第507話 犬はおしおきする(第三者視点)
ラックは普人から許可を貰い、アメリカの救出作戦を一人で行うことになった。
一人と言っても多数の影魔がアメリカ大陸にも放たれているので、全く一人と呼ぶことはできないが。
すでにラックからの指示でその一匹一匹が配置についている。
ラックが向かったのは、以前普人を襲ったカリフォルニア州の海岸。そこにはかつて普人を襲った軍人たちが魚人を迎え撃つために集結し、激戦を繰り広げられていた。
しかし、その戦線は決壊寸前だった。
「お前達!! この程度で諦めるな!! 我らは誇り高きカリフォルニア州軍である。最後まで死力を尽くせ!!」
ラックが以前脅した司令官が崩壊寸前の軍人たちを叱咤する。ただ、そんなもので士気が上がることも、戦況が覆ることもなかった。
なぜここに来たのかと言えば、軍の動向をきちんと監視するためだ。これから行うことには細かな指示が必要になるため、自分の眼で戦況を確認したかった。
ラックとしては助けなくてもいいんだが、普人が極力人死にを嫌うので、ギリギリ死人が出ないレベルでの手助けに留めるつもりなのだ。
最低限以上の影魔はここから撤退させ、その分他の海岸の守備を厚くしていた。だからこそのこの結果と言える。
「ぐぅううううっ。まさか本当にこれほどの軍勢が来るとは……。信じて事前にもっと準備を重ねておくべきであった……」
すでにいつ戦線が崩壊してもおかしくない。
そんな状況になって初めて司令官はハンターズギルドからの報告をないがしろにしたことを後悔していた。
「しかし、撤退しようにも負傷者が多すぎて逃げ切れないだろう……」
目の前の状況と、負傷者が運ばれている簡易治療施設を見比べて、もうどうしようのないところまで来ているのは明白。
「かくなる上は私だけでも……」
この男には自分も一緒に戦場に散るなどという考えは微塵もなく、自分一人が助かるためにここから逃げ去ろうとし画策し始める。
しかし、そんなことを許すラックではない。
「ウォンッ」
「ひぃ、ひぃいいいいいっ!? な、なんで!?」
影の中からラックが鳴くと、司令官は飛び跳ねるほどに驚き、辺りをきょろきょろと見回しながらその声の主を探す。
しかし、その声の主はどこにも見当たらない。
「ははははっ……まさかな……。あれから一度も化け物は姿を見せていない。もう俺を見ているはずがないんだ……」
何も見つけられなかったにも関わらず、都合のいい解釈をして再び逃げようと荷物をまとめ始める司令官。
ラックは追い打ちをかけるように鳴く。
「ウォンッ!!」
「ひっ!? そんなバカな!?」
二度目の鳴き声を聞いた司令官は、荷物を放り投げて近くにあった軍用車に張り付いて怯えて体を震わせる。
「ウォンッ」
「ぎゃっ」
さらにラックは司令官を車から引きはがすように小突くと、彼は軽く吹き飛んで地面を転がった。
ラックの攻撃は手加減しても相応の力があるため、鼻で突いただけでもかなりの威力があるからだ。
「ひぇええええっ!? 本物!? なぜここに!?」
声と物理的な接触があったことでようやくラックが幻覚ではないことを理解する。全く関係ないラックがここに居る理由が分からずに怯えながら叫ぶことしかできない。
「やめろっ」
「やめてっ」
「やめてください」
ラックはさらに鼻で突いて戦場へと押し出す。
転がす度に司令官の口調が丁寧になり、転がすのを止めるようにラックへ懇願するが、ラックはその声を受け入れることもなく、魚人と探索者入り乱れる浜辺へと連れて行った。
「ぐへっ」
浜辺と司令部との間には落差があり、転がされるままに砂浜の上に落ちた司令官は、つぶれたカエルのような声を出す。
「いたたたたっ……ここは……どうして戦場に!? まさか戦え、そういうことなのか!?」
司令官は自分がここに連れてこられた理由を戦々恐々になりながらも察した。
「ウォンッ」
「ひぇ!? わ、分かりました。た、戦いますから転がさないでください。お願いします!!」
ラックがその通りと鳴くが、さらに転がされると思った司令官はその場で土下座をして何度も頭を下げた。
「ウォンッ!!」
「は、はい!! 戦わせていただきます!! 行って参ります!!」
ラックが再び鳴けば司令官はすぐに飛び起きて敵に向かって駆けて行った。
「死にさらせやぁああああああああ!!」
やけくそになった司令官は敵を殴りつける。司令官は腐っても元Aランク探索者の力を持つ男。普通の魚人は本気を出せば、倒せなくないのに後ろで指揮し過ぎてビビっていただけだ。
ここにきて彼は戦うことを少しずつ思い出し、戦況の回復に一役買い始めた。
その姿をラックは満足そうに見つめる。
そこからは致命傷になりそうな攻撃からだけ軍人たちを守りながら、出来るだけ彼らに働かせるように誘導していく。
ラックの支援を受けて戦線は徐々に押し上げられていくが、軍人たちは疲労困憊になるのであった。
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