24.嬉しくて、痛かった。
数字が僕の行動によって変動するということを実証した日の翌日。
七里さんの頭の上の数字は35になっていた。このままでは、約一ヶ月後に僕と彼女は別れることになる。
でも、この未来は変えることができる。
深い絶望の中で、一筋の光を見出したような気持ちになっていた。
昼休み。七里さんと付き合い始めたことを、脩平に報告した。恋人ができたことを人に話すのは初めての経験で、くすぐったいような、恥ずかしいような、変な感じだった。
もちろん、数字のことは伏せておく。脩平には、純粋に嬉しい話として知らせたかった。
「そうか。めでたいな」
僕が慣れない報告を終えると、脩平は特に驚く様子もなく、だけど嬉しそうに言った。好きな人ができたという話をしたときに比べて、あっさりとした反応だったのが気にかかった。
「それだけ?」
「ん?」
「もっと驚かれるかと思ってたから。なんか拍子抜けした」
おめでとう! やったな! 今夜は赤飯だ! などと教室に響き渡るレベルの大声で言われるくらいは想定していたので、脩平の口を塞ぐ準備をしていたのに。
「むしろ、やっとくっついたかって感じだよ。俺は最初から上手くいくと思ってたからな」
脩平は苦笑いを浮かべる。
「なんでだよ」
「見ててそう思った」
「フィーリングじゃないか……」
そんなこと、あとからならいくらでも言える。けれど、脩平はそういう意味のないことは言わない男だ。本当にそう思ってくれていたのだろうか。
「そもそも恋愛なんてフィーリングだろ」
「そうなの?」
「そうだよ。お似合いのカップル、とかよく言うだろ。ああいうの、雰囲気とか見た目とかで言ってるわけだし。
「そりゃどうも」
残念ながら、脩平の見立ては間違っている。なぜならば、僕たちはおよそ一ヶ月で別れる運命にあるのだから。
そしてその運命を、僕は今から変えようとしている。
放課後。僕と七里さんは図書室で待ち合わせて、少し勉強してから一緒に帰ることになっていた。僕も七里さんも部活動には所属していない。そのため、放課後は自由だった。
少し勉強してから帰るのは人目を避けるためであり、人目を避けるのは、他の生徒に僕たちが付き合っていることを知られたくないからだ。
「七里さんは、僕たちが……その……付き合ってること、誰かに言った?」
帰り道で僕は切り出した。こうして、僕たちの関係性を実際に口に出すと恥ずかしい。
「まだだけど。どうして?」
「あんまり周りに知られたくないというか……」
周りに知られたくない、というのは、少し違った。
ただ、僕のような目立たない暗い男子と付き合っていることで、七里さんの評価が落ちてしまうのが嫌だったのだ。
中学生や高校生は、交友関係が一種のステータスであると認識しているようなところがある。交際相手というのはその最たるものだ。
僕自身はそういう風潮に対してどちらかというと否定的で、誰が誰と仲が良くても、誰と付き合っていたとしても、その人はその人だと思っている。
けれど、影響を与え合うこともあるし、その人の交友関係も含めてその人が成り立っているという考え方も理解はできる。
サッカー部でイケメンの男子が、とても華やかとは言えない地味な女子と付き合っていることを知って、意外だな、くらいは思ったりもしてしまうわけで。
つまり僕は、七里さんに対する風評被害を恐れている。あんな冴えない男と付き合ってるなんて……と言われてしまうのが怖いのだ。
もしこのまま僕たちが35日後に別れるとして、誰にも知られていなければ、僕と七里さんが付き合っていたという事実は、ほとんどなかったことになる。
本心では、胸を張って堂々と彼女の隣にいたいと思っている。今の僕は、それができるような人間ではないというだけだ。
どこまでいっても、僕の思考は卑屈だった。
「ん。わかった。橘田くんがそう言うなら、そうする」
少し残念そうな顔をしながら、七里さんは了承してくれた。
「ありがとう」
「あ、でも、
七里さんは親友の名前を挙げる。
「うん」
僕も脩平には報告したし、
ただ、高校生にとって、他人の恋愛事情というのは最上級の娯楽だ。脩平や小野屋さんから漏れずとも、一緒にいる僕たちが目撃されて噂にのぼるのも時間の問題だろう。
それに、二学期に入ってからは、七里さんと積極的に関わるようにしていた。すでに勘のいいクラスメイトは何かを察しているかもしれない。夏休み直前、脩平が協力を仰いでくれた女子二人にはもうバレている可能性もある。
だけど、一ヶ月ちょっとなら隠し通すこともできると考えている。
もちろん、僕は別れたくなんてない。できるだけ、七里さんの頭上に見える数字を大きくしたいと思っている。
僕たちの交際を秘密にするのは、あくまで、別れがきてしまったときの保険にすぎない。
七里さんは何かを考え込むようにボーっと虚空を見つめていた。ただぼんやりしているだけにも見えたし、寂しさを噛みしめているようにも見えた。
ようやく恋人になれたのに、彼女が何を考えているのか、何を思っているのか、僕にはつかめなかった。
「そうだ。七里さん、何かほしいものとかある?」
僕は彼女に尋ねた。沈黙に耐えられず、とっさに浮かんだ質問だった。
「え、どうして?」
「あ、いや。クリスマスプレゼント、何がいいかなと思って……」
言ってから気づく。このままだと僕は、クリスマスを七里さんと一緒に迎えることができない。
一年前、散々日本のクリスマス文化に文句を言っておきながら、僕もクリスマスを好きな人と過ごすことに憧れを持っていた。
「あはは。まだ一ヶ月以上も先じゃん。気が早いなあ」
屈託のない笑顔が、とても眩しかった。ずっとこの笑顔が、僕だけに向けられていればいいのに。
「うん。でも、今からバイトとかして、お金を貯めておいた方がいいのかな……なんて」
一般的な高校生のカップルが、クリスマスにどれくらいの金額のものを贈り合っているのかは知らないが、僕は七里さんに喜んでほしいと思っていた。
「えー? そんなバイトしてまで高いもの要らないって。気持ちだけで十分だよ」
「そうかな?」
「うん。それよりもさ……」
「それよりも?」
「なんでもない! 橘田くんがバイトなんか始めたら、私と一緒にいる時間が減っちゃうじゃんって思っただけ!」
七里さんは、顔を背けて一気に言うと、スタスタと先に歩いて行ってしまった。
嬉しくて、痛かった。
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