消えた王女
砂漠の街の朝焼けは、遠く臨む地平線を薄紫から茜色へと変えていく。そこにはまだ薄らと名残の月浮かび、やがてそれも朝を告げるコーランの詠唱に見送られるように儚くその座を辞していく。
そんなまだ明け切らない異国の街並みを、白亜のホテルの窓からラムランサンは穏やかな気持ちで眺めていた。
地中海に置いてきたノーランマークは今頃どうしているだろうか。向こうとは1時間の時差がある。まだ太陽は眠っているのだろうか。
やはり連れてくれば良かった。
サービス精神旺盛な恋人はきっとこんな朝をロマンチックな気持ちにさせてくれただろうに。
そんな思いが頭の中にふわりと沸いた。
ラムランサンは足首まである白く長いカンドゥーラに身を包み、頭にはクーフィーヤと呼ばれる白い布を被っていた。イカールという黒い輪っかをはめて、顔立ちは隠せないが雰囲気だけは中東の王族風だ。
こうなったら立派なヒゲでも有ればまだサマになるのにと
己のつるりとした顎を撫でた。
「朝焼けのコーランの響きと言うのは実に美しいな。異なる神だが不思議と心が落ち着く」
「そうでございますね。
ラム様のアラビア風のお衣装も大変美しゅうございますよ。さ、お茶を淹れましたので冷めないうちに…」
ロンバードは窓辺に立つラムランサンへとソーサーごと紅茶の入ったカップを差し出した。
手にしたカップはアラベスクをあしらった薄手の上品なカップだった。
金色の液体をひとくち口に含むと芳醇な香りが鼻腔へと抜けた。
「依頼主はヤバイのアミーラ王女だったな。依頼の詳細は会ってから話すと認めてあったが、身分の高い王女がいったい私に何を占って貰いたいのだろうな」
「左様でございますね。まあ間も無くここにお見えになると思いますので…」
そうロンバードが言い終えるか終えないかのタイミングで部屋にノックの音が響いた。
アラブ風のエキゾチックな部屋はさほど広くは無い。
部屋の中央にある丸い小さなテーブルには紫の布が掛けられていて、王女と差し向かいで密談を交わすには打って付けの部屋だった。
そのテーブルの上には小さな敷物の上に妖しく光る緑色の石が鎮座している。
これが「神託の輝石」と呼ばれ、ラムランサンのみがこの石を通じてタカランダの神と対話が出来ると言う摩訶不思議な力を秘めた石だった。
ラムランサンはこのテーブルの上に美しい指を組んでやがて部屋に入ってくるだろう相手を待った。
「どうぞ、お入りください」
ロンバードがそう恭しくドアを開くと、黒い衣装に身を包み顔をベールで隠した女人が入ってきた。
王女はまだ歳若いと聞いていたが、前屈みのその背格好はまるで老婆の様だった。
「お助け下さい、三日月の公子殿」
三日月の公子と言うのはその美しい容貌から付けられたラムランサンの通り名だ。
黒いベールの女は入ってくるなり床へと膝をついて両手を合わせた。
「おやめ下さい!どうかお立ちになって下さい」
慌てたロンバードが女を助け起こしてテーブルの前の椅子へと導いた。ラムランサンもただならぬ女の様子が気にかかる。
「どうなされたのですか?私はラムランサン。タカランダ神に仕える
無論、そんな訳はないと思ったが、これには何か訳がありそうだった。
「はい、いいえ、私ですが!私はアミーラ王女にお仕えしている侍従で御座います」
女の動揺が黒いヴェールの隙間から覗く瞳に浮かんでいた。
「アミーラ王女は今日はお越しではないのですか?直接ご本人から事情をお聞きしたかったのですが…」
「いいえ!そうなのですが…そうなのですが…」
妙に言い淀む女は声を震わせながらこう続けた。
「実は半年も前から王女様は行方不明になられました!先の王様が亡くなられて今は王弟殿下が帝位を継がれ、その双子の王子の何れかとの縁談話が進んでいた矢先のことでした。王女様は貴方様にその縁談の事を占って頂きたいと、居なくなられる前日に私に神妙な顔付きで申されていたのです」
「それは…王女が失踪なさった事は皆様ご存知なのでしょうか?」
ラムランサンが女の方に身を乗り出した。
「いいえ、いいえ!まだ誰もご存知ありません!体調が優れないと言う事にしてはいましたが、流石にもうこれ以上は…隠しきれません!
王女様が何処にいらっしゃるのか、ご無事なのか、ラムランサン様の御神託を頂ければとお縋りしたのです」
「失踪ならば警察にはご相談なさったのですかな?」
傍のロンバードが思わず口を挟んだ。
「警察?!と、とんでもない!警察などこの国ではアテにはなりません。全て王子様達に筒抜けになってしまいます!」
何か複雑な事情がそこには横たわっているようだった。
「まずは、お話を詳しくお聞かせ頂けますか?神託はそれからです」
長い話になりそうだった。
ロンバードは熱い紅茶を彼女に淹れるためにその場を離れた。
ラムランサンが静かにその輝石へと手を触れると、まるで呼応するように石は妖しく光を放った。
「では、お話し下さい。タカランダ神の前では包み隠す事は許されません」
声色が変わり、その表情が変わる。ラムランサンの眼差しが深い紫色になっていく。
神がそこに降りたのだ。
◆◆◆
その頃、彼の恋人のノーランマークはと言うと、怪しいネットの美味しい儲け話につられ、ラムランサンが来ているとも知らずにドバイの上空を飛んでいた。
口先三寸、その人たらしの才能が運命の女神を味方につけたのだ。
サントリーニ島から出てここまで、ヨットやプライベートジェットをホイホイとヒッチハイクしたノーランマーク。
今はゴージャスなプライベートジェットの豪華な座席で冷えたシャンパンを煽っていた。
「見ろよ!イーサン。美しい景色じゃないか?」
「いくら綺麗でもドバイには行かないんでしょう?何処ですかヤバイって。僕そんな国聞いたことない…って言うか、アンタ僕のクルーザーにちょっと乗りたいからって言ったよね?これがちょっとなの?!
こう言うの旅って言わない?
それに、何で知らない人のプライベートジェットに僕ら乗ってるんだよっ!」
「いや、だってあのお姉様が乗せてくれるって言うからさ、ねえ?ダイアナ?」
ノーランマークが座席から振り向くと赤毛で年増の美人がノーランマークに向かって手を振っている。
「誰ですか!あの女性はっ!」
「さあ?アラバマの油田王とか言っていたなあ」
ノーランマークは軽々しく笑いつつ、手を振り返す女に極上の笑みと投げキッスを返礼していた。
「これって浮気なんじゃ?
ラム様に言い付けてやるからな!」
「言ってみろよ。あのことバラすぞ」
「あの事?」
唐突に言われてイーサンはドキリとなった。
心当たりは無い筈のに妙にさも意味ありげにニヤつかれると、痛くないはずの懐が疼きだす。
なんだ?何のことだろう?!
あの事かこの事かと早くもイーサンはノーランマークの術中にまんまと嵌まっていたのだった。
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