強いから

 死を宣告する首無し騎士は、死んだ者に対しては全く興味がないらしく、山と積まれた白骨を遠慮なしに踏みつけて走っているのが音で分かった。

 蹄や車輪の音に交じって聞こえてくる何かが砕ける音、割れる音。渓谷に悲しげに木霊するそれが、俺達をガキの元へと導く。


 やがてその音が聞こえなくなった。デュラハンが足を止めたのだ。代わりに聞こえてくるのは、あのガキの怒号。


 霧の向こうに見えてきたガキは、くしゃくしゃの赤毛を振り乱し、何事か喚き散らし、自分の倍以上はあろう馬上の騎士にシャベルを振り上げていた。


 いかに騎士然としていようと、奴は人類の敵たる魔物だ。デュラハンは眼前のガキの年齢や弱さなど全く意に介さず、容赦なく両手の武器を構えた。自分の仕事を全うするのに邪魔だと判断したのだろう。


 瞬きの後に、ガキは成す術もなくこの地の死体の一つに変わり、マンドラゴラの養分になる……頭が沸騰していたガキでもまざまざとそれを感じ取ったのだろう。振り上げたシャベルは振り下ろされることなく止まり、全身が震えだし、汗を流した。力の抜けた手からシャベルが落ち、だらりと両手が下がる。


 そして、安心したように笑った。



「このっ……!」



 その瞬間、俺は全力で地面を蹴った。オンボロな靴は摩擦で焼け焦げた。地面が思い切り抉れた。ただの一歩で彼我ひがの距離を食い潰し、俺はデュラハンの凶刃とガキの間に滑り込む。


「お、お兄さっ……!?」


「――クソガキぃ!!」


 俺がガキに拳骨を食らわせるのとデュラハンの刃が突き立ったのはほぼ同時だった。


 ゴキン、と硬質なもの同士がぶつかり合った音が響いた。音の出処でどころは当然ガキの頭と俺の拳。

 一方確実にガキの命を刈り取るはずだったデュラハンの鎌は俺の指に挟み込まれていた。


 背後から動揺が感じ取れた。どれだけ力を込めても俺から武器を取り返せないからだろう、デュラハンは武器を離し、馬に一鞭くれると旋回して霧の中を駆け始めた。

 何を考えてるか知らねえが好都合だ、俺にはガキに言わなきゃならないことがある。



「いっ……〜〜〜〜!?」


「てめえ何が『墓守』の運命だ、死を望みやがって。自分の墓に死体を一つ増やすのが『墓守』の仕事なのか?」


 痛みで悶絶するガキの顎を引っ付かみ、目と目を合わせる。痛みで溜まった涙に、俺の顔が映っていた。


「あの首無し野郎やおっさん植物に好きなように荒らされる墓を放っておくのがお前の仕事なのか」


 合わせたままの目を見開くガキに、問いかける。


「お前の知る『墓守』は、そんなに弱かったのか」


 乱暴に俺の手を振り払い、ガキはハッキリと叫んだ。


「父は、立派にこの墓を守りました!」


「守れてねえだろうが!」


 咆哮する。運命だなんだと小賢しく言い訳を重ねるガキに、自分の心に蓋をして何でもかんでも諦めて、つまんねえ顔ばっかりするこのガキに、抗うことを教えるために。


 たじろいだガキの顔を再度掴む。逃がさない。思考を放棄することを許さない。


「お前の親父が守ろうとしたのは墓じゃねえお前だ! 何勝手に死のうとしてやがる、バカガキが!」


「だって、だって父さんは……!」


「なんだ、もう助からねえとでも言うつもりか! お前が信じてやらねえで誰が信じるんだよ! 見てみろ周りを!」


 この生命が枯れきった地獄の入口を!


「こんな惨状を作り出す化け物に戦闘職でもねえ『墓守』が抗い続けてんだぞ! 生きようとしてんだろお前の親父は! 死んでねえだろうが、お前の親父の誇りは! 起きた時に自分のガキが死んでてみろ! お前の親父が死ぬのは、間違いなくその時だろ!!」


 溜まった涙がこぼれ落ちて頬を伝った。

 分かったのだろう。自分の見た背中は『墓守』としてのものじゃなく、父親としてのものだったと。


「諦め切れねえんだろうが! あんなふざけた茶を作るくらい、親父を助けてえんだろうが! 諦めた振りして楽しようとしてんじゃねえ!」


 ガキは遂に泣き崩れた。

 そのやかましい泣き声をかき消すように背後から響くけたたましい馬のいななき。首もねえ癖に何鳴いてんだよ、おっさん植物といい魔物ってのはどいつもこいつも訳が分からない。

 武器が通じないと見るや、デュラハンはそのまま突っ込んでくることを選択したらしい。


 ガキの襟を引っ付かみ、背後のユニにぶん投げる。羨ましいことに胸に抱きとめられたガキは急に投げられたことに目を白黒とさせながら、それでも俺の身を案じて声を上げた。



「お兄さん!」


「ユニ、下がってろ」


「はーい。程々にね」


 そのままユニとガキは霧の向こうに消えていった。

 嘶きは益々激しく響き渡り、蹄と車輪の音はぐんぐんと近付いてくる。霧の向こうに朧気に影が見えてから、俺はそっと左手を突き出した。


「お姉さん! お兄さんが!」


 背後から、ガキとユニの会話が聞こえてきた。悲痛なガキの声とは裏腹に、ユニの声は至って穏やかだ。


「大丈夫だよ。だってユーゴーは……」


 眼前に飛び出してきた漆黒の巨馬。長身の俺ですら見上げるほどのその巨躯の迫力は、遠近感が狂うほど。

 無い首で俺を睨み付け、馬はもう一度高く鳴いた。そして自身の肉体と馬車の重みで以て容赦なく俺を引き潰そうと、一切スピードを緩めることなく、俺の伸ばした左手と衝突した。


 凄絶な音と衝撃が渓谷を駆け巡る。周囲を覆っていた霧が吹き飛ばされ、俺とデュラハンの周りだけ視界がクリアになった。



「――強いから」



 だからこそデュラハンは、俺との実力差を思い知ることになった。


 渾身の突進は、俺を殺すどころか後ろに下がらせることも出来ないと、無い目でよく確認できただろう。それでも押し込もうとして踏ん張る馬の足元だけがどんどん削れていく。


 必死なデュラハンとは裏腹に、俺はただ、馬の胸に当たった左手をぐっと握りこんだ。


 目にできるものならしてみろ。これが炎だと気付けたならば誇れ。さあ、瞬き厳禁だ。


 どんなものだろうと一瞬で焼き尽くす。



「『圧倒する怒号グラップ・レッド』」

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