の壁にたどり着いて直ぐにズボンのポケットに手を入れ、一昨々日さきおとといに、飲み干してしまった空のペットボトルを取り出した。


 地面に目を移すと壁下のアスファルトの上には、水溜まりができていた。しかし水は汚れて濁っている! これではとてもじゃないが飲む気は沸き上がらない!


 見上げると壁の最上部からは、ミストが霧雨のように散水されている。だが壁自体は渇いているようだ。ミストが壁を伝って、濡れていてもいいはずなのに一体何故だろうか?

 

 ふと壁を手で触ってみる。


 !!!

 

 考えるよりも早く脊髄が反応し、反射的に手を引っ込めた。


 今、有り得ない事が起きた、壁の中に手が入ったのだ。 俺は辺りを見回してそこら中に散らかっている木の破片をひとつを手に取ると、壁に恐る恐る押し当ててみる。


 !!!


 まるでそこには壁が無いかのように、スッと木の破片が吸い込まれていく。

 

 確認の為に、何度も木の破片を出し入れしてみたどうやらこの壁は何故だか通り抜ける事が出来るようだ。


 蟻の化け物……そしてこの壁……俺の現実が壊れていく。迷っている時間はあまり無い。もう一度手をゆっくりと入れてみる。痛み等はない、それどころか感覚が無い。


 まるで壁が映像で作られているようだ。俺は、勇気を出して顔を恐る恐る壁の中に入れてみた。

 

 !!!!!!!!!!

 

 壁の向こう側に見えたのは第1区画だった。床にぽっかりと空いた大きな蟻の巢穴。数歩先にはちろちろと、水溜まりを舐める一匹の巨大な蟻の化け物。

 

 どういう訳か南東の壁と南西の壁が繋がっていた画面右に進むと画面左から出てくる昔のテレビゲームのように。

 

 俺は、顔面蒼白になったが、悲鳴を上げないように我慢してそっと後退あとずさりした。

 

 一目散に廃材エリアの、ドラグショベルへと逃げ出した。後ろを振り返る余裕等は無い。一心不乱で廃材の山へと走る。


 しかし中年の身体は、頭に付いてこない。とても足が遅く歯痒く感じる。スピードが出ず気持ちだけが急いでいく。背中に恐怖を感じた。すぐ背後にいる気配がする。もう無我夢中だった。


 やっと廃材の山に手が掛かるも、勢いで登れたのは2m程で、すぐにもた付く。焦って上手く登れない。その時、靴底を何かがかする。


 想像したのは蟻の顎、思わず叫んでしまう。恐怖で身体が本能的に縮こまろうとする。それでも登る手を止める訳にはいかない。頭がおかしくなりそうだ。



 びっしょりと濡れ、幾つもの汗がほほを伝い顎から、ぽたぽたと落ちるもドラグショベルまでもう少しで手が届く。気配が廃材の山の下のほうに感じる。それでも振り向く気は一切ない。

 

 遂にドラグショベルへとたどり着いた。急いで操縦席に乗り込みエンジンを掛ける。最初からパワー全開だ。つまみを最大まで上げるとアイドリングが唸りを挙げる。

 

 俺は少しだけ安堵あんどした。いくら蟻の化け物が乗用車並みに大きいといってもドラグショベルの比ではない。力も凄く、象でも倒せる自信がある。


 下を見下ろすと一匹の蟻の化け物は廃材の山を上手く登れずにいた。その重さ故だろうか登ろうとしても足下の木材が崩れていくだけだった。


 しかしその恐ろしい複眼はこちらを向いていて、その仕草は昔飼っていたザリガニにとても酷似こくじしていた。

 

 子供の頃に家で飼っていたザリガニは、普段は大人しかったが、餌を与える時だけは、手足や口を騒がしく動かし、はしゃぎながら餌の方へと突っ走っていた。そこにいる蟻の化け物も、あの時のザリガニのようにはしゃいでいる。


 俺は真っ青になった。生物のヒエラルキーに君臨していた筈の人間であるこの俺が、只の餌として捕食者に認識されていたからだ。


深澤

「そのまま動くなよ…」


緊張を押し殺した汗ばむ手で、操作レバーを握るとブームを蟻の化け物の方へ向け下ろし、アームを伸ばして爪を開き、素早く蟻の化け物を挟み込んだ。


蟻の化け物

「ギギギッ」

 

深澤

「良し!」 


 そのままペダルを目一杯踏み込んで爪を閉じるが、挟み潰す事が出来ない。とんでもない固さだ。鉄の巨大な爪と、蟻の化け物の甲殻こうかくが、ぎりぎりと鳴る。


蟻の化け物

「ギギッ」

 

 かなり固いが爪から抜け出す力は無いようで、じたばたともがいている。今度は蟻の化け物を掴んだままアームを大きく上げた。


蟻の化け物

「ギギッ」

 

 そのまま勢いよくアスファルトの上に叩き付けてやると飛んでもない衝突音がしてアスファルトにめり込む。しかし、それでも潰れない。


蟻の化け物

「ギッ」


深澤

「マジかよ! これでも駄目なのか!」


蟻の化け物の状態を近くで見る為に、アームを曲げ操縦席の前に持ってくると足が何本か取れかかっていたので少しほっとした。だが頭や体自体には傷が無いように見える。


 ダメージ自体は与えられているようなので、もう2回程叩き付けてから放し、爪を閉じて上から思い切り突き刺した。


ガッキーーーーーーーンッ!!!


