その物語ができるまで:前編
うだるような暑さの日のことだった。僕はある劇団に依頼されて新作の脚本について考えていた。大衆劇場で主に活動している劇団で、平民からの人気は絶大だ。観劇好きな貴族にも名前が知られていて、お忍びで劇場に足を運ぶ者もいるという噂だった。
僕がこの仕事で少しずつ名前が売れはじめた頃にその劇団の団長が「いずれ一緒に仕事を」と声をかけてくれたのをきっかけに交流をつづけて来たのだが中々機会に恵まれず、やっとお互いのスケジュールが合いそうだったために今回依頼を受けることにしたのだ。
団長は大衆に受ければ僕の好きな話でかまわないと言っていたので、本格的に手をつける前にとりあえずいくつかのアイデアを提示することになった。が、自分の首を絞めるつもりはなかったのに結局のところどんな話がいいのか逆に頭を悩ませる羽目になっていた。
ひと息入れようと女中を呼ぶベルに手をかけた。このベルは魔法の残る国からの輸入品で、複数で一組になっている。取っ手についたダイヤルで相方を指定して鳴らすと指定された相方のベルの音が鳴るのだ。居間や書斎、寝室と、使用人の控室に置かれている。それを鳴らすより先に今いる書斎のドアが叩かれる音がした。入室の許可を出すと執事の一人が僕に来客を告げに来た。珍しいことだ。
結婚を機にこの屋敷に暮らすようになった僕は、元々しがない子爵家の三男で仕事関係も友人関係もせいぜい低位貴族の子息、むしろ平民の方に知り合いが多いほどだった。仕事関係の知り合いがアポなしで突然屋敷を訪れることはなかったし、友人に至っては突然友人の顔を見に行くにはこの屋敷はどうも気おくれしてしまうらしい。
手についたインクを落として身だしなみのチェックをした後、僕は執事を伴って客人が待つ応接室へと向かった。妻の趣味が大いに反映された調度品は品よく落ち着いていて、僕の友人は気おくれするだろうが応接室で僕を待っていた客人はむしろその雰囲気にとてもなじんでいるように見えた。
客人は二人――男女だが、夫婦のようには見えない。男性は僕と同年代のようだったが、女性は僕よりも少し年上に見えた。背筋が伸び、僕が応接室に入ると立ち上がってきびきびとあいさつをした。
「突然の訪問をお許しください」
女性が言った。
「気にしないでください。あ、どうぞお掛けに……」
お茶を持ってくるように指示を出し、僕は二人の向かい側のソファに座ると二人にも座るように勧めた。浅くソファに腰かけた二人をよく見たが、やはり僕には見覚えのない二人だった。
女中がティーセットを運ぶと二人は恐縮し、しかし同時に三人だけで内密に話したいことがあると切り出した。あまりに真剣な様子だったので僕は了承し、何かあったら呼ぶからと言って控えていた執事もお茶を持ってきてくれた女中も下がらせた。
「お心遣いに感謝いたします」
「それで、どう言ったご用件でしょう?」
「……わたくしの名前はテクラと申します。彼はアントン。とある高貴な方のご依頼で、あなた様にお渡ししたいものがあり、こうしてお訪ねいたしました」
「はあ」
高貴な方とは誰だろう? 彼らはその高貴な方の使用人なのだろうか? こんなきっちりとした使用人を持つような相手と今まで付き合いはなかった。妻の知り合いなら、妻がいる時に訪問するはずだしそう言うだろう。しかし今のところ、妻のことは口にも上らない。
「イフナース・アッケルマンを覚えていらっしゃるでしょうか?」
「えっ? イフナース? ええ、もちろん覚えています」
思わぬ名前に僕は目を瞬かせた。イフナースは僕の学生時代一番親しかった同級生だ。卒業と同時に外国へ行くと言って今は連絡が取れず、その名前を聞いたのは随分と久しぶりだった。
「彼からの手紙をお持ちしています」
テクラがアントンを促すと、彼は持っていた鞄から一通の手紙を取り出した。真っ白な封筒にはお手本のような字で僕の名前が書かれていた。送り主の名前はないが、間違いなくイフナースの字だ。なつかしさがこみ上げ、思わずここで読んでもいいかと客人にたずねると、客人たちはぜひそうして欲しいと僕に手紙を読むことを勧めてきた。
