第2話 深澤課長その弐


 あの日に帰りたい、それが叶わぬのなら、せめて彼女の夢を見たい。いつものように眠りに就く前に決まって念じてみる。こんな状況になってもそう願い、座席に寄りかかってドラグショベルの中で眠りに就いた。


 10月6日

 朝、目覚めるがまだまぶたは閉じたままだ。最初に心に浮かぶのは彼女の顔の事。いくら記憶を掘り起こしても、色褪いろあせてしまって思い出せない。


 願いを込めゆっくりと、目を開けてみる。


「…………」


「……………………………………」


 そこにはいつもと同じ光景が、目に映っていない。


「…………」


 たちまち現実世界の恐怖が押し寄せてきて、辺りを見回した。今俺は危険の真っ只中にいるのだ。


 正直、外に出るのが恐ろしかった。ドラグショベルの中に閉じこもっていたかった。でもこのままでいる事は、もう許される状況ではなかった。


 何が正解なのか考えを張り巡らせる。


 俺は辺りを確認してからエンジンをかけてクラクションを鳴らす。…………反応はない。


 念の為に足下の廃材を爪で一掴ひとつかみ掴んで山の下へ放り投げてみる。…………やはり反応はない。


 神経を尖らせて待ってみるが周囲に変化がないことに安堵する。


(今がチャンスなのかもしれない…)


 自分にそう言い聞かせ、決死の思いでドラグショベルを降り、廃材の山を慎重に下っていく。なるべく音を立てないように、すぐに戻れるように気を張りながら。


 足元の木材には釘がむき出しになっている。怪我だけはしないように注意に注意を重ねる。廃材の山を無事に降り、聞き耳を立てた。物音はしないが、心臓が波打つように鳴っている。


 

 地面に着いて直ぐに南東の壁の方へ向かった。南東の壁に向かうにはそれなりの目的と理由がある。飲み水の確保が目的だ。


 だが北東にある事務所に行くという選択肢は無い。事務所にたどり着くには第1区画の前を通らなければならないからである。


 1


 壁にたどり着いた俺は壁に歩み寄り、上を見上げた。高さ25m程か。この壁をどうにかして乗り越えられないだろうか…


 仮に乗り越えられたとしても無事に降りれるのだろうか…それにそこには日常があるのだろうか…


 4日前の出来事が頭によぎる。



10月2日


 他の重機に乗っていたはずの従業員が、みんな居なくなっていた。大山もいない。コンベヤは動いている警報音もなってはいない。無人の重機のみが佇んでいる。この場所からは、第1区画しか見えない俺は無線機インカムを飛ばした。


深澤 

「どうかしたか?」


「………………」


深澤

「誰でもいいから応答下さい!」


「………………」


 応答がない。何がどうあれ返事が無いのは腹が立つ。しかし感情的になれば、場の空気は乱れてしまう。


 一呼吸し、一度気持ちを落ち着かせ無線機インカムを飛ばす。


深澤

「大山とれるか?」


「………………」


 又も応答が無い、俺は少し考える。


深澤

(もしかして無線機インカムの故障なのか?)


 それにしても腑に落ちない。無線機インカムは故障したからとしても、誰もいないというのは……俺は又考える。


深澤

(もしかして……人災的なトラブルか!それなら辻褄が合う、ヤバい!)


 俺は、ドラグショベルを降りようとした。

その時ーー--!!!


 三匹の巨大な蟻の様なものが見えた、右の方から第1区画に入っていく、その口に丸い物を咥えて。


 俺は、咄嗟とっさに姿勢を低くした。ドクン、ドクンと心臓が鳴る。唐突な出来事に、理解等が追い付く筈もなく、思考が定まらない。


 手は汗ばみ、身体が怯えてきた。自身の脳が身体に危険を訴えてくる。動こうにも上手く動くことが出来ない。経験した事の無い感覚に襲われている。


 俺は目を離せないでいた。すると今度は沢山の蟻の様なものが、第1区画から出てきて右の方へ消えていく。


 あんなものは見たことがない。姿形はありに似ているが頭部が一回り大きく、両の複眼がぎらぎら光りあらゆる物を噛み砕きそうな大顎おおあごが付いている。色は薄い黒色で不気味な光沢を放っていた。


 異様なのは何よりそのサイズである。すぐ手前の搬入車両と見比べてみると、乗用車ぐらいはあるだろうか。こいつらは出入口の方に向かっている。ここからじゃ倉庫と事務所が邪魔でよく見えない!


 奴らの足音が聞こえる。蟻の化け物が帰ってきてまた第1区画に入っていく。その口には丸い物体を咥えて。

 

 俺が、想像も出来ないような、悲しく恐ろしい事件が起きたのだろうか。呼吸が乱れうまく息を吸い込めない。とても苦しい。ゆっくりと深呼吸を繰り返し、呼吸を整えようとする。


 口の中に胃酸が走り、つんと、鼻腔を刺激するが嘔吐を必死で我慢した。もしもこの化け物が、嗅覚に優れているなら、こちらに気付くかもしれない。


 そして俺の目に映った物。人間の尊厳が、根底から覆されてしまった。




 ……あれは…………肉団子だった……。















10月2日


ドラグショベルの中で震えている。

まだ搬入車両が来るはず。

しかし搬入車両は来なかった。

今日は家に帰れない。

お茶はちょっとだけ飲もう。

タバコが吸いたい。

携帯電話とタバコは事務所2階の休憩所。



10月2日


入口の門は開いているはず。

搬入車両が来ると思う。

しかし搬入車両は来なかった。

家族が心配してると思う。

お茶は少し残っている。

タバコが吸いたい。


10月4日

ドラグショベルに乗ったまま出入口に向かう考えもあるが勇気が出ない。

第1区画には近づきたくない。

今日も搬入車両は1台も来なかった。

何故だろう。

お茶はもう無い。

タバコが吸いたい。

不思議とお腹は減っていない。


10月5日

肉団子が頭から離れない。

あれは従業員かもしれない。

今日こそは搬入車両が来て欲しい。

しかし搬入車両は来なかった。

来ない理由を考えたくない。

家族が心配しているはず。

お茶はもう無い。

喉が渇いた。

タバコが吸いたい。













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