第5話 聞いておきたいことがある
前回と同じように事務室や、待合室の電気も消した。廊下は一番奥の、第一面接室の前だけが点いている。
明かりが消された院内の、待合室の非常灯。
いつだったか、閉じたはずの面接室のドアが全部開いていた時、駒井は言った。
ここには人の念がこもっているから。
説明がつかないことも起きるのだ、と。
説明がつかないことでも自分は対応できるのか。
第一面接室のドアノブは冷えている。誰もいない場所の電気も暖房も消されている。まだ十分ぐらい早いのだが、中にいて、待っていようとドアノブを掴む。ドアを開く。
中にいても外にても、どのみち呼び出す必要はないからだ。
面接室から暖房で温められた空気が廊下に流れ出る。その中に、針葉樹の深い森を思わせる、凛としていてシャープな匂いを嗅ぎ取った。
「早く来すぎて、ごめんね。先生」
ホーストコピーが、クライアントの定位置に座っていた。パイプ椅子の背もたれに片腕を引っ掛け、肩越しに麻子を
麻子は部屋の空気に押されるようにのけ反った。
しかし、同時に腹が立つ。
「面談時間を守って下さい。開始時間まで、まだあと八分ありますから、面接室を出て下さい」
こんな勝手なことをされたなら、別のクライアントがした時も、きっと同じようにする。羽藤は、ぽかんと口を開け、麻子の顔をまじまじと見る。これでホーストコピーが機嫌を損ね、二度と姿を見せなくなっても構わない。
この場においての蛮行は許さない。
「マジで恐いな。羽藤柚季や日菜子には尻尾振ってて、俺にはそんな扱いか」
「約束を守らない人に注意するのは、当たり前のことですよ」
出入口でのやり取りを交わすうち、十一時まであと二分にまで迫っていた。麻子は足を踏み入れた。ドアを閉め、つかつかとテーブルに向かい、カウンセラーの定位置に着席する。
「それでは、午前零時までの六十分間。自由に話をして下さい」
この席に腰を据えるとオフだった神経がオンになる。カウンセラーの自分になる。羽藤のフェイントは、束の間の驚きだ。
「自由に何でも話していいの?」
挑発されたが、黙っていた。自由にと、何でもの、許容範囲はカウンセラーが決めること。口汚く
六十分の間だけ。
「俺さ。先生に聞きたいことがあるんだけどな」
「個人情報でなければ、どうぞ」
「これって個人情報になるのかどうかは、わかんない」
「聞かれたことが個人情報だったなら、そう言いますから大丈夫です」
「本当に?」
今日の彼は、ゆったりとしたパーカーに、ブラックのパンツを合わせている。中はTシャツタイプの白のフリース。銀のチェーンのネックレス。左手の人差し指と薬指、右手の薬指にシンプルな銀の指輪をはめている。
主人格の羽藤柚季はアクセサリーも香水も使わない。髪型は、主人格の羽藤の髪をワックスでアレンジするだけ。
染めたら主人格と分身の、区別がひと目でつくからだ。
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