第3話 駒井がいるから

「面談は終了したんだね?」


 診察室から駒井が出てきた。既にコートを着て、鞄も脇に抱えている。こちらの帰り支度が済み次第、帰ろうといった無言の圧を麻子は感じた。


「今日はパーキングまで一緒に行ってくれないか?」


 駒井は最初から送る前提で話を進める。


「私がひとりで帰ると、何か、あるんですか?」


 麻子は事務室に戻る前に、廊下で声を響かせた。麻子の側を通り抜けた駒井は、肩越しに振り返る。


「本多圭吾君が待ち伏せしている」

「……えっ……?」

「夜の十一時ぐらいだったかな。僕が一人でビルから出たら、そこの街路樹の後ろから、いきなり出てきて襟首を掴まれたんだ。お前が麻子の新しい男かって、すごまれたから」


 ビルの前には大通りに抜ける道路がある。等間隔の街路樹の根元には、不法投棄された生ごみを、カラスが突いて散乱させたり、瓶類、缶ビールの類のゴミも投げ捨てられたままの路地。駒井が指をさしたのは、そんな裏路地の街路樹だ。

 治安がいいとは、言い切れない。


「圭吾が……ですか?」

「彼の標的は僕だから。長澤さんが、すぐに新しい交際相手を見つけたと思い込んでいる。もしかしたら柚季君の面談のあと、二人でビルを出て来たところを見てるんじゃないのかな。日付もとっくに回っているのに、二人でビルにいた訳だから」


「それじゃ……」

「普通は元の交際相手をストーキングするんだけど、彼はちょっと違うらしいな。僕が対象になっている。あえてここで待ち伏せてるのは、長澤さんの目の前で、僕を刺したりしたいからだと、思っている」

「先生には関係ないのに……、そんなこと」


 麻子は前のめりになり、語気を強める。


「前の時は、通りかかった人達が警察すぐに呼んでくれて、助かったよ。本多君は警察車両に乗ったけど。僕だって彼を犯罪者にはしたくない」

「私は先生に指一本でも触れさせたくない。あんなクズに」


 麻子は「ちょっと待ってて下さい」と、駒井に告げると、事務室のロッカーからコートやバッグを抱えて戻る。勘違いもはなはだしい上、自分は他の女に乗り換えておきながら、元カノの男にだけは敵意を燃やす。いまだに自分の所有物だと思っている。



「私……。圭吾に話をします」

「いや、しばらく僕が長澤さんを車で送って、そのまま引き返すところを見てもらう方がいい。恋人だったら部屋に入れるはずだから」


「それで止めたりするんでしょうか」

「本多君の気が済むまで続けさせたら、いいんじゃないの? 遅くまで二人でビルにいるのはともかく、車で送ってもらっているのに部屋には入れない恋人なんか、いないでしょう?」


 麻子は駒井に促され、ビルの共同廊下に二人で出た。駒井が玄関ドアに鍵をかけ、階段を降りていく。今日は駐車場まで一緒にと言われたのなら、駒井の説明とは裏腹に、圭吾のストーキングが度を越し始めているのだろう。


 よりにもよって、同じ職場の女で二股かけて、の方と帰省して、プロポーズまでしたというのに、いざ、人の手に渡るとなると惜しくなる。往復ビンタを十回ぐらいかましてやりたい。ふざけるな。


「あんまり刺激しないでね。そのうち飽きるよ」


 麻子の鼻息の粗さを駒井は背中で感じ取っているのだろう。一階まで着き、苦言を呈され、頭を下げる。


「先生を、こんなことに巻き込むなんて、本当に申し訳ございません」

「本多君が結婚するのは畑中さんで、交際中だったのは長澤さんでしょ? そこに僕が加わった。狭い人間関係の中だけで、いろいろ起きると、収集がつかなくなりやすい。今は頭に血が上ってるけど、本多君だって、これからは家族を守っていかなきゃならない立場だ。そういつまでも元カノの、今カレもどきに目くじら立ててられないよ」


 駒井は飄々として、麻子の不安を柔らげる。

 それが駒井の本職なのだが、危機的状況にあってでさえも、麻子は駒井がいるだけで、まゆにくるまれたようになる。そびやかした肩から自然に力が抜けている。

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