68.女神の憂鬱


 時は少し遡り、レオンがまだ地上に居る頃。

 天界。

 そこは神々の暮らす、地球とも異世界とも異なる、天上の世界。


 女神カーラーン。

 長く美しい髪に、整った顔つき。

 メリハリのある体つきに、慈愛に満ちた瞳。

 美しき神は、白い空間で一人、悩ましげに吐息をつく。


「ふぅ……」


 彼女の仕事は、死者の魂の管理。

 かつては弟・ダオスが行っていたこの仕事を、姉カーラーンが引き継いだのだ。


 ダオスが天界から逃亡を図ったとき、なぜ彼はそんなことを下のだろうと、不思議に思った。


 ……だが今は、その理由の一端を理解できる。


『カーラーン様。死者の魂が転送されてきます』


 天使からの情報が頭の中に響く。


 うなずくと、目の前に人間のプロフィールが書かれた紙が出現。


 ほどなくして、カーラーンの前に一人の男が現れる。


「お、おい……! どこだよここはぁ……!」


 太った男がおびえた表情で言う。

 カーラーンは優しく微笑んで応える。


「村井 一郎さん、ですね。あなたは残念ですが……」


「女神きたーーーーーーーーーー!」


 男が叫ぶ。

 カーラーンは出鼻をくじかれ、動揺するも、続ける。


「あなたはこれから……」

「異世界いくんだろぉ! 知ってる知ってる! おれよーくしってるぜえ!」


 おびえた表情から一転、村井の表情には希望に満ちあふれていた。


 ……だがカーラーンは申し訳なさそうな顔をする。


 なぜならば、村井の期待に、添えないからだ。


「はいはい神が手違いでおれを殺しちゃったから、お詫びにチート能力を添えて異世界に転生させてくれるあれだろ、あれ! 貴族がいいなぁ、メイドとか可愛いお母様にかわいがられて、チートで無双するんだ!」


「……残念ですが、あなたの魂が異世界へ行くことはありません」


「ほへ……? ど、どういうことだよっ!」


 怒りの表情を浮かべて、にらみつけてくる。

 カーラーンは静かに応える。


「村井一郎さん。享年40歳。部屋に一人アニメを見ていたところ、心臓発作を起こす。ご飯を持ってきた母親に見つかり病院へ運ばれるも……死亡。これは手違いでもなんでもありません」


