第4話少年の自立

※お題は『坊主』『初恋』『京都』でした。





 朝から不機嫌だった僕は、鏡の前で自分の顔を見る。

 相変わらず、男らしくない、女顔。


「そんなに見つめたって、変わらねえよ。遅刻するぞ」

「うるさいな。分かっているよ」


 お父さんににやにやしながら言われたので、ますます気分が悪くなる。

 髪をとかして洗面台から離れる。うっとうしいぐらい長い髪。顔を隠すためと、絶対に言えない理由のため、伸ばし続けている。それがますます、女っぽく見えるのは分かっているけど。


「いっそ、坊主にでもすりゃあいいのに」

「そんな勇気はないよ」

「ま、フラれたのをきっかけに切るなんて、女みてえだな」


 殴りたい気持ちをぐっと抑えて、僕は台所でテレビを見ているお母さんに「行ってくる」と言った。


「いってらっしゃい。アキラちゃん」

「もう。お母さんもちゃん付けやめてよ。もう高校生なんだから」

「はいはい。みさおちゃん、待っているんじゃないの?」


 僕は「うんそうだね」と言って、学生鞄を持って、玄関を出た。


「おはよう。アキラ」


 いつものように、外で待ってくれる、幼馴染。

 昨日と同じ、何一つ変わらない光景。


 でも、明日から変わってしまう。

 何故なら、僕の幼馴染であるみさおは、引っ越ししてしまうからだ。

 遠く離れた、見知らぬ土地に。



◆◇◆◇



「みさおちゃん。今日でお別れだね」

「寂しくなるなあ」

「ありがとう。私もみんなと別れるの、寂しいよ」


 僕とは正反対で、ボーイッシュなみさおは、女子から人気がある。

 女子高生なのになと思う。

 そして幼馴染なのになとも思う。


「ライン。必ずするね」

「ああ。待っているよ」


 クラスのみんなは、みさおのことが好きだ。

 人気者のクラス委員長。

 スポーツ万能で成績優秀。

 絵に描いたような、優等生。


 僕はそんなみさおを横目で見ながら、一人ぽつんと椅子に座っている。

 僕とみさおは対照的だった。

 明るくないし、どんくさいし。

 友達もみさお以外いない。


 もしも幼馴染じゃなかったら、相手にもされていなかっただろう。

 たまたま隣の家だっただけ。そして同い年だっただけだ。

 偶然が二回重なっただけ。だから、いつか別れが来るって、分かっていた――


「アキラ。少しいいかな」


 みさおが僕の机の前に立つ。

 太陽のように眩しい笑顔。

 転校することをどうとでも思っていない雰囲気。


「……なに?」

「うん? 機嫌悪そうだね。もしかして、私が転校するのを寂しがっているのかな?」


 認めるのは癪だった。

 かといって否定するのも嫌だった。

 最後の別れとなるのに……


「もしそうだったら、どうするの?」


 だから自分でも意地悪な言い方になってしまった。

 みさおは驚いたように目を見開く。

 そりゃあそうだろう。捻くれた言い方だけど、僕にしたら素直な気持ちを伝えたのだから。


「……ちょっと、話をしようか」



◆◇◆◇



 連れてこられたのは、学校の屋上だった。

 本来は立ち入り禁止の場所。

 先生に見つかるんじゃないかとドキドキするけど、誘ったみさおは何とも思っていないみたいだ。


「うーん、気持ちいいねえ。初めて来たけど、やっぱり高いところは気持ちがいい」

「みさおもここに来たのは初めてなの?」

「そうだよ。これでも真面目な高校生なんだから。でも、一回来てみたかったんだ」


 背筋を伸ばしながら、リラックスするみさお。

 ずっと前から来たかった場所らしい。

 僕は「変なの」と呟いた。


「今日の夕方、出発するよ」

「うん、知っている。京都、だよね」

「そう。東京から京都。言葉や食べ物に慣れるの大変そうだね」


 どこか他人事のように思えたので「自分のことでしょ」とつい言ってしまった。

 するとみさおは「自分のこととは思いたくないんだよ」と笑った。


「意識すると、泣いちゃいそうなんだもん」

「そんなに、ここを離れるの、悲しいの?」

「それもあるけど、一番はアキラと離れることかな」


 みさおの言葉に、僕は何も言えなくなった。

 そうこうしているうちに、みさおは僕の前に立つ。

