第3話僕と彼女は作品同士

※お題は『黄昏』『化粧』『怪盗』でした。




 僕が化粧を施した最初の相手は、元カノのミカだった。

 そしてミカにとって最後の相手は僕になる。


 ミカとは高校生のとき、少しの間だけ付き合った。だけど僕がつまらない男だと分かると、すぐに別れを切り出されてしまった。しばらく悲しかったけど、いつの間にか割り切ってしまった。


 まあクラスの上位カーストにいたミカと、美術部の根暗な僕とでは釣り合わなかったのだろう。付き合った経緯も好きな漫画が一緒だったとか、僕がよくミカに宿題を写させてあげていたとか、そういう何気ないものだったし。


 高校を卒業して、美大に進学して、そこで挫折して画家になる夢を諦めて。

 父のツテを使ってメイクアップアーティスト――いわゆるメイクさんになったのは、他にやりたいことがなかったからだ。どうも僕には絵の才能がない代わりに、化粧の才能があったらしい。


 そして、ミカと再会したのは、互いに新人として業界入りしたときだった。

 ミカが話題の美少女として鳴り物入りでモデルデビューしたのは、二十才のときだった。

 僕も美大を中退して、一年間修業を重ねて、ようやく仕事を任されるようになった頃だった。


「久しぶり。元気だった?」


 ミカはそう言って僕に挑戦的な笑みを向けた。


「元気だけど。ていうか、ミカが僕を指名したって聞いた。どうして?」

「別により戻したいわけじゃないけどね。チューもしたことなかったし。でもまあ、腕がいいってあんたの先輩から聞いたから」

「まだ仕事でメイクしたことないけど」


 僕が正直に打ち明けるとミカはますます笑顔になった。

 まるで獲物を前にしたライオンのようだった。


「じゃあ、私が最初の女になるわけね」

「誤解を招くことを言うな」


 それから僕とミカは再び交流を持つことになった。

 まあ互いに利用し合う関係と言ってしまえば、身もふたもないけど。


 僕はミカを世界で一番美しくするために、いろんな努力をした。最新のメイク術や流行りを勉強した。それから心理学も少しだけ学んだ。人が人を見るときに、どうすれば好感を得られるのかを、毎日考えた。


 ミカも僕のことを他のモデル仲間に宣伝した。腕のいい新人がいると同期だけではなく、先輩や後輩にも言いまくった。ミカが売れているモデルだからこそ、説得力があったと思う。僕を指名する女優や俳優が増えた。


 僕たちは協力して業界をのし上がっていった。

 同じ方向を向いていたけど、違うとすればスタンスだった。

 ミカは僕の評判を高めることで、僕の技術を相対的に上げて、自分がより美しくなるのを目的としていた。

 一方、僕は……ミカのことを優先していた。自分が良い評判を得ることよりも、ミカを美しくすることが目的だった。


 ミカはどんどん美しくなる。

 僕の手によって。

 それが――心地よかった。


 元々、美しいものを描きたいから画家を目指していた。

 だけど、僕は無から有を作り出すことができなかった。

 確立した美を作り出すということができなかったのだ。


 しかしミカという素晴らしい素材を、僕の技術で美しく磨き上げるのは、とても楽しかった。

 はっきり言おう。僕は奪われてしまったのだ。

 まんまと盗まれてしまったのだ。

 芸術家としての、心を。



◆◇◆◇



 終わりは唐突に訪れる。

 明るかった昼間から、黄昏に移り変わるように。


 ミカが死んだのは僕たちが二十四のときだった。


 交通事故だった。ミカはモデルの仕事以外に舞台をやっていた。確か怪盗が主役で、ミカはその恋仲となるヒロインだった。


 多忙の中、ミカを乗せたタクシーは、彼女に急かされて、スピードを出し過ぎて、事故を起こした。運転手は即死した。ミカは重傷を負った。

 意識不明の重体が続いて、持ち直したと思ったら、あっさりと死んでしまった。


 死んだミカと会ったのは、死んだ翌日のことだった。

 身体は骨折していたけど、顔は生前と同じく綺麗なままだった。


 僕は彼女に化粧を施した。

 死に化粧だった。


「ミカ。早すぎるよ。まだやりたいこと、あっただろうに」


 物言わない彼女は、それでも美しかった。

 生きているように、赤みを増す化粧をする。


 ミカは美しかったけど、お世辞にも性格が良かったわけではない。

 多くの敵を作ったと思う。

 でもミカは敵も認めるほど美しかった。

 いや、見惚れるほど美しかったというべきか。


 化粧を終えて、僕はビルの屋上に上がる。

 黄昏の空に夜の帳が下りてくる。


 ミカという怪盗に奪われた心は戻ってこない。

 そして僕は無から有を作ることはできない。


 僕はこれから、どう生きたらいいのだろう。

 僕の作品は失われた。

 そして彼女の作品もまた、壊れてしまった。

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