2.僕ほどつまらない人間は、なかなかいないと思うよ。
「よっす柾人」
スクールバッグから教科書やノートを出して机にしまっていると、後ろから軽く肩を叩かれる。
「ああ、
声をかけてきたのは
社交性が高い。運動神経が良い。女子にモテる。ハンドボール部に属していて、二年生ながらレギュラーとして試合に出場している。中学のときから付き合っている彼女もいる。
僕とは違ってキラキラした青春を送っているようなやつなのに、学校ではなぜかいつも僕とつるんでいる。そのうち、紫桜高校の七不思議の一つになるかもしれない。
灰色にくすんだ青春を過ごしている人間は、そういう人たち同士でなんとなく固まったりしそうなものであるが、僕にそういう友人はいなかった。
もしかすると、その原因は脩平かもしれない。カースト下位の人間からすると、脩平みたいな人種は太陽みたいなもので、眩しいうえに近づくと火傷をしてしまう。僕も太陽みたいな人間は基本的に苦手で、脩平が例外なだけだ。
脩平とは一年生のときにも同じクラスで、毎年秋に開催される球技大会をきっかけに仲良くなった。
一年前の球技大会。
僕も脩平もバスケに出場していた。正直、あまり気が進まなかったが、最低でも一種目は出場しなければいけないというルールがあった。まあ、教育機関としては当然の配慮だろう。楽そうな卓球に出たかったのだが、じゃんけんで負けて出場権を得ることができなかった。
残りはサッカーとバスケ。サッカーはボールに足が負けて痛そうだから、というなんとも情けない理由でバスケに決めた。
球技大会なんてやりたい人間がやればいいのに、などと思いつつ、さぼれないあたり、僕は中途半端に真面目な人間だった。
僕は、運動が得意だとは冗談でも言えないけれど、大の苦手というほどでもなかった。
バスケなら、何度か体育の授業でやったことがある。ドリブルもシュートも、なんとなくはできる。もちろん上手くはない。
それに、母親に無理やり引っ張られて、有華の大会の応援にも数回行ったことがあり、中学のバスケ部とはいえ、日ごろから練習している人たちのプレーする様子を間近で見たことがあった。というのは、あまり関係ないかもしれないけれど。
球技大会の本番当日。一回戦。僕はそれなりにパスを受けて、ほんの少しだけドリブルし、適度に、いや、かなり頻繁にシュートを外した。
そのとき同じチームだったのが脩平だ。運動神経も身体能力もずば抜けていて、完全に僕のチームのエースだった。今からバスケ部に入部してもレギュラーになれるんじゃないかと、素人ながらに思った。
とはいえ、バスケはチーム競技だ。相手は二年生だったし、僕たちのチームには脩平くらいしかまともに戦える選手がいなかった。
つまり、一学年上の相手にはまあ頑張ったんじゃないか、ってくらいの点差で僕たちは敗退した。満足することも、悔しがることもなく。
「おい、橘田」
試合が終わって教室に帰ろうとするところを、脩平に呼び止められた。それまでほとんど接点のなかった脩平から声をかけられて、僕は面食らった。
カースト上位の人間は、それまで一度も話したことのない人間に対して自然に話しかけることができる、という特権を持っているのだ。そのことをすっかり忘れていた。
「ああ、えっと、何か?」
しどろもどろになりながら、なんとか僕は返事をした。試合でのミスを責められるのだろうかと、ビクビクもしていた。
「お前、すごいな」
ところが、脩平は真剣な顔で僕を褒めた。
「え?」
突然の抽象的な賞賛。わけがわからない。
「さっきの試合だよ。いつもパス出しやすいところにいたじゃん」
脩平の言葉は嘘ではない。たしかに僕は、他のチームメイトに比べてパスを多く受けた。
試合が始まって数十秒後には、僕のチームは脩平以外が穴だということが見破られた。マークが脩平に集中したおかげで、僕は比較的動きやすかった。あとは、この位置にいれば味方はパスを出しやすいだろうし、僕は余裕を持ってドリブルができたりシュートが打てたりするんじゃないかって場所にいるだけでよかった。
「まあ、シュートはほぼ全部外したけどね」
僕の言葉も嘘ではない。ゴール付近で受けた脩平からのパスを、僕は外しまくった。
相手チームの守備がほとんどなかったにもかかわらず、だ。さすがに何本かは決めたし、リバウンドで得点につながったりもしたけれど。
それでもやっぱり、さっきの試合は完全に僕が戦犯だったように思う。だから、責められることはあっても、褒められるとは思っていなくて驚いた。
「じゃあ、シュートが入れば超つえーってことじゃん。来年は優勝目指そうぜ」
