プロローグ / "Nothing about us without us"
————————————————————————————————————
彼は俺たちすべてを知った、俺たちすべてを愛した。
知ろうではないか、
この冬の夜、岬から岬へわたり行き、錯乱した極地から館に至るまで、群衆から浜辺に至るまで、眼は眼に見入り、様々の力と疲れた心が、彼を呼び、彼を眺め、彼を送るのを。また、海の潮をくぐり、雪の曠野を飛び、彼の眼を、彼の息を、彼の肉体を、彼の日を追うのを。
————————————————————————————————————
都内、目黒区の中心。中目黒。
駅のすぐ近くに、大きなビルがある。たくさんの大手企業が入っているそのビルの高層階に、とある法人の事務所がある。
その事務所では、会議が行われている。
「事前にお配りいたしました定款と、それについての説明文書がお手元にございますでしょうか。特に、第3条に盛り込みました定義、及び第34条の2の安全配慮についてご検討いただけているものと、進めさせていただきます」
スクリーンに表示されている会議ソフトのメンバーの一人が発言する。「理事長」
「どうぞ」理事長と呼ばれた人物は、発言を促す。
「第3条の文言に障害者権利条約のニュアンスを盛り込んだ点は他に例を見ないものだと思いますし、非常に意義のあるものだと思います。強く賛成します」
「ありがとうございます。"Nothing about us without us"の文言は私も知りませんでした。志を同じくする理事と社員の皆様方がいなければ、志をこうも綺麗に落とし込むフレーズは見つからなかったでしょう。本当にありがとうございます」
「"Nothing about us without us"」
それは、「私たちのことを、私たち抜きで決めないで」というスローガン。
理事長と呼ばれた人物は、「では、議長」と、述べた。
「ではお諮りいたします。第二号議案である定款についてご異議ございませんか」
会議に参加する理事たちが一斉に強く言った。「異議なし!」「異議なし、賛成!」
先ほど議長と呼ばれた者が、こう言った。
「それでは満場一致で承認されたものと扱います。よろしいですね、当麻理事長」
「ええ。……皆、ありがとうございます」
海百合が副所長をつとめる探偵事務所に、行政書士の赤木が訪れていた。
そもそもが、彼が持ち込んだ話であったのだ。
「そう、もともとは、彼が、私のもとにこんな依頼を持ち込んできた。それが始まりだったんだ」
ケースから、海百合に一束の書類を取り出して、頭紙の二、三枚を、見せた。
「これは特定非営利活動法人……設立?の依頼ですか」
「そう……」
「彼は必死だったよ。特定非営利活動法人を設立するのは、会社を設立するよりずっと大変なんだ。少なくとも、賛同者が10人必要だ。右から左、集められるものじゃない。いまどき、障害者を支援する特定非営利活動法人……いわゆる、NPO法人だね。NPOなんて、いくらでもあるさ。それでも、これは、違う。彼は悲観した。悲観したそのことを、感性を、自分を、信じたのだ」
そして続けた。「その心を信じてくれる誰かがいると、信じて」。
「海百合君、結果的に、君の事務所には悪いことをしたのかもしれない。でも、許してくれるだろうか?」
「香具村は死んだわけではありません。それよりも、トウマ氏の遺志を引き継げるなら、こんな嬉しいことは、ありません」
そしてこう言った。
「探偵として、……いえ、私として最高の蹴りを付けることができたと思っています。トウマ氏は生き続けることでしょう」
その特定非営利活動法人——NPO法人は、当麻のような障害者的経験をした者が主体となり、障害者を支援するNPO法人として、スタートを切った。
当麻はその法人に、いろんな意味を込めて名前を付けた。特に、「声を上げる」という意味と、「生きる」という意味を。もちろん。
これがのちに東京から生まれ全国にいたり、また、その想いは海をくぐり、大空を駆けることになる特定非営利活動法人
想いは言葉となる。
その言葉は、偶然にしろ、必然にしろ、誰かに届くと願う。
届いたなら。
その想いは、海をくぐり、大空を駆ける願いとなろうとする。
希望となり、
誓いとなり、
現実になることを夢見て、
響き給え……、声よ。
私は、それを生涯、望み続ける。
―――――――――――――――――――――――――
安らかなる母、尼に亜ぐ。双極性障害殺人事件
作中の引用文は全て「地獄の季節」(ランボォ/Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud 小林秀雄訳、岩波文庫)によりました。
本作品はフィクションです。
作中に登場する人物は一部を除き、架空です。
協力:トーマ 様(RayV 代表)
―――――――――――――――――――――――――
安らかなる母、尼に亜ぐ。双極性障害殺人事件 赤キトーカ @akaitohma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます