第2話 死臭 -邂逅-

「人の死期が分かる……」


 私は、正直興奮していた。


 どうしても、この話を聞きたいと思った。


「あの、その話を詳しく話していただけないでしょうか」


 そう女性客に乞うと彼女は、困った様な顔をする。


「あの、ごめんなさい、私、人に何か話して聞かせるのってとっても苦手で、上手に話せる自信がなくって」


 私は、自分でも戸惑うほど、熱くなっていた。諦められずに食い下がる。


「そんなこと言わず、お願いします」


 彼女はますます困り顔になってしまった。


 しまったと思った。


 何か取り繕わなければと、おどおどしていると、店主が助け舟を出してくれた。


「それでは、お客さま、私からお話いたしましょう。山田さんもそれならば良いでしょうか?」


 この女性は山田さんというのか。


 山田さんは店主の提案に大きく頷く。


「もちろん。最初からそのつもりでしたし、私も詩織さんの語りで聞きたいです」

「お客さまもよろしいでしょうか?」


 店主は私にも了解を取る。


 私としては、この話を聞ければ何でもよかったし、確かにこの山田さんが言うように、店主のあの不思議な声色で怪談を聞いてみたいと思った。


 私も頷く。


 すると店主は、いや、怪談師は声のトーンを少し落として語り出した。


 その声は、変に芝居がかっているということはなく、あくまで淡々としており、無機質な印象すら受けた。しかし、それがかえって現実感を失わせ、私はものの数秒で異界へと連れ出されてしまったのだった。


 ああ、そうか。この怪談師のこの語りがあれば、店の雰囲気など関係ないのだ。例え晴天の下であれ、彼女が語り出せばそこは異界となり得るのだ。


 私の背筋に、言いようのない涼しさが這い寄ってくるのを感じた。


 このお話は、このお店の常連様、A子さんという方から伺った話です。


 A子さんは、このK市近郊のとある大きな病院で働いてらっしゃる看護師さんなのですが、A子さんの職場に、少し変わった方がいるそうなのです。


 その方は、看護師の先輩なのだそうです。


 その方を仮にB子さんとしておきます。


 B子さんは、看護師歴二十年の大ベテランだそうで、非常に物腰の柔らかい、とても優しい方です。


 そんな人柄ですから、患者さんにはもちろん、後輩看護師や、医師の方達にも大変頼りにされていました。


 A子さんも、看護師なりたての一年目のころ、B子さんに何度か直接指導されたことがあったようで、患者さんへの接し方とか、医療にとても真摯な姿などを見て、とても尊敬していました。


 一年目には、それはそれは覚えることがたくさんあって、周り先輩看護師の様子を気にする余裕なんてなかったそうなんですが、キャリアを重ねて、三年目にもなると、B子さんのおかしな言動に気がついたそうなんです。


 それは、お盆も近づいた、ある夏の金曜日のことです。


 この日は、前日からA子さんは夜勤でした。


 夜勤明けというのは、次の日絶対にお休みなんだそうですね。そして、A子さんはその次の日もたまたまお休みだったらしく、久々に、土日連休です。


 ですから、普段は休みが合わずに会えない友人と土日に遊びに行く予定があって、うきうきしていたんです。


 さて、待ちに待った交代の時間が来て、申し送り、つまり受け持ちの患者さんの容態や、その他の注意点などを引き継ぐ時間になったのですが、その引き継ぎ先が、例のB子さんでした。


 B子さんは、いつものように優しく微笑みながら、A子さんの話を聞いていたそうなんですが、ある高齢女性の患者さんの話になると、少しだけ顔を曇らせました。


 この患者さん、決して軽い病気ではなかったそうなんですが、とっても明るく元気な方で、おしゃべりが大好きでした。


 そんな患者さんに関する申し送り事項を聞いていた、B子さん、突然こんなことを聞いてきました。


『ねえ、A子ちゃん。この患者さん、何かいつもと違うところなかった?』


 その患者さんはいつもと変わらず元気だったので、特に何もおかしくなかったと答えたのですが、B子さんはまだ納得できないようで、首を傾げます。


 一通り申し送りが済むと、B子さんはその患者さんに会いに行くというので、何となく気になって、一緒についていくことにしました。


 病室には、昨日と変わらず元気な患者さんがいました。


 B子さんも、いつもどおりその患者さんに優しく話しかけていて、そんな光景を見ているうちに、やっぱり変わったところなんてないじゃないか……と思ったのです。


 そんな数分間の短い会話ののち、二人で病室を出て、ナースステーションに戻ってきました。


 すると、B子さんが、言うんです。


『あの患者さんの担当って、C先生よね?』

『はい』

『まずいわね……確かC先生って、明日明後日お休みよね?』

『そうですけど、何かありました?』


 そう聞くと、B子さんは言いにくそうな顔で、こう言いました。


『あのね、A子ちゃん。あの患者さんね、多分明日か明後日あたりに亡くなると思うの。その時、C先生はいないから、死亡診断書を当直の先生に書いてもらわないといけないのだけれど、やっぱり担当医じゃないと埋めにくい欄とかもあるの。だからこういった場合、万が一に備えて、先に死亡診断書を作成してもらっておくことが必要なのよ。私、ちょっとC先生のところに行ってくるね』