耳が痛い程の、高い金属音が鳴り響く。だが爪は、蟻の化け物の体を貫通する事はなかった。逆に鉄の爪先が丸くなってしまっている。


蟻の化け物

「ギッ…」


深澤

「何なんだ!? この異常な固さは!!」 


 節部分だけが弱いようで甲殼の固さは想像を絶するものだ。今度は腹部に狙いを定めて上から突き刺した。


ガッキーーーーーーンッ!!!ブチュッ!


 又も高い金属音が鳴り響く、やはり穴は空かなかったが、尻から中身が勢いよく出て腹部がぺしゃんこに潰れた。しかしこの状態でもまだ生きている。


 尻から出た体液は、周囲を溶かして目にみそうな紫色の煙が立ち上がっていた。


 蟻酸ぎさんというものだろうか。そう思いつつも、蟻の化け物の胸部を掴み直し、頭を地面に押し付けまま前後に動かすと、流石に頑丈な蟻の化け物も、30t近い負荷には耐えれないようで頭がもぎ取れた。


 蟻の化け物の足が内側に折れ縮まる。ようやく死んだ事に胸を撫で下ろした。体はまだ興奮が覚めず体中を血液が駆け巡っている。

 

 しかし本番は此処ここからだろう、当然のように俺の予想は当たってしまった。ぞろぞろと、壁から仲間が涌き出てくる。しかも敵意を丸出しだ。顎からカチカチと威嚇音いかくおんを出している。


 俺はアームを大きく上げ爪を開いた。蟻の化け物が一斉に向かってくる。次々と山を登ろうとするが上手く登れずにいる。やはり地の利はこちらにあるようだ。だが仲間を踏み台にすれば、いずれ此処までたどり着いてしまうだろう。


 俺は一匹の蟻の化け物を爪で掴みアームを大きく上に上げた。


深澤

「上手く、いってくれよ!」


 すぐ横の蟻の化け物に、そのまま叩き付けると耳が痛い程の甲高い金属音と鈍い音が混ざり合い、2匹の蟻の化け物は無惨な姿となった。

 

深澤

「良し!」


 後は単純作業だった。一匹掴んではもう一匹に打ち下ろし潰していく。この繰り返しが延々と続いていく。耳が鳴って激痛が走る。


 だがそれを気にしてミスは許さない、文字通り命懸けなのだから。それにしても一体何匹いるのだろうか。俺は1000から先数えるのを辞めた。



 俺は焦っていた。一体何時まで続くのだろうか。燃料計に目が泳ぐ。蟻酸のせいで視界も悪くなってしまった。このまま夜になればもっと視界も落ちる事だろう。そんなのはご免だ。


 数十億億匹……大きな巢では数十億匹もの蟻が暮らしている……昔見たネットの記事が脳裏に浮かんだ。どれ程抗っても逃れられない惨たらしい結果が待っているのだろうか。


 自分が肉団子になる様を想像してしまう。頭からその映像を追い払うように俺は考える事を辞めた




 あれからどれくらいたったのだろうか。日はまだ落ちていない。心なしか数が減ってきたかのように感じる。いや、減っている!間違い無い!


 終わりの見えた俺は全精力注いだ。


深澤

「後もう少し!」


 自分を鼓舞する。


深澤

(残り7匹!…………5匹!…………3匹!…………ラスト!!)


 最後の一匹を爪で掴み込んだ俺は、念のためにそのまま180°旋回し、第1区画側を目視する。こちら側に蟻の化け物は居なかった。


 しかしやってしまった。最後の最後で油断してしまった。悔やんでも悔やみ切れない。蟻の化け物の尻がこちらに向いていたのだ。


 俺はぞっとして腰を浮かした。急旋回と同時にアームを伸ばし、壁側に投げ飛ばしたが間に合うことはなかった。


 放水銃のような勢いで蟻酸が降り掛かる。すぐにフロントガラスは溶け、心なしか顔に浴びてしまった。目に見えずとも痛みで皮膚がただれ溶けていくのを感じた。


 絶望的な負傷を負い、生きる意欲が遠ざかっていく。俺の心は折れてしまった。 


それからは本能に身を委ねた。

〈俺は良くやった〉

 

顔を抑えながらドラグショベルから脱出

〈まだ逃げるのか〉

 

廃材の山を転がるように落ち

〈もういいんじゃないか?〉

 

立ち上がると北の出入り口に走る

〈どうせ無駄に決まってる〉

 

出入り口に見えたのは巨大な扉

〈ほらな〉

 

俺を待っていたかのように扉が開き出す

〈期待なんかさせないでくれ〉

 

開いた先には白銀に包まれた4人組

〈コスプレ軍団?〉











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