イフナースからの手紙には、まず卒業してから三年近くたつのに連絡を取れなかったことへの謝罪からはじまっていた。僕が妻と結婚したことは知っていて、遅れてしまったけれどとそのことへのお祝いも書かれていた。しかし彼の近況はひと言も書かれておらず、彼が今どこの国でどういう生活をしているのか一つもわからずに僕は困惑した。その上、イフナースは僕や妻に会いたいけれどもう会うことは叶わないかもしれないと悲観的な内容で手紙を締めくくっていた。
「イフナースにあなた方は会ったのですか?」
困惑を消せないまま、僕は二人にたずねた。アントンはすぐ首を振ったが、テクラは困ったような顔をした。
「イフナースはどうしているのか知っているのですか? この手紙には彼自身のことは何も書かれていなかった。それにもう会えないだろうとも……」
「……実はわたくしはアールデルス公爵家のディアナ様にお仕えしているのです」
ちらりとアントンを見ながらそう言ったテクラに、僕はますます困惑した。アールデルス公爵令嬢のことはもちろん知っている。この国の王太子殿下の婚約者だ。この国の初代国王の兄弟たちの血を継ぐ三大公爵家に生まれ、王太子殿下と同い年で、王太子殿下が前の婚約者との婚約を破棄した後、卒業と同時に新しい婚約者となった。
「アールデルス公爵令嬢に? どうしてそんなお二人がイフナースの手紙を?」
この国のほとんどの貴族はもちろん王族も王立学園に三年ほど通うが、アールデルス公爵令嬢は通っていなかった。社交の場にも姿を現さず、幻の令嬢と呼ばれていたほどだ。社交好きの妻でさえ未だお目にかかったことがないらしい。とてもイフナースがアールデルス公爵令嬢と知り合いだとは思えない。
「ディアナ様とイフナース様はお知り合いなのです。どこで知り合われたかなどはわたくしの口からはとても申し上げられません」
少しアントンを気にする素振りを見せながらテクラはつづけた。
「ディアナ様はあなた様に謝罪をしなければとずっとお悩みになっておりました」
「謝罪?」
「あなた様がイフナース様と学園に通っていた頃、とても親しくされていたことをディアナ様はご存知です。ディアナ様はあなた方が別れの挨拶も叶わず会えなくなるのはご自分のせいだとおっしゃっていました。あなた様にとても申し訳がないと」
話が見えず、僕は眉をひそめた。
「一体、イフナースに何があったのです? アールデルス公爵令嬢に何か関りがあるのですか?」
「それは申し上げられません……ただ、謝罪をしたくともディアナ様は未婚のご令嬢でしかも王太子殿下とご婚約されております。婚礼ももうすぐです。一方であなた様は既婚の男性――ご自身やあなた様の立場を考え、お会いになったり連絡を取ろうとしたりするのは問題だろうとお考えになり、そちらの手紙も捨てるようにわたくしに命じられました」
「捨てる手紙を持ってきてしまったのですか!?」
「問題があることはもちろんわかっています。ですがディアナ様は本当に落ち込まれていて……」
「待ってください」
ふと、何か引っかかるものを感じた。
「それなら、あなたたちをここに来させたのは一体誰なのです? アールデルス公爵令嬢が僕と連絡を取ることを控えようとしていたなら……」
「王太子殿下です」
テクラが告げた。
「王太子殿下はディアナ様がこのところ元気がないことにお気づきになられていました。周囲は式が近い花嫁は皆落ち込むものだと問題にはしておりませんでしたが……このことは公にはしておりませんが、ディアナ様はもう王太子殿下が住まわれている離宮で暮らしているのです」
「王太子殿下はあなたがこの手紙を捨てようとしているのを見つけて、アールデルス公爵令嬢が僕とイフナースのことで悩んでいると知り手紙を届けるように命じたというわけですか?」
「ほとんどその通りです。しかし殿下は手紙の中身や送り主であるイフナース様のことをもちろん知りません。殿下がご存知なのはその宛名だけ――ですから……」
「まさか、僕とアールデルス公爵令嬢のことを疑っている……?」
僕は青ざめた。アールデルス公爵令嬢とは会ったことも無いのに!
