第29話 幸せの赤い糸 -エピローグ 祓え-
私は、この藤堂にどうしても聞きたいことがあった。
「藤堂 由紀子さん」
彼女は少し意外そうな顔をするが、すぐに落ち着いた表情に戻る。そして、小さく、「なるほど」と呟いた。
私は、構わずに続ける。
「なぜ、十年前に、信徒達の後を追わずに、教義を引き継ぎ、布教する事を選んだのですか」
今までの藤堂の口ぶりから、想像するに、久世の輪の教義、いや、最終目標とでもいうべきか、それは、現世を捨て、輪廻転生の輪から抜け出す事。この世こそ地獄と考えているのだと思われる。
だからこそ、教祖を含め、信者全員で、集団自殺を行ったのだ。この地獄から抜け出すために。
しかし、彼女はただ一人生き残ってしまった。しかし、何故、その後すぐに、他の者たちの後を追わずに、今まで生きてきたのだろうか。考える時間は十分にあったはずだ。
十年前と同じように、何らかの宗教儀式をしなければ、輪廻からは抜け出せないという事なのか?
しかし、彼女の被害者ともいうべき者たちは、皆、思い思いの方法で自らの命をたっている。彼女は、己の信者が救われることを心から望んでいると思う。それは、春香さんの絶望に共鳴して涙を流したことからも窺える。そんな彼女が、作法を違えて死のうとする信者を止めないはずがない。つまり、死に方などは問題ないのである。神さえ信じていれば救われると、本気で思っているはずだ。
ならば、彼女はなぜ、まだ生きているのだろうか。死ぬことは救われることと信じているのにも関わらず。
「そこまで、調べはついているのですね」
彼女は落ち着いた様子で答える。
「なぜ、まだ生きているのか? あなたは、そう私に問うのですね?」
「そうです。それだけが分からないのです」
「それは、生きて苦しむことが、私への罰だからですよ」
彼女は、悲しそうな顔をする。
「私は、十年前、たしかに久世の輪に入信していましたし、縁結びの儀にも参加しました」
集団自殺は、縁結びの儀と呼ばれていたのか。なんとも悪趣味だと思った。
「しかし、私は神の存在をあまり信じていなかったのですよ。当時の私は、この世で生きる希望を失っていました。ただ、ひとりで死ぬ勇気も無かった。だから、皆で逝けるのなら、何でも良いと思っていました。導師様は、常日頃から、
彼女が、私が春香さんの目を覚まそうと芝居を打っていた時に黙っていたのは、信仰心が揺らげばどのみち神の救いはないと考えていたからなのか。
「では、あなたは、その罪の贖罪としてこの地獄で徳を積んでおられたのですね?」
「そのとおりです。いつしか、薬神様がお迎えに来てくださるその日まで、私は、ひとりでも多くの者を救うことにしました。これは、私の罪滅ぼしなのです」
彼女は本気だ。
本気で死が救いだと考えているのだ。
この国では、それが自殺ほう助という立派な犯罪だと知っていても。
彼女から、薬神を祓うことはできない。
私には、もう、どうする事も出来ない。
その時だった。
彼女は、私と小林くんのちょうど中間あたりを凝視したかと思うと、驚愕の表情を浮かべ、ぶるぶると震えだした。
あまりの取り乱しように、発作でも起こしたのかと考える。
しかし、震える声で彼女ははっきりと言葉を発した。
「あぁあああ!! 薬神様ぁ!!」
彼女は、弾かれたように椅子から立ち上がり、五歩ほど後退すると、地面に平伏する。
驚いた私と小林くんも同時に立ち上がる。
そして、彼女が先ほどまで見つめていた空間を振り返り見つめる。しかし、そこには何者もいなかった。
あまりのことに、床に座り込み抱き合っていた親子も目を見開いて、固唾を飲んで彼女の奇行を見守る。
彼女は平伏したまま、喜びに震える。
「ようやく、お許しいただけるのですね。私も、お連れいただけるのですね! あぁ、御心のままに!!!」
そう言って彼女は胸に付けたブローチを引きちぎり、それを開くと、中から何かを取り出す。
意図に気がついて、咄嗟に駆け寄る。
彼女は自殺をしようとしている!
しかし、間に合わない。わたしが彼女の肩口を掴むと同時に、彼女は、何か小さい物を飲み込んだ。
「藤堂さん! 今、飲み込んだ物を吐いてください!」
そう言って、揺さぶる。
彼女は、恍惚とした表情を浮かべていたが、突然胸を押さえて苦しみ出す。
声にならない悲鳴を叫びながら、長い手足を力一杯ばたつかせる。私は跳ね除けられて、尻餅をつく。
彼女は、そのまま、仰向けに倒れ込むと、胸を押さえながら仰反り、目を見開き、口から泡を垂らしながら、掠れ声で叫ぶ。
「く、くるし……い……あぁああ……な……んで……かみさま……うそだ……うそだ……わたしは……あなたを……しんじて……あ……ああ…………あぁああああああああ!!!!嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきうそつきうそつきうそつきうそつきうそ……つき…………」
彼女はありったけの怨嗟をばら撒いて、そして、絶命した。
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