第10話 寿退社 

 ガラス戸の正面玄関前には、診察の受付を待つ人が十数人ほど群れている。

 畑中は施錠を解除した。ドアが開けられ、受付カウンターに整然とした列ができる。

 今日は契約社員のカウンセラーも来院する。

 その分、クライアントも多くなる。


「おはようございます」


 畑中は通院者から健康保険書を受け取って、待合室での待機をすすめる。優しい笑顔と甘ったるい声。それがいっそう鼻につく。年明けとはいえ院内は、年末までと変わりがない朝。


 そうこうするうち、契約社員のカウンセラーも出勤した。


「おはようございます」


 今日は外部の人間が混ざってくれていることが喜ばしい。デスクの前で立ち上がり、新年の挨拶を交わし合う。

 彼は自分のデスクに向かい、麻子も座る。早速リュックの中からファイルをいくつも取り出した。そして手に提げていたコンビニ袋の中身も並べる。


「すみません。僕、朝飯まだなんで。食べちゃっていいですか?」

「はい、どうぞ。大丈夫ですよ」


 麻子はパソコンの電源を落として折り畳み、給湯室へ行こうとした。


「あれっ? 三谷さんは、お休みですか?」


 畑中が業務についているうちは、三谷がお茶入れをするからだ。


「三谷さんは、院長と話をしていて」

「そうですか」


 二十代後半の彼は自分の立場を心得て、必要以上に入り込まない。若いけれども有能だ。デスクに握り飯ふたつを出して早速食べ始めている。麻子は急須と湯飲みで丁寧に緑茶を入れた。

 それを盆に乗せて運び、二個目にかぶりついている彼の手元に湯呑みを置いた。


「ありがとうございます」


 片手で湯呑を鷲掴みにして、ひとくち啜る。

 

「えっ、旨っ」


 感情表現が豊かな彼は、麻子が入れた緑茶を飲むなり、瞠目した。それだけで、ささくれ立った心が和らぐ。麻子が盆を給湯室に戻そうとしかけると、診察室のドアが開く。

 

「失礼します」


 と、事務室に戻ってきたのは三谷だけ。


「あら、つるさん。おはようございます」

「あけまして、おめでとうございます」


 朝食を食べ終えた鶴は椅子を引く。自ら三谷に近づいて、新年の挨拶を済ませた鶴は、診察室の院長に、そして受付にいる畑中にも足を運び、帰って来た。


「畑中さん、今月いっぱいで退職されちゃうんですね」

 

 少しがっかりといったニュアンスで、眉尻を下げた鶴は、話を続ける。


「だけど、寿退社みたいだし。お祝いしないと」

「あら、鶴さんだって、畑中さん狙いだったんじゃないですか?」

「まぁ。そりゃあ……。そうでしたけど」


 と、痛いところを突かれたように、鶴が首の後ろに手を当てた。若々しくて朗らかで、目鼻立ちが整った鶴も、彼女に声をかけていた。

 そして何度か食事に行ったことなども、事務室で嬉し気に話していた。



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