 身長はだいたい同じだったから、真っすぐ顔が見える。


「ずっと、一緒だったもんね」

「……そうだね。僕がいじめられたとき、助けてくれた」

「昔の話だよ。恩に着る必要はない」

「一生の恩だよ。僕は、感謝しているんだ」


 女顔が原因で、いじめられた僕。

 立ち向かってくれた、みさお。


「ねえ。少し、わがまま言っていいかな」

「なに? 言ってごらんよ」


 みさおは笑顔だったけど、どこか泣いているようだった。

 幼馴染だから、すぐに分かる。

 さっき泣きそうだって言ったことが、本当だってことに。


「一緒に、来てほしい」

「…………」

「アキラと離れたくない」


 本音を言えば、みさおと一緒に行きたかった。

 家族を説得して、一緒の学校に通いたかった。


 でもそんなことはできなかった。

 お父さんやお母さんに迷惑がかかるし、何よりみさおが後悔するから。

 自分のせいで、僕を転校させて、苦労させたと思う日が、いつか来るから。


「僕だって、離れたくない」


 みさおにそう言ったとき、僕は涙を流した。

 駄目だね、こんな時に泣くなんて。

 堪えるのが、男じゃないか。


「寂しいし、悲しい。もっと一緒にいたい……」

「アキラ……」

「でも、みさおを困らせるだけだもんね」


 みさおの困った顔。

 心締め付ける表情。


「気持ち、嬉しかったよ。私と同じ気持ちだったって」


 みさおはその困った表情を無理やり笑顔にして。

 僕の涙を指で拭った。


「……ごめんね」

「…………」


 みさおは僕に謝った。

 僕が聞きたかった言葉じゃないけど。

 泣いたせいで言葉にならなかった。



◆◇◆◇



「みんな、寂しがってくれたのは、嬉しかったな」


 放課後。僕とみさおは一緒に帰っていた。

 みんなからもらった寄せ書きを眺めているみさお。

 僕も書いたけど、ありきたりなことしか書けなかった。


「そりゃ、みさおだもん。みんな寂しがるよ」

「アキラもそうだったもんね」


 からかう風ではなく、事実を述べたような口調。

 僕は、いつまでも家に着かなければいいのにと、子供のようなことを考えていた。


「ねえ、アキラ。何考えているの?」

「何も考えていないよ」

「そっか。てっきり、いつまでもこの時間が続けばいいのにと思っているんじゃないかなって」

「……よく分かるね」


 みさおは「当たり前だよ」と笑った。

 僕の一番好きな顔だった。


「私も、同じことを考えていたから」


 どんどん落ちていく太陽を背後に、みさおは「今だから言うけど」と話し出した。


「アキラのこと、好きだよ」

「…………」

「ちなみに初恋だから」


 嬉しい思いと、悔しい思い。

 対極な感情が入り混じって――


「僕も、好きだよ」


 本音を言った瞬間、僕は向こう側に飛んだ気分になった。

 みさおが僕に近づいて「もっと早くに言えば良かった」と言うのが遠くに聞こえた。


「ありがとう、アキラ」


 僕が聞きたかった言葉。


「そして、さようなら」


 僕が聞きたくなかった言葉。


「また……会えたら……」


 みさおの声に涙が混じる。

 僕は――


「無理しないで……」


 みさおの手を取って、ぎゅっと握りしめた。

 それしかできなかった。

 勇気が無かったから。



◆◇◆◇



「おっ。さっぱりしたな」


 お父さんが言うように、僕は髪をばっさりと切った。

 伸ばす理由がないからだ。


「それじゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい。勉強、頑張ってくるのよ」


 玄関を出て、一度立ち止まる。

 僕の幼馴染はもういない。


 みさおが「長い髪のほうが素敵だよ」と言ったから伸ばしていた。

 でも、別れるときに「もう気にしなくていいよ」と言ってくれた。


 僕の隣には、幼馴染のみさおはいない。

 だから前を見なくちゃいけない。


 いつかまた、会えるときまで。

 僕は一人でも立派にならないといけないんだ。

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