第037話 犬っころとしての幸せな生活(第三者視点)

 まだ薄暗く、外が白み始めた頃。


「グォ~……グォ~……」


 寮の普人の部屋で寝息を立てているのは一匹の獣。


 そう、普人にボコボコにされて獣魔に下った、ブラックフェンリルのラックである。


「ングォッ!?」


 寝息が止まったと思えば、ラックは目を覚まして辺りを見回す。特に何か問題が起こっている様子はない。外からの敵性存在の気配も感じない。


「ス~……ス~……」


 ラックの主である佐藤普人はまだ寝ている上に、外も暗いことからまだ日が昇っていないことがわかる。再び寝入るために体を伏せる。ラックはふと暗くて痛くて冷たくて狭い、あの空間に閉じ込められる前の事を思い出す。


 あの頃は己の中の破壊衝動に従い、こことは別の世界中で破壊の限りを尽くし、悪魔をも喰らったこの自分が、今ではこうして何も破壊することもなく、のんびりと本来必要のない惰眠を貪り、人の手によって与えられる食事を食べる生活を送って満足していることを、ラックは不思議に思った。


 ラックはふと片目を少し開けて目の前のベッドで寝ている主人を眺める。


 それもこれもラックの目の前で無防備な寝姿を晒している主人のおかげだ。


 暗くて痛くて冷たくて狭い、あの空間に閉じ込められていたラックは、外で何かが変わったのを感じて、出来うる最大の力で咆哮を放ち、その空間を打ち破った。


 外は痛みがなく、薄暗いが光がないわけでもなく、冷たくもなく、狭くもない心地よい世界。解放されたその世界に最初にやってきたのがラックの今の主人である普人であった。


 ラックは閉じ込められていた間の怒りと破壊衝動を、ノコノコとやってきた普人にぶつけたが、一切体にダメージを与えることが出来ず、逆に彼にはたった一撃で大きなダメージを与えられてしまった。


 こいつには勝てない。


 ラックは本能でそれを悟ってしまった。封印される前は暴虐の化身として恐れられたラックも、普人の前では他の生き物と同じくただの弱い生物であった。ラックは長い狼生の中で初めての恐怖を感じ、普人に降参することにしたのである。


 普人は降参したラックを殺そうとはしなかった。


 しかし、ダンジョンから脱出するのに、それ以外に手段がなければ殺すことに躊躇いがなくなるだろう。


 だからラックは必死に懇願して従魔契約を結ぶことにしたのである。そうすればラックが討伐されたとみなされ、帰還魔法陣が設置されると予想できたからだ。


 案の定、従魔契約をすると帰還魔法陣が設置された。その結果を見てラックは安堵のため息を吐いた。それと同時に自分の中にあった破壊衝動が綺麗さっぱりなくなっていることに気付く。


 これは望外の効果であった。


 普人の元ではラックは普通の犬として生きることが出来る。誰にも恐れられることも、討伐されることも、孤独になることもない。


 少なくとも本人はそう考えている。


 それは本来誰かに仕えたい、寄り添いたいという本能を持つフェンリルゆえの特性。その特性に従って生きることができるのはラックにとっては幸せそのものであった。


 なぜ以前は世界に破壊を齎していたのか、今ではもう思い出せないが、ラックは新しい世界で、この無防備に寝姿を晒していても絶対勝てないご主人様を得ることができて、幸せなペットとしての生活を手に入れた。


 もうその生活を手放すつもりはない。これからも主と共にこの暖かい生活を続けていきたい。それを乱すものがいれば、全力で排除する。


 ラックはそう考えた後、再び瞳を閉じた。


「グォ~……グォ~……」


 そして彼もしばらく後に再び寝息を立て始める。


 逆らうことができない主人と、ダンジョンを駆け回ったり、美味しいものを食べたり、一緒に寝たり、一緒に遊んだりする、そんな楽しい夢を見ながら。


「ス~……ラック、お前はなんてモフモフなんだ……ス~」


 当の本人はラックがそんな思いを抱えているとは露知らず、暢気にラックをモフって癒される夢を見て、人に見せてはいけないような緩んだ表情を晒していた。

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