ドバイとヤバイ

雲ひとつない快晴の空、飛行機はドバイの人工島、あのパーム・ジュメイラを眼下に見下ろしていた。

穏やかな海原にぽっかりと浮かび上がる三日月型の湾の中、十六本の椰子の木の枝がシンメトリーに伸びる優美な姿は、そのあまりに人工的な美しさに不気味だと言う者もいるほどだ。

今、世界のVIPに注目されている刹那の極楽である。


「ラム様。そろそろ着陸の体制に入るようですね、シートベルトを…」


飛行機の座席に並びで座るのは主従の二人。

タカランダ神の唯一の巫であり宗主のラムランサン。付き従っているのは齢七十とは思えぬ矍鑠とした英国紳士のロンバードだ。


「今回の依頼はドバイか…。つくづく思うがノーランマークを連れてこなかったのは正解だったな」


根っからの遊び人はきっと大はしゃぎ。泥棒の血だって沸騰したに違いない。

一人で留守番に甘んじている恋人のぶーたれた顔を思い出すと、何故だかラムランサンは愉快な気持ちになるのだった。


「あの、ラム様。お間違いのようですよ?目下の所、我々の目的他はそこから砂漠を縦断した所にあるヤバイと言う国ですが」


ラムランサンは一瞬自分の聞き違いかと思った。


「・・・?

何が…、ヤバイのだ?」

「いえ、ですから我々の向かっているのはドバイでは無く、と言う国なのです。依頼書に目を通されませんでしたか?」




「えっ?えぇぇ〜〜!!」




一旦、ドバイに着陸してからヤバイへの中継ぎは嘘みたいだがラクダだった。

炎天下、言う事を聞かないラクダに揺られているラムランサン達の上空を、さっきからひっきりなしに自家用ジェットが行き交っていた。


「一体どんな国なのだヤバイとは。聞いた事がないぞ!それにこんなに辺鄙な国なのに何でジェット機があんなに飛んでいるのだ!…と言うより、何故我が家にはプライベートジェットとかヘリとか無いのだ!」


ラクダのコブにしがみつきながら、ラムランサンは悔し紛れに叫んでいた。


「そんなものがあるわけありませんよ。我々のお城だってこの前無くなったばかりじゃありませんか。我々は今根無草なんですよ!ほらっ!背筋をしゃんとなさいませラム様!」

「こんな事ならノーランマークと怠惰に過ごせば良かった」

「働かざる者食うべからずと言っておいででした」

「こんな労働想定外だ!」

「文句を言っていても到着しませんよ。ほらっちゃっちゃっとなさいませ!」


そう言うと、妙に姿勢良くラクダに揺られているロンバードは、項垂れているラムランサンのラクダの尻に鞭を入れた。

文句を垂れる主を乗せたラクダは一気に活気づき、月の砂漠になる前にヤバイの街へと到着していた。


ラムランサン達が通りすがっただけとなったドバイが属するアラブ首長国連邦は1971年、七つの首長国から形成され、現在ドバイは外貨獲得に成功すると首長国連邦随一のみならず、世界一ウハウハな都市となっていた。

つい最近になってそこへ八個目の首長国が誕生したのだ。

それがこのヤバイである。

そこは首長国連邦が出来た当時はほんの小さな国でしか無く、首長国とは認めてもらえず国王は苦渋を呑んだ。

だがそれからと言うものよほど悔しかったのかドバイに追いつけ追い越せ、外貨獲得に成功したヤバイは今や第二のドバイと目されるほど急速に豊かな国に変貌していた。

(※ 嘘です。こんな国はありません)

カジノにテーマパーク、あらゆるレジャー施設。

贅を尽くしたホテルや高級店の入った華やかなタワービル。

煌びやかな享楽都市は完全にドバイをパクった街に仕上がっていた。

だが急速な発展の影にはきな臭い噂も多々囁かれていた。




「ヤバいなあヤバイ」


さっきから携帯をいじくり回していたノーランマークが面白い記事を目にしてやけにニヤついた顔を晒していた。

ラムランサンが出かけてから半刻も経たずして、すっかり退屈になってしまったノーランマークはろくな事を考えてはいなかった。


「イーサン、お茶!」


相変わらずカウチに寝そべって、部屋のどこかにいるだろう下僕のイーサンを呼びつけた。だが返事が無い。


「イーサン!お茶!」


もう一度呼びつけた時、紅茶の缶がノーランマーク目掛けて飛んできた。

顔面にぶつかる寸前でノーランマークはキャッチした。


「…っと、何するんだ!危ないじゃねえか!」

「お茶くらい自分で淹れろよ!ごの穀潰し!僕はラム様の下僕であってお前の召使いじゃ無いからな!」


ノーランマークの目の前に仁王立ちする鼻息荒いこの少年は、こう見えても凄腕の下僕なのだ。

ラムランサンの城があった頃はその家計の一切を取り仕切り、広い城内を毎日ピカピカに磨いていた。

今はサントリーニ島のこの貸別荘を取り敢えずピカピカに磨いているのだ。


「ラム様がいないからって良い調子で僕をコキ使うな!

お前だってこの前までは下僕二号だったじゃ無いか!」


とある事件がきっかけでラムにとっ捕まったノーランマークは暫く絶海の孤島に立つ彼の居城に三ヶ月前まで捕まっていたのだった。

その間、このイーサンの下で働かされていたと言うわけなのだが、世界を股にかける華麗な大泥棒とは思えない屈辱の日々であった。

だが今は、晴れてラムランサンの恋人になったと言うのにこのイーサンからはまだ認めてもらっていないようだった。


「なあ、お前も退屈じゃ無いか?手のかかるご主人がいなくてさ。どうだ、オレの相棒って事でちょいと楽しい事をしてみないか?」


悪巧みをする目つきはさしものイーサンですらゾクゾクするほど男の色気が溢れていた。


「だ、ダメだ!僕らは留守を守らないと!」


ノーランマークは不思議な男だった。いわゆる人たらしの相があり、どう言う訳か彼のペースに皆巻き込まれてしまうのだ。

馴れ馴れしくイーサンの肩にもたれて人好きのする笑顔を浮かべられると、どう言う訳か誘い文句に乗ってしまいそうになる。


「なあオレ、ちょっと出掛けたいんだけど、気分転換にエーゲ海クルーズなんてどう?お前の運転するクルーザーに久々に乗りたいんだよ」


ノーランマークに自覚はないが、ラムランサンが聞いていたならきっと甘い言葉にも聞こえただろう。

だが今はラムランサンは留守である。







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