ヤバイの泥棒猫

「なにぃ〜?!ヤバイにはカジノがないのか!ああまあそうだよな。よく考えたらイスラム圏だしな。酒がダメならカジノたってダメって事か。しまったな。じゃあ何処で情報を仕入れたらいいんだ?うん?ホテルのナイトクラブ?何処だ?最上階か?」


豪華なヤバイのホテルに着いたノーランマークはロビーの隅で、吹き抜けのエントランスを眺めながら何やら自問自答をしては癖のように金色の髪をかきあげていた。

そんな様子をイーサンは不可解な顔で眺めた。


「なに一人でブツブツ言ってるんだよ!気持ち悪い!」

「気持ち悪いとは心外だな。このオレ様の明晰な頭脳をクルクルと働かせていたんだよ」

「ふふん、悪巧みか」

「お前ねえ、一言で一刀両断にしやがって。お前もラムも主従揃って口が悪いがラムの方が色気があるだけまだマシだな」

「色気…っ!うるさい!悪かったなお子ちゃまで!」

「そこまで言ってねえだろう?まあ自覚があるのは褒めてやるよ」

「なんだとぉ?!」

「まあまあ、早くチェックインして来いよ。そしたら一杯呑みに行こうぜ」


そう言いながらまだぶつくさ文句を言ってるイーサンをホテルのフロントへと追い立てた。

ノーランマークという男はこんな些細な諍いすら己の楽しみに変えてしまう男だ。

イーサンがどんなに言い返しても恐らくは太刀打ちはできないだろう。


ここヤバイは第二のドバイと囃されてはいたもののアキレス腱はあるもので、高級ホテルと呼ばれるものがとにかく少ないのだ。

五つ星ホテルが二つ。三つ星ホテルが一つ。

後はただいま鋭意建設中のホテルが数件。

需要の割に圧倒的にインフラが追いついていないのが現状だ。

ここに観光に来る金持ちはだいたい二つの五つ星ホテルに集中して泊まるしかない。

ノーランマークがちょいとやる気を出せば入れ食い状態。ホテルはドル箱金庫のようなものなのだ。

当然五つ星ホテルを選んだノーランマークはホテルのロビーで出入りする客をじっくりと観察していた。

だがこれはあくまでも情報収集の一環。の、ついでの品定めだ。

今回ノーランマークの目的はケチな泥棒では無かった。

このヤバイの急発展の裏側で国家ぐるみでそれこそヤバい商売をしていると言う噂が世間やネットの中でまことしやかに囁かれていた。

それはこの国で高値で取引されていると言う密造酒があると言う噂だ。

ホテルのバー以外、公共の場で酒を呑むことすら許されていないイスラム圏の中で密造酒とは穏やかでは無い。

そこに何か大金の匂いを嗅ぎ取ったノーランマークは恋人の不在をいい事にヤバイへと吸い寄せられたのだ。

およそ半年間、ラムランサンに骨抜きにされて大人しく飼い慣らされていたノーランマークだったが、ブランクの反動なのかここへ来て久々に彼の悪党の血が沸々と沸き立っていた。


ふとホテルの玄関から入ってきた白いドレスを来た若い女性がノーランマークの目に止まる。いかにも世間知らずなねんねちゃんと言う風だ。平たく言うと深窓の御令嬢風。

ノーランマークはすかさずその後ろを歩いて隙を伺った。

ブランド物のドレスに大きなピンクダイヤのイヤリングがこぼれ落ちそうだった。


「…っと、お嬢さん危ないですよ。足元にペンが、ヒールでこんなものを踏んだら転んでしまう」


そう言うと、その女性の足元に屈んでボールペンを拾い上げるふりをした。

勿論これはノーランマークの仕掛けたトラップだ。


「君!こんな物が落ちていた。危うくレディが転ぶ所だったぞ!」


近くの従業員を呼び止めると、手の中のボールペンを差し出した。ペンを受け取った従業員は平身低頭だ。


「こっ、これは申し訳ありません!お怪我はなかったでしょうか」

「あ、いいえ。怪我をする前にこの方が拾って下さったので」


女性は従業員の言葉にかぶりを振ってノーランマークへと向き直る。


「ご親切に有難うございます。もし良かったらお名前を…」

「私はヤバイの子猫」

「え?」

「にゃーお」


ノーランマークは猫の真似をして戯けて見せた。

キョトンとしていた女性が思わず破顔した。


「ふふっ、面白い方ね!覚えておくわね子猫ちゃん。ありがとう」


そう言うとエレベーターに乗りながら手を振る女性に「いえいえ」と言って最後までノーランマークは真摯面で女性を見送った。

しかしドアが閉まると今の今まで女性の耳を彩っていたダイヤはノーランマークのその掌で弄ばれていた。

女性の体には全く触れずにダイヤを擦り取った手口はブランクがあったにも関わらず相変わらず見事なものだった。




「見てたぞ!この泥棒猫!」


チェックインを済ませたイーサンがその一部始終を目撃して当然非難の目を向けた。


「あんな大きなダイヤ、落ちたら大変だろう?その前にオレが保護してやったのさ。本人だってオレに取られたなんて思って無い。何しろオレはドバイの子猫ちゃんなんだ。人畜無害だと思ってるさ」

「全くなんて悪党だ!何でラム様はこんな男に…っ」


惚れたんだ!と「惚れた」と言う言葉を口にするのも不愉快といった様子のイーサンの脇を黒装束の女がすれ違う。

ふわりと香るオリエンタルな花の香りにイーサンもノーランマークも覚えがあった。

それはあのラムランサンの身体の香りによく似ていた。いつもその香りをラムランサンは好んで衣装に焚き込めている。その女から漂ったのはまさにその香りと同じだった。

二人は瞬時に同じことを思って顔を見合わせた。


「なあ、イーサン。ラムは何処に行くって言ってた?」

「さ、さあ?今回の依頼の事はラム様とロンバードさんしか知らないんだ!」

「まさか…ヤバイに来ているなんて言わないよな…」

「わぁぁ〜!帰ろう!今直ぐ帰ろうよ!僕何だか悪い予感が、いえむしろ悪い予感しかしないんですけど!!」

「ヤバイはやっぱりヤバいのか?」


留守番を約束したはずなのに、こんな所まで来てしまった二人は急にオタオタとし始めた。

ラムランサンに出会うまではこんな後ろめたい気持ちなど微塵も感じた事はなかった大泥棒はこの日初めて妻の目を気にする夫の気持ちというものが分かった気がしたのであった。

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