「殿下はディアナ様のお気持ちを一番に考えておいでです」
今まで黙っていたアントンが口を開いた。
「ただし、あなたとディアナ様のことをお疑いなのも事実。憂いを晴らすためにも、あなたを一度王宮へ招待することを考えておられるようです」
てっきりアントンもテクラと同じでアールデルス公爵令嬢に仕えているのかと思っていたが、どうやら違うようだと僕は気がついた。彼の言う憂いとは、僕のことに違いない――ひやりとした鋭利なものが心臓に当てられた感覚がして、僕は見えない位置でぐっと拳を握りしめた。
僕宛ての手紙をアールデルス公爵令嬢に仕えるテクラが捨てようとしたところを王太子殿下が見つけ――あるいはここにいるアントンが見つけ殿下に告げたのかもしれない――、殿下は僕と公爵令嬢の仲を疑った。テクラはイフナースのことを知っている様子だが、僕だけでなくアントンにも彼のことを話せないようだ。あるいは、アールデルス公爵令嬢に口止めされているのかもしれない。
殿下はイフナースの存在を信じなかっただろう――同級生だが、僕やイフナースは身分の違いもあって在学中に殿下とほとんど顔を合わせなかった。もっとも、イフナースの容姿は目立つから特徴を言えばわかるかもしれないが。
とにかく今の段階で、殿下は僕とご自身の婚約者との関係を疑い、テクラに捨てるはずの手紙を届けるように命じてアントンを同行させ、様子を探ろうとしているのだろう。直接会おうと考えているのは疑いが深まった時かあるいは今の状態のままでも直にアールデルス公爵令嬢に近づくなと釘を刺すつもりがあるからだろうか? 安易な展開の予想に、僕は自分がいかに混乱しているかを覚った。普段ならもう少しマシな場面が思いつくはずだ。
何にせよ、王太子殿下やアントンの疑いは見当違いで、僕は会ったことも無い公爵令嬢に想いを寄せてすらいないしもちろん妻のことを愛してる。
「王宮へ……招待ですか……?」
「三人で話し合いたいと――もちろん、あなたには奥方がいらっしゃることを殿下もご存知です」
「いえ、それよりも、そもそも僕はアールデルス公爵令嬢に一度も会ったことがないのです。まずは王太子殿下に誤解だとお伝えいただけませんか? その上で、イフナースのことで教えられる範囲でいいので教えて欲しいとアールデルス公爵令嬢に伝えていただけないでしょうか……?」
「……わかりました。そうお伝えしておきます」
「妻に今日のことを話しても?」
少し考えて、僕はたずねた。本当に王太子殿下が僕を王宮へ招待するつもりなら、妻に黙っているわけにはいかない。妻の方が高位の貴族と知り合いが多く、王宮に勤める知り合いもいるからだ。それに、話し合うにしても妻がいてくれた方が僕としては心強かった。
「今日お話しした頃は、あなた様の判断でお伝えしていただいて構いません」
客人二人はそれからすぐに退出してしまった。僕の手元に残ったのは学生時代の親友からの手紙と、異様な疲れだけだった。
その晩、すっかり寝るしたくを整えて寝室に下がった後、僕は妻に昼間屋敷を訪ねて来た奇妙な客人についてを話して聞かせた。もちろん、王太子殿下にアールデルス公爵令嬢との仲を疑われていること、僕自身は公爵令嬢と会ったことがないことまで。
妻は最初、二人が本当に王太子殿下とその婚約者に仕えている人間なのかと疑っていたが、イフナースからの手紙を見せると多少は納得した様子だった。
「確かにこの綺麗な字は彼のものね」
何度も手紙を読み返しながら妻は言った。
「イフナースに何かあったのかしら? わたしたちがこうして結婚できたのも彼のおかげだし、何か困っていることがあったら助けてあげたいわ」
「そうだね……何か厄介なことに巻き込まれていなければいいんだけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。