 村井の死因は、不摂生による生活習慣病だ。

 つまり死んだのは自業自得であって、神の手違いでも何でもない……。


「あなたの肉体は消滅し、記憶はリセットされ、綺麗になった魂は輪廻を巡る……」


「ふ、ふざけんなよぉおおおおおお!」


 びくんっ、とカーラーンがおびえた表情になる。


 目の前の男は、自分に憎しみの視線を向けてきた。


「なんでおれが死ななきゃいけないんだよ!」


「ですから、それはご自身の体調管理が……」


「女神が現れたら普通異世界転生だろうが! 期待させておいてなんだよその仕打ちはよぉ!」


 ……死んだのは自分のせいだというのに、なぜ怒られないとイケナイのだろう。


「異世界へ連れてけよババア!」


「……む、無理です。異世界へ行けるのは、選ばれし魂を持ったものしか……」


「おれが選ばれてないってか!? ええ!? ふざけんな! やり直させろ!」


 ……その後も口汚く罵倒される。

 カーラーンは規定に沿って魂を選定し、死者の管理を行っている。


 彼女の私情で、決定が覆ることはない。


 だが事情を知らない一般民からすれば、カーラーンがすべての元凶扱いされる。


 異世界へ行ける魂の持ち主ならばさほどでもないが、こうしてただ死ぬだけの人たちからは、たいていの場合怒りをぶつけられる。


 カーラーンは相手が納得するまで、相手の罵詈雑言に耐えるしかなかった。


 やがて……。


「はぁ~~~~~~~~~~もうあんたじゃラチがあかねえわ。上のやつ呼んで来いよ」


「申し訳ありませんが……上のひとたちは、人間が感知出来ない存在なのです」


 電波と一緒だ。

 周波数が高すぎると、電波を受信できない。

 人は、あまりに大きすぎる存在を、認識すら出来ないのだ。


「ここであまりごねてしまうと、転生先のランクが下がってしまいます。どうか、ご納得いただけないでしょうか?」


「うるせえ……! ふざけんな! 死ね! 死ね!」


 上がもうそろそろ、ランクを下げてしまう。

 仕方ない、とカーラーンはやりたくないが、強制的に魂を転生させる。


 上から送られてきた書類に、村井の名前を書き込む。


 すると足下に扉が開いて、彼が落ちていく。


「恨んでやる! 呪ってやるからなぁああああああああああああああああああああ!」


 魂が浄化されていき、村井一郎という個人は……消滅した。


 上からの書類が消えて、カーラーンだけが残される。


「…………」


 辛い気持ちになる。

 今のようなやりとりを、何千、何万、何億と繰り返す。


 死者との対話は……転生女神の精神を削る。

 いつも彼らの望み通りの、転生先を用意できるわけじゃない。


 与えられたルールの下、転生させているカーラーンにとって、自分は上と下との橋渡しのようなもの。


 転生にはルールがあって、それにそって行動している彼女に、責任の所在を求められても困る。


 だがここを訪れるものたちにとって、そんなルールは知らないし、悪いのは全部女神だと思われる。


 向けられる負の感情は、優しい心根を持つカーラーンを、辛い気持ちにさせていく。


「……ダオスが逃げるのも、仕方ないかもしれませんね」


 報酬もなく、終わりもなく、毎日同じ作業を繰り返していたら……精神がやむのは致し方無しだ。


 ……それでも、カーラーンはダオスのように投げ出すことはしない。


 転生女神の仕事は、世界にとって必要なこと。


 自分は社会を回すための歯車の一つ。

 歯車が、自分から外れるわけには行かないのだ。


 ……それでも。


「………………」


 ぽた、と頬を涙が伝う。

 ストレスで押しつぶされそうな……そんなときだった。


「どうだ、ミネルヴァ?」

「解。言うまでもなく、成功です」


 え……? とカーラーンは呆然とする。


 あり得ない……。


「………………レオン?」


 なぜ……目の前に、レオンが現れたのだろうか。


「うそ……どうして……あなたが……ここに……?」


 レオンと、娘であるミネルヴァが、手を上げて告げる。


「「おっす、ただいま!」」


 ……彼らの突然の来訪に、カーラーンは驚く。

 

 だが……なぜだろう。

 彼の無邪気な笑みを見ていると、温かい気持ちが、心の中に広がっていく。


「んぉ? どうしたん、カーラーンさん? 泣いてるの……?」


 ばっ、とカーラーンは手で顔を隠す。


 泣いてるところを見られてしまっては、女神としての威厳が保てない。


「な、なんでもありません……!」


 レオンは近づいてくると、ポケットからハンカチを取り出して、渡してくる。


「ほら、使ってくれよ」


「あ……………………」


 優しく、ハンカチを渡されて……またもカーラーンは泣いてしまう。


 さっき口汚く罵倒されたばかりとうこともあって、彼の優しさが、胸にしみるのだ。


「す、すみません……」


「? まー、よくわからんが、タイミングの悪いときに来ちまったな。すまん」


 ……確かにこんなところを、人に見られたくなかった。


 でも……タイミングが悪いとは思わない。


「渡すもん渡したら、さっさと帰るからさ」


「あ…………」


 きゅっ、と思わずレオンの手を握る。


「どうした?」


「え、と……た、確かに、急な来訪は、困ります。困りますが……せっかく来たのです。少し……お話ししていきませんか?」


 今、また一人にされたら、さみしくて押しつぶされてしまうだろう。


 だから、彼にそばに居て欲しい。


 カーラーンはそう思って、レオンを引き留めたのだ。


「おう。んじゃ、みんなでメシにしようぜ。おせち作ってきたからさ!」


 ……彼の明るい笑顔を見ていると、とくん……と心臓の鼓動が高鳴った。


 悠久にも等しい時間を過ごしてきた彼女にとって、それは初めての感情だった。


「告。ラブの波動を感知しました」


「はぁ? なんだよそれ」


「告。叡智の神、ジェラってます」


「バグってるの間違えじゃないのかー?」


「解せぬ!」

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