邪の道は蛇
「……」
「………ム…様」
「……ラム様」
「ラム様!」
自分を呼ぶイーサンの声が聞こえてラムランサンはハッとした。陽だまりの窓辺でスツールに座り、ラムランサンはコーヒーを飲んでいるはずだった。
「何だ、イーサン」
「何だじゃありませんよ!コーヒーをこぼしてらっしゃいます!」
ラムランサンは慌てて傾いていたカップをサイドテーブルへと置いた。
己を見下ろすと真っ白なアラブ風の衣装には茶色くコーヒーのシミが流れていた。
「うわっ、熱…っ!」
視覚というものは恐ろしい。それが熱いコーヒーだと認識した途端に肌に熱さが伝わった。
「脱いで下さいラム様!火傷してしまいますから!」
イーサンに早く早くと急き立てられながらラムランサンは衣装を脱ぎ落とし、奥の部屋から濡れタオルを持って来たロンバードに少し赤くなった太ももにタオルを当てがわれては、浮かない顔でため息をついていた。
「そんな風に物思いに耽るならノーランマークを呼び戻したらどうですか」
「…っな、何も物思いに耽ってなど…!それに、なぜそこで彼奴の名前が出てくるのだ!」
「おや、違うのですか?」
「あ、当たり前だ!」
そう言い放ってはみたものの、ノーランマークをあんな風に追い出したことに時間の経過と共にラムランサンの後悔が募り始めていた。
かと言って、ごめんなさいと素直に言える自分なら苦労は無いのだが。
こうなってしまった以上、どちらが先に折れるか根比べのようなものだった。
「依頼をして来た女性には何とお返事をなさるおつもりで?」
綺麗にラムランサンの足を拭きながら、ロンバードは兼ねてより気になっていたことをラムランサンに尋ねた。
「まだ結論が出ているわけでは無い。彼女にはここまでの経過報告をして…。生きているのか死んでいるのか。生きているなら助けねばならん。死んでいるならせめて骨は拾ってやらねばな」
だがどうやって?
後ろ暗い事があるなら、きっともう美人占い師など呼んだりはしない。今はノーランマークの奇策に頼る訳にもいかず手詰まり感は否めない。
しかし考えねば。王子達に近づく方法を…。
しばらく何か考えを巡らせていた裸のラムランサンは勢いよく立ち上がった。
「いつもの黒衣を!」
尊大にそう言うラムランサンの後をロンバードがちょこちょこと着いてくる。
「どちらへ行かれるのですか?」
「邪の道は蛇というだろう?蛇に会いに行く。ドバイへ」
「え?ヤバイはここですよ?ドバイで良いんですか?」
「バカかお前は!ヤバイにいるのにヤバイに行く訳なかろう!ドバイだ、ド・バ・イ!……イーサン!早く服を寄越せ!早くしないとこのまま外に出て行くぞ!」
大股でドアへと向かうラムランサンは本当にそのまま出て行きそうな勢いだったが、優秀な下僕達は主人の不名誉をすんでのところで回避した。
中国やアジアの国々では何かを興す時や都市を建設するときなど、必ずと言って良いほどその影には高名な風水師が助言を行っているものだが、中東にも風水に似たようなものがあり、それはジオマンシーと呼ばれるアフリカを起源とする占いだ。
一握りの砂を地面に投げて、そこに出来た十六種類の型を読み解きながら占うと言うものなのだが、彼らが表に出て活躍することはない。
言ってみればラムランサンと同業とも言える者達だ。
「お祖父様の代に、懇意にしていたジオマンシーの占い師がドバイにいる筈だ。まだ存命ならばその者にドバイの首長と渡りをつけてもらうのだ。その上で、ドバイの首長を通してヤバイの首長、つまりはヤバイ国王に謁見を願い出てみる。遠回りだが王子達の父親を抱き込めれば安全に王子達に接近できるやもしれん」
「おやまあ、本当に随分と遠回りな話ですな」
「ぼやいていないで窓の下でも見物していろ。遠回りでも女占い師よりマシだ」
「ですが…、」
ロンバードが何かを言いかけた時、機内アナウンスが流れ、小型飛行機は筒が無くヤバイを離陸した。向かうはドバイ。
「流石に小型だな、だいぶ揺れる。さっきは何か言いかけたろうロンバード。何だ」
「はい?」
「惚けるな!ですが…、と言ったろう、ですが…、って」
「おぉ!そうでしたそうでした!
…ですがラム様、ジオマンシーの占い師様は、生きておられたら百歳になりますが…」
「なに?……ひゃくさいだとぉ?そう言う事は先に言わんか!先にぃ〜!もう引き返せないじゃないかーーー!!」
ヤバイの上空、執事を叱責するラムランサンの叫びが無情にもこだました。
「え?部屋を引き上げた?!それはいつの話ですか!」
ホテルのフロントでは自分になにも言わずにラムランサンが部屋を引き払ってしまったことに驚いていた。
いや、驚いただけではなく腹を立てていた。
せっかく自分が折れてやろうと決意を固め、しかも手に入れた秘密のワインオークションのチケットもラムランサンに差し出そうとまで考えていたと言う矢先にだ。
どこに行ったかと聞いても分からないと言われ、またしても二人は離れ離れになってしまったのだ。
「くっっそ!!」
ノーランマークは力任せに椅子を蹴った。
響き渡る大きな音に、ホテル内の人々の注目と避難の目がノーランマークを取り巻く中、興味深そうにノーランマークを見ている目がある。
「あれぇ?あれはノーランマークじゃ無いの?…美人女占い師を追いかけたらアイツに合うなんてね!なんか匂うねえ」
柱の影に身を隠すように、コソコソとノーランマークを盗み見ていたのはアスコットだ。
「モヤモヤするな、美人占い師、三日月君。そしてノーランマーク。……なんだ?ザワザワする」
ふと手に丸めて持っていた王子が投げて寄越した雑誌が目に入る。
それを広げて美人占い師の写真をじっと見るうちに、アスコットはあることに気がついた。
「ははっ!これは…あははは!灯台下暗しじゃ無いか!美人占い師だと?ははは!俺の目は節穴か!確かに美人だよ二人とも!」
遅まきながらアスコットは気がついた。美人占い師がラムランサンであることに。アスコットはうっそりと目を細め薄い唇が企むように広角を上げていた。
「コレ、どう利用してやろうかねえ…ノーランマーク」
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