脩平は爽やかに言った。
「来年も同じクラスとは限らないんじゃ……」
僕はつい真面目に返してしまう。言ってから、彼はそういう返しを求めていなかったのだろうということに思い至る。
一般的な高校生の会話にはノリと勢いが必要だということは把握していたが、実戦で使いこなせるレベルではなかった。
「まあたしかにな! いや、でもマジでお前の動き、忍者みたいですごかったぜ。中学のとき、バスケ部だったとか?」
僕のクソ真面目な返答などおかまいなしで、フレンドリーに喋りかけてくる脩平。若干押され気味になりつつも、僕はなんとか会話を続ける。
「や、違うけど」
バスケ部出身だったら、さすがにあのシュートの下手さはないでしょ。と、心の中で悲しい指摘をしてみる。
「そうなのか! 未経験で、あそこまで良いポジション取れるやつ、なかなかいないと思う。俺も経験者ってほどじゃないからよくわかんないけどな」
脩平は朗らかに、爽やかに笑う。まるで少女漫画に出てくるイケメンみたいだ。少女漫画を読んだことはないけれどそう思った。
「あ、ありがと」
とりあえずお礼を言ってから、何度か妹のバスケの試合を見たことがある、ということを話そうと口を開いた。が、いきなりそんな話をするのもどうかと思い直し、一度口を閉じる。
彼は別に、僕が良いポジションを取れていた具体的な理由を求めているわけではない。それに、僕の家族構成なんて、相手は知らないし興味もないだろう。
「もしかすると、存在感の薄さが役に立ったのかもね」
少し考えて出てきた台詞は、この上なく情けないものだった。
存在感の薄さもそうだが、客観的な視点も役に立ったのだと思う。石橋を叩いて渡るような生き方を続けているうちに、僕はいつの間にか、物事を俯瞰する癖がついていた。
自分の発言は、動きは、立ち位置は、振る舞いは、客観的に見てどうか。目をつけられそうなことはしていないか。誰かの反感を買う恐れはないか。常にそんなことを考えて、日常生活を送っていた。
そうしているうちに、ありとあらゆる言動が制限され、無難でつまらない人間になってしまった。
「なんだそれ。橘田っておもしれーな」
しかし脩平は、僕の自己評価とは真逆のことを言った。
「そんなことないよ」
僕ほどつまらない人間は、なかなかいないと思うよ。
「そんなことあるだろ」
肯定されればされるほど、否定したくなる。僕は人からそういうふうに評価してもらえるような人間じゃない。
もしかすると、僕がこんなにひねくれた性格になったのは、頭の上に数字が見える、この不思議な体質のせいかもしれない。
あいつは彼女ができたと粋がっているけれど、頭の上に数字はないから、見栄を張っているだけ、もしくは一方的な勘違い。
あいつはよく恋バナをしてそれらしいことを言ってるけれど、実は前の彼氏に一週間でフラれている。
あいつは、大人しそうな顔をして、生涯を共にする人が決まっている。
普通の人が見えないものを、僕は見てしまう。だから――。
いや、それはあまりにも勝手な責任転嫁というやつかもしれない。
それから脩平は、ことあるごとに僕に話しかけてくるようになった。いつの間にか下の名前で呼び合うようになり、学校でも一緒に過ごすことが多くなった。
明るくて交友範囲も広い脩平だが、いわゆる〝カースト上位者のノリ〟みたいなものを押し付けてくるわけでもなく、普通に好意的に接してくれるため、僕もだんだんと気を許していった。
脩平はどうやら、僕のことを面白がっているらしい。ここで言う面白がっているというのは、決して馬鹿にしているという意味ではない。自分で言うのは恥ずかしいけれど、一目置いているという感じだ。
僕も脩平のことをリスペクトしている。ただ明るいだけではない。気配りもできるし、優しさも持ち合わせている。
球技大会のときも、僕は、自分のシュートが入らなかったから負けてしまったというネガティブな考え方だったのに対し、脩平はシュートが入れば超すげーというポジティブな考え方だった。
完全に違うタイプだからこそ、お互いのことを面白く感じる。
僕と脩平はそういう関係だった。
結局、二年生でも同じクラスになり、こうして交流が続いている。
天から二物も三物も与えられている脩平に、たまに劣等感を抱くこともあるけれど、そもそも比べることがおこがましいのだという結論に達して、すぐにどうでもよくなる。
そして今。
脩平の頭の上には、6という数字が浮かんでいた。
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