頑張れるアイツと頑張れないオレ

熊吉(モノカキグマ)

頑張れるアイツと頑張れないオレ

「どうして、わたしが頑張れるのかって? 」


 ふとした気まぐれで問いかけられると、アイツはそう言いながら、柔らかく笑った。


「だって、頑張らないと、なんにもならないもの」


 それからアイツはそう言いながら、両手を広げてバランスをとりながら器用に縁石の上を歩き、それがさも当然であるかのように続けるのだ。


「わたしね、自分のこと、宝石の原石だって思っているの」

「宝石の、原石? そりゃまた、ロマンチックな」


 思わず皮肉気に返してしまったオレのことを振り返り、アイツは少しだけムッとした表情でオレのことを睨みつけてきた。


[わたしは、まじめに話をしているの]と、怒られているような気分になったオレは、小さく肩をすくめてアイツの望み通りに押し黙る。


 すると、アイツは満足げに笑って、こう続けた。


「宝石の原石ってね、一目じゃ宝石だって、わからない、ただの石ころみたいに見えるものなんだって。ダイヤモンドも、ルビーも、サファイアも、原石から取り出されて、磨かれるまでは、ただの石ころとあんまり変わらない。


 だから、わたしは頑張るの。

 自分という原石が、輝くような宝石になるために。


 自分という存在が、本当に宝石の原石なのかどうかを、確かめるために」


 つまり、アイツは、自分のことを信じているのだ。


 それは、自分自身にあるはずの才能なのか、それとも、努力すれば必ず報われるという、因果応報の考え方なのか。


 自分のことを宝石の原石だと信じて、アイツは、頑張っている。

 磨いて、磨いて、いつか、本物の宝石として光り輝くのだと、そう信じている。


 オレには、そんなアイツが、たまらなく眩しく思える。


 夏の、すがすがしいほどに青い空の下、燦々と降り注ぐ太陽光に負けないくらいの笑顔で、自分のことを[宝石の原石]だと信じているアイツのことを見つめながら、オレは思わず双眸(そうぼう)を細めていた。


 そして、たまらなく惨めな気分になる。


 オレは、アイツのように、自分のことを宝石の原石だなどと、信じることができないからだ。


 確かに、アイツの言うとおり、頑張って、頑張って、努力を続けなければ、どんなに素晴らしい才能の持ち主であろうと、宝石のように光り輝くことはできないのだろう。

 原石は、原石のまま。

 人々を魅了する輝きを放つことは決してなく、ただの石ころのまま。


 だが、もしも、自分が宝石の原石ではなく、本当に石ころだったとしたら?


 なんの才能もない、価値のない存在だとしたら?


 努力して、努力して。

 その先に、なんの成果もなく、栄光もなく、自分にはなんの才能も価値もないのだと知ることになるだけだとしたら?


 たまらなく、恐ろしい。


 自分は、やればできるんだ。


 ……ただ、やらないだけで。


 そう言い訳をしながら、ぬくぬくと、力を抜いて、気ままに、適当に生きていく方が、ずっとずっと良いのではないかと思える。

 一生、自分に才能など、価値などなかったのだと思い知らされることなく、[自分はただ、本気を出さなかっただけ]と、手をのばそうともしなかった可能性を夢想している方が、よほど幸福なのではないかと思える。


 だって、ばからしい。


 あくせく努力して、思い悩んで、結局、自分が無価値な存在だと確かめることになったのでは、あまりにつまらない。

 報われない。


 そんなことになる位だったら、適当に、それなりに生きて、[自分はただ、本気を出さなかっただけ]と言い聞かせながら終わる方が、ずっとラクなんじゃないかと思う。


 それが、アイツとオレとの、決定的な差だった。


 頑張れるアイツと、頑張れないオレの。


────────────────────────────────────────


 それから、しばらくしてのことだった。

 アイツが、死んだのは。


 あっさりしたものだった。


 よくある話だ。

 働き過ぎの運転手が、居眠り運転。

 いわゆる[人手不足]のせいだ。


 アイツは、その巻き添えになった。


 なんで、こんなことにならなきゃいけないんだ?


 アイツは、ずっと、ずっと、頑張っていた。

 自分の夢に向かって、自分には才能があるのだと、磨けば必ず光る宝石なのだと信じて、ずっと、ずっと、頑張っていたんだ。


 なのに、アイツは、自分が本当に宝石だったのかどうかを、確かめることさえできずに死んだ。


 不公平だ。


 オレなんかよりも、アイツの方がよっぽど、生きる資格があったのに違いないのに。

 頑張れるアイツと、頑張れないオレとなら、明らかにアイツの方に生きる価値があったはずなのだ。


 たった、1メートル。


 いつもアイツが前を、オレが後ろを、そうやって歩くのが習慣だった。

 その[いつも]が、オレと、アイツの明暗をわけた。


 オレは、目の前で起こったことに、ただ、パニックで。

 必死にアイツの名前を呼んでも、アイツは、なにもこたえなくて。


 なにも、できなかった。


────────────────────────────────────────


 その出来事以来、オレの世界は灰色になった。


 もちろん、比喩的な意味で、だ。


 オレの目はそれまで通りこの世界を映し続けていたし、色もしっかりと判別できる。


 ただ、空虚な気持ちだった。


 なにをしても楽しくないし、なにを食べても味がしない。


 自分は生きているのに、生きていない。

 そんな感じだ。


 だが、オレの耳には、ふとした瞬間に、アイツの声が聞こえてくるのだ。


 失われてしまったはずの、声。

 もう2度と聞くことができないはずの、声。


「原石を、探して」


 それは、懐かしさと、悲しさと、喪失感とを呼び起こす声。


「原石を、探して」


 その、アイツの声で何度も、何度も、くり返し、不意をうつように聞こえてくる声は、オレを縛りつける。


「原石を、探して」


 まるで、呪いの言葉だ。


 アイツの声でくり返されるその幻聴は、オレに、足を止めることを許さない。


 なぁなぁに、力を抜いて、適当に、ラクに生きることを許さない。


「原石を、探して」


 オレは、立ち止まることなく、走り続ける。


 自分が、本当に宝石の原石なのかどうか、なんの確証も、自信も得られないままに。

 ただ、磨いて、磨いて、探し続ける。


 オレは、最後の瞬間まできっと、探し続けるのに違いない。


 自分の中にあるのかどうかもわからない。

 ダイヤモンドなのか、サファイアなのか、ルビーなのか、はたまた、他のなにかなのか。


 アイツが飽きもせず、折れることもなく探し続けたものを、オレは、今日も探している。

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