第2話忘却
※お題は『吸血鬼』『万感』『時代』でした。
私が『彼女』に会ったのは、私の体内に新しい命が宿って、しばらく経った頃だった。
まだお腹が大きくなく、しかし過度な運動は避けたほうがいいと医者から言われていた。
二十五にして、初めての出産を経験する気持ちは、何とも言えない。
もう少し若ければ、向こう見ずだったし、もう少し老いていれば思慮深くなっていただろう。中途半端な年齢だったから、勤めている会社でもう少しOLをやっていた。
上司は「産休取っていいよ」と今の時代に合った言葉をくれたのだけれど、同僚や後輩のことを考えると、まだまだ働かなければならなかった。使命感ぐらい、私にもあるのだ。
残業して、共働きの旦那様に若干申し訳ない気持ちで帰宅して、今から晩御飯作ろうと気合を入れて、玄関のドアを開く――
「……あら。タイミング悪かったわね」
ドアを開けた先にいたのは、美しい女性だった。
真っ白い肌。青みがかった黒い髪。現代には似つかわしくない真っ赤なドレス。
そして端正な顔立ち。もしも私が男だったら一目惚れしそうだった。
しかし私は女性で、結婚していて、妊婦だった。
見惚れることはあっても、惚れることは無い。
それよりも衝撃的だったのは。
私が愛した人、嶋野勝也が――
「美味しかったわ。ご馳走様」
真っ青な顔色。血の気のない表情。
まるで一滴の血も残さずに飲みつくされたよう――
「うん、そうね。あなたも一緒にどうかしら?」
彼女は、舌なめずりした。
私は、自分の死を、確信した。
◆◇◆◇
「あなたの話、聞かせてくれる?」
私と彼女は、リビングにいた。
私の夫を殺した人――人なのか分からない――と向かい合って座っている。
「わ、私の話……」
「ええ。物凄く興味があるの」
彼女は穏やかに微笑んでいる。
何故か冷静になってくる……おかしい……
「どんな話が、聞きたいの?」
「あそこに倒れている人と、どうやって出会ったのか。どんな風に過ごして、どんな風に愛を育んだのか。興味あるわ」
私は思い出す。
嶋野勝也との出会いを。
◆◇◆◇
彼とは大学のサークルで知り合った。
同回生だった。初めは何とも思っていなかった。
何度か会話していくうちに、仲が良くなった。
でも大学では付き合わなかった。
私には別の恋人がいたし、あの人にも相手がいた。
再び出会ったのは、卒業して、就職して、一年後。
とある店で、女子会していたときに、彼がたまたま隣のテーブルに座ったのがきっかけ。
運命とは思わなかった。
ただの偶然だと思った。
後日、彼のほうから連絡が来て。
私も何となしに再会を約束して。
何回目かのデートで告白されて、正式に付き合って。
二十四のときに結婚して、それから妊娠した。
味気のない、普通のこと。
特別な出来事もなければ、ドラマチックでもない。
平凡な生活、だった。
◆◇◆◇
「ありがとう。聞かせてくれて」
彼女は微笑みを絶やさないまま、私に礼を述べた。
私は冷静さを保ったまま、このまま殺させるのだろうと覚悟した。
「それで、楽しかった?」
「楽しかった……?」
「彼との出会い。生活。そして日常」
彼女の問いに私は「楽しかった、と思います」と答えた。
徐々に迫る、私の死。
逃れようもない、確実な死。
「そう。それは良かったわね」
彼女は笑ったままだった。
笑ったまま、私を殺そうとする。
「だったら、もういいんじゃない?」
死刑を宣告された気分。
どくんと心臓が跳ね上がる。
「もう、いいって……」
「満足したでしょう? 人生に」
「…………」
「二十五年。十分に生きたと思うわ」
彼女はそこで初めて、表情を変えた。
笑顔から、泣き顔に。
子供のように、泣いている。
急に彼女の感情が変わったから、私は戸惑った。
慰めないといけないと、何故か感じた。
「あ、あの――」
「だから、もうやめましょう」
彼女の声は様々な感情を含んでいた。
春の日のような暖かさ。
夏の日のような苛烈さ。
秋の日のような虚しさ。
冬の日のような冷たさ。
それらが混ざり合って、一つになって。
ぐちゃぐちゃになって――言った。
「こんなことは、やめましょう――お母さん」
◆◇◆◇
人として生きてみたい。
そう願うようになったのは、今から四世紀前のことである。
吸血鬼として何世紀にも渡って欧州に影響を与え続けた私は、言葉を選ばずに言えば、飽きてしまった。
人を殺すのも、人に殺されるのも、飽きてしまった。
現代が古い時代へとなるのに飽きてしまった。
何もかも飽きてしまったのだ。
私には力があった。
いくら死のうが死なない。何者も私を殺せない。
ちょっとした遊びだったのだ。人として生きるのは。
吸血鬼としての記憶を消して、力を意図的に弱めて、赤ん坊となる。
そして成長して、人として死ぬ。
それに嵌ってしまったのだ。
やめられなくなった。なんて楽しいのだろう。できないことがあるということは。
彼女はそのために作った眷属である。
私が『私自身』を『出産』して『赤ん坊になる』手伝いをしてもらっていた。
まあ赤ん坊になった私を他の子と取り替えるのと、夫を殺す役割を与えたのだ。
だがしかし、それを果たす前に、今の私を殺すとは思わなかったけど。
「もう耐えきれません。私は、もう」
「…………」
「お母さんの楽しそうな顔を見て、幸せそうな夫を見て。なのにそれを壊さないといけないなんて」
私の眷属のくせに、なんと情けないことを言う。
所詮は元人間というわけか。
「お願いします。もうやめてください――」
ぐだぐだと言い訳が続きそうだったので、私は彼女の首を刎ねた。
泣いている醜い顔。醜悪だった。
さてと。これからどうするか。
まずは彼女の代わりに眷属を作るとしよう。
私は翼を広げて、空を飛ぶ。
そして万感の思いで、眼下の街を見る。
この光の下で、人間が暮らしている。
一度しかない人生を歩んでいる。
私はそれを何度も繰り返せる。
ああ、なんて楽しいのだろう。
愉快でたまらなかった。
そういえばと首を捻る。
ずっと前から気になっていたのだ。
彼女の名前、なんだっけ?
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