 そう言って、B子さんは、ナースステーションを出て行ってしまいました。


 まるで、その患者さんが亡くなることを確信しているみたいでした。


 さて、土日を挟んで次の出勤日、A子さんは、夜勤を担当していた後輩看護師から申し送りを受けていました。


 その中に、あの例の患者さんが昨晩亡くなったという報告がありました。


 当然驚きました。


 あんなに元気だったのに、なぜ? いや、それよりも、なんでB子さんは死期がわかったのだろう?と……


 しかし、その時は、当然この後仕事が待っていたわけで、あれこれと考えている余裕もなく、偶然だろうと思うことにしました。


 しかし、その後、何度も同じようなことが起こりました。


 A子さんは、B子さんには不思議な力があると確信したそうです。


 そして、A子さんは、B子さんが恐ろしくなりましたが、それ以上に、なぜ死期が分かるのかが気になりました。


 だから、A子さんは、思い切ってB子さんに聞きました。


 するとB子さんは、眉を顰めてこう答えたそうです。


『匂いでね……分かるのよ。死期が近い人からは、死の匂いがするの』


 B子さんが決して、嘘を言っているわけではないということが、その真剣な眼差しから分かりました。


 A子さんは、それ以上何も聞けなかったそうです。


 そして、私にこの話をしてくれた日、A子さんは怖いと言ってました。


 私は、『確かに、そのB子さんの不思議な力は、少し怖いですね』と同意すると、彼女、首を振るんです。

 不思議に思って、何が怖いのか聞きますとね、A子さん、真っ青な顔して言うんです。


『このまま看護師を続けていたら、ひょっとしたら私もこの不思議な力に目覚めてしまうかもって思うんです。でもね、そしたら、自分の死期もね、分かってしまうんじゃないかって……それが怖いんです』


 *

 怪談師は静かに一礼をした。


 私は、この話が終わりを迎えたことに気がつく。


 しかし、異界に飛んでいた私の頭はなかなか現実に戻ってくることなく、まだふわふわしていた。


 心臓が早鐘のように鳴っていた。


 私は乾いた喉を潤そうと、グラスに手を伸ばした。


 隣に座っていた山田さんが、自分の肩を抱きながら、怪談師に語りかける。


「流石、詩織さん。私の話のはずなのに、初めて聞いたみたいに、どきどきしました」


 すっかり意識の外であったが、この怪談のA子とは、この山田さんであったことを思い出す。


 すると、この捉えどころのない不思議な怪談が急に確かな現実感を持ち始め、心にそっと忍び寄ってきた。


 私は思わず、身震いした。


 山田さんは、バツの悪そうな顔をしながら続ける。


「それで、あの、詩織さん。この話のこと、何か分かりましたか?」


 私には、山田さんの質問の意図が分からなかった。


 この怪談はこれで終わりではないのだろうか?


 しかし、体験者は、山田さんであり、続きがあるとすれば彼女の口から語られるべきである。


 そんな私の困惑を読み取ったのか、怪談師、もとい店主は補足をしてくれた。


「お客さま。私は、怪談を語り聞かせることもありますが、怪談師というより、むしろ蒐集家なのです」

「蒐集家……」

「そうです。私は怪談が好きです。好きですが、決して語ることが好きなわけではありません。私の興味は、なぜその怪談が生まれたのか、なぜそれが人を恐怖させるのか、そして、どのように広まっていくのかという、怪談のメカニズムにあるのです。私はそれを、根源と呼んでいますが、その根源を明らかにすることが好きなのです」


 そう語る店主は、確かに、しかし静かに興奮している様だった。


「怪談の根源を暴く……」

「そうです。ですから、山田さんにこのお話を伺った時、私なりに調べてみることをお約束したのです」


 なるほど、この店主はただの怪談師というわけではないらしい。


 私は、興奮した。


 やはり、この店を選んだ私の直感は正しかったのだ。


「それで、詩織さん。何か分かりましたか?」


 山田さんは、店主に再度問いかける。


 店主は、あの、霧の中から響くような、それでいてはっきりと聞こえる不思議な声色で答えた。


「はい。この死臭の正体が」

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