記憶の無いCROSSROAD

安斎 誠

第1話 深澤課長

 あの日に帰りたい、もうそれが叶わぬのなら、せめて彼女の夢を見たい。ベットに入って眠りに就く前に、いつも決まって念じてみることがある。今頃になってもそう願い、今日も眠りに就く。


 朝になって目覚めるが、まだまぶたは閉じたままだ。あれから長い年月が流れた。最初に心に浮かぶのは彼女の顔の事。いくら記憶を掘り起こしても、どうして思い出せないのだろう。


 願いを込め、ゆっくりと目を開けてみる。


「…………」

「……………………………………」

 

 そこにはいつもと変わらない、見慣れた天井が、目に映っている。当たり前だが過去には戻れていないし、どんな夢を見たかどうかさえも覚えていない。


「…………」

 

 気持ちを切り替えて携帯電話で時間を確認すると10月2日6時15分の表示が目に入る。アラームの鳴る5分前だ。習慣というものは実に恐ろしい。


 二度寝への欲求が甘美な誘惑をするのを感じつつ、自分の部屋を出てリビングに向かった。まだ誰も起きてはいない。いつもと変わらぬ平凡な中年男の、よくある早朝の光景だ。

 

 台所に向かい、炊飯器を開け、ご飯をよそう。コンロのフライパンを見渡すが、昨晩のおかずはもう残っていない。仕方がないので冷蔵庫を漁るが、目新しい物は何もない。


 俺は卵を手に取り、賞味期限を確認する。日付はまだ新しい。牛乳に目を移すと、一週間程賞味期限が切れている。


 残った牛乳を流し台に流し込み、ゴミ箱に捨て朝食を済ませる。相変わらず妻は寝たままだ。


 時計を見ると時間はまだ6時45分、家を出るまで15分ある。俺は、自分の部屋に戻り煙草を一本手に取るとそれを口にくわえて火を着けた。


「…………」


 煙草を消し、身仕度を済ませ、車に乗り鍵を差し込みエンジンを掛ける。いつもと同じ行動 同じ時間 同じ道、意識しなくても、身体が勝手に運んでくれる。


 痛みを伴わない生活を望んでいたはずなのに、壮年期が間も無く終わりを迎える為か、刺激が欲しいと思う自分が、心の片隅にひっそりといる。


 まあ現代では時代の推移と共に40才後半から64才までを中年期、更年期と呼ばずに壮年期として一括りにしているようだが。


 俺の名前は深澤学、今年で44才、来る日も来る日も、一家の主として家族の為にと会社に向かう。上の子は、自立して家を出たが、まだ家には高校生の娘と中学生の息子がいる。


 《家族は支えでもあり縛りでもある》


 

 敷地面積延べ20000㎡程のこの会社は、公道に沿って入り口兼出口の門があり、門を入ると真ん中に車両用通路が南に向かって200m程延びている。


 門から見て車両用通路右手には、手前から駐車場そして工場、車両用通路左手は、手前から事務所、備品倉庫、廃材エリアの順となっている。敷地内は全て壁で囲まれていて、出入口はこの門以外に他は無い。


 廃材エリアの壁最上部には、給水管が走っており、木粉飛散対策として、常時ミストが散水されている。

 

 工場は第1区画から、第3区画まで別れていて、車両に積んだ木材を、廃材エリアに降ろし重機である程度細かくした後、第1区画に向かうコンベヤに乗せ、第1区画の中で異物を取り除き、さらに細かくして第2区画に、木材チップとなって貯まる流れとなっている。


 第3区画は操作室となっていて、工場内のあちこちを監視カメラで確認する事も出来る。



深澤

「お早うございます!10月2日本日の朝礼を始めます。本日の搬入車両の予定台数は100台となっています。作業配置はいつも通りです。今年も残り2ヶ月程なので怪我、事故等無いように頑張って行きましょう! 私の方から今日は特にありません。他に皆さんの方から何かありますか?」


 ヘルメットを被った従業員が20人程いるが、その内の1人が手を挙げた。


従業員

「熊田さんが1時間遅れるそうです」


 仕事上こういった事は珍しい事ではない。誰かが居なければ他の誰かが穴埋めすればいい、それだけの話しだ。


深澤

「それなら熊田さんが来るまで私が現場に入ります」


 朝礼を終えると俺は、遅刻してくるオペレーターの代わりに廃材エリアのドラグショベルに爽快に乗り込んだ。


 うちの会社で使用してるドラグショベルは、総重量30tのクローラー式ショベルで、アームの先端には、木材等を掴む為の上下5本の爪アタッチメントを装着している。


 上部旋回体は下部走行体に対して、360°旋回する事が出来る、分かりやすく言うなら、戦車に砲台の代わりに、腕を取り付けた様な重機だ。


 昔テレビで砂浜に打ち上げられた鯨を、海へ帰そうとドラグショベルのアームで鯨を押している光景を見た事がある。結局鯨が重すぎて押せていなかったが…


 鯨は無理でも象ならいけるだろうと、テレビを見ながらその頃俺はそう思っていた。


(今日も廃材が多い…)


 搬入車両で、押し寄せて来る多種多様な木材を、一回り小さなドラグショベルに乗った大山課長代理が、潰してはベルトコンベヤに乗せていく。


 一方俺は大山が処理しきれない分を、潰しては後ろの廃材の山に積み上げていく。二十年、毎日重機に乗っていると、現場の流れが朧気おぼろげながらに見えてくる。


深澤

「1回上に登るわ」


 もっと廃材の山を高くしないと捌き切れないと判断した俺は、みんな無線機インカムを飛ばす。


大山

「課長、大丈夫ですか? 何なら自分替わりましょか」


 後輩の大山が、俺を気遣って無線機インカムをいれてくる、可愛いい奴だ。


深澤

「いいよ大丈夫だから」


 しかし大丈夫とは言ったものの、正直廃材の山に登った事は無い。急勾配、高さ約15m程か。ひっくり返ってしまったら洒落にはならない。


 そうなればたちまち現場はストップし、クレーン車の手配をする羽目になる。間違いなく始末書は書くことになるだろう。それだけで済めばいいのだが…。

 

 廃材の山の方向へ向き登り始めると背もたれに体重が乗った。視界の上には空の景色が広がりジェットコースターに乗った感覚に似ていた。俺は慎重にドラグショベルを操作する。


 アームで足場を作っては登り、登っては足場を固めてから次の足場を作る。時間は掛かっているが確実に歩を進めていく。


(後もう少し…)


 それにしても静かだ。搬入車両は並んでいるだろうに誰からも無線機インカムが入らない。


(いや、集中だ。今は登りきる事に…)


 少し時間が掛かってしまったが、無事に廃材の頂上にたどり着いた。俺は旋回して後ろを振り返ったが自分の目を疑った。


 先程までそこにいたはずの皆が、ろう事か誰も居なくなってしまっていたのだ。














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