お野菜の気分

 ボッ――と乾いた音が鳴った時には、馬に触れていた手は虚空を掴んでいた。

 まるで空間ごとスプーンで抉りとったかのように、馬の体の大半が綺麗に焼失し、人間部の下半身までもが消え失せた。


 残った腐肉がジリジリと焼けていく。やがてバランスを崩したデュラハンが馬車部を残してどうと倒れた。

 しかしそこはアンデッド、人間ならばとうに死んでいる傷でも命までは奪えない。バタバタと地面で暴れるそれをむんずと掴み、渓谷の向こう側に放り投げる。


「おらよ!」


 間髪入れずに指を鳴らした。立ち上る極上の火柱が辺りの霧を焦げ付かせ、空と太陽、遺骸の断崖、そして渓谷のど真ん中にどんと居座るマンドラゴラの姿を露出させた。


 足元に転がってきたデュラハンの肉を馬車だけ残して吸収し、奴はにやにやと嫌らしく笑った。



「そういや、俺も腹が減ったな」


 意に介さず呟く俺の元に、地面からでたおっさん植物の根が殺到する。四方八方、せっかく見通しの良くなった空の一部も見られないほどの木の波涛。先端が尖ったそれらは、肉を引き裂き、生物の身体を芯から食らうのだろう。


 だがそんなものは次の瞬間には消えて無くなっていた。

 デュラハンと同様に、根本辺りを残して刹那で失せた触手は、暫し呆然としたように固まっていたが、ジリジリと侵食する熱を逃がそうと地を這い回った。


『き、キェエエエエエエ!!』


「うるせえ!!」


 咆哮を上げたおっさん植物を恫喝するように地を踏み鳴らし、轟と叫んだ。

 生じる衝撃波と暴風が奴の声をかき消し、葉を揺らす。


 いや、揺れているのは奴自身。ここまで長生きした臆病な奴のこと、彼我の戦力差を理解し、どう足掻いても勝てないと悟ったのだろう。


 マンドラゴラは胞子を撒き散らした。辺り一面が白に覆われ、再びお互いの姿を覆い隠す。そして聞こえてくるのは奴の走る音。しかし、その音は徐々に遠ざかって行った。


「おいおい、逃がす訳ねえだろ」


 思い切り手と手を打ち鳴らす。


 これこそは人類の光明。魔物の跋扈する世界に風穴を開けた大魔法。あらゆる絶望を消し飛ばす、地上に顕れた恒星。


「『侵略する怒号クラップ・レッド』」


 爆炎が空間を。炎の津波が道中の胞子を微塵も残さず灰燼に帰しながらマンドラゴラに追いすがる。


 最期の足掻きだろう、奴が喚きながらデュラハンの馬車を投げてきた。開いた扉からボロボロと遺骸が落ちてくる。


「はっ! 腹が減った俺に献上品か? だが生憎だな」


 指を鳴らして馬車ごと燃やす。その頃には既に、マンドラゴラに火がついていた。


「今は、お野菜の気分なんだよ」


 音を立ててマンドラゴラが一気に燃え上がる。断末魔の悲鳴は俺が何もしなくとも誰にも影響を及ぼさなかった。


 後には何も残らない。灰すらも風に吹かれてどこかに失せる。


 ふん、最期の最後で可愛げ見せたな。


「燃え尽きやがって根性無しが。もう食うとこ残ってねえじゃねえか」


「私、マンドラゴラは食べたくないなあ」


 振り返るとユニが苦笑していた。


「ガキは?」


 ユニは視線だけで後方を示した。


 断崖の上、墓を見守るようにしてあるボロ小屋に歩いていく。中からはガキの喚く声が聞こえてきた。


「どうした」


「お兄さん! 父さんを助けて!」


 見れば蔦がうねうねと動き回り、ガキの親父を更に強く戒めている。

 その蔦が勢い良く飛び出し、俺の全身に巻きついた。締め付けの強さは捕らえようとするためのものではなく、絞め殺そうとするそれだ。弱い生き物なら内臓ぶちまけて死んでいるだろうが俺には効かねえ。


 怨恨すら感じるが、その原因は蔦についている不細工な顔を見れば明白だった。


「しつこい奴だな」


 なんだよそのニヤついた顔。墓守の親父の体内にまで根張ってご満悦か?

 ああ、確かに俺じゃその宿主ごと殺しちまうだろうな。


 だがな、お前の眼中に無いそこの牛乳女の方が、魔法に関しちゃ俺より上だ。


「ユニ」


 何のアクションもなく、きっかけも前兆もなく、蔦が炎に包まれる。

 泣き叫んで親父に縋りつこうとするガキの肩を掴んで止め、慈愛に満ちた微笑みをユニは向けた。


「大丈夫。この炎は人を燃やさない」


 言葉の通り墓守の親父の顔は穏やかだ。響くのはおっさん植物の断末魔だけ。


「そういう炎だからね」


 やがて対象を失った炎は収まっていく。

 灰すら残さず綺麗さっぱり蔦は失せたが、吸い尽くされた生命力までは戻らない。

 長く戒められていた墓守の親父の息は未だに浅く、身体には肉がついていない。骨と皮だらけのそれにそっとユニは治癒魔法をかけた。


 変化は如実だった。

 まるで時間が逆行するかのようにその身体には生命力が溢れ、みるみる内に若返っていく。


「それなりに万能なんだ、私」


 深く呼吸を繰り返す親父を見て、ガキはまた涙を流した。

 





「ありがとうございました」


 青い空のように晴れやかな顔でガキは礼を言った。


「一緒に来るか?」


 一度断られた問いを繰り返す。

 ガキは一切迷わずにかぶりを振った。



「いいえ、僕は『墓守』。この墓地を守り、魂の安寧を約束する者。ここに眠っている人達が安心できる場所を、また作らなくちゃ」


「そうか」


 それだけ言って踵を返す。

 俺達は旅人だ、ここに留まる意味はない。


 さっさと先に行く俺に小走りで追い付いて、笑みを含んだ声でユニが言う。


「良い子だったね」


「ふん。最後の最後まで縛られやがって」


「あれも一つの『自由』だよ。考え、悩み、自分で結論を出して、父親の跡を継ぐことを選んだ。『運命』に縛られているのとは違う」


「分かってるよ」


 坑道の入口の前で足を止め振り返ってみると、遠くでガキがまだ手を振っていた。


「さようなら! 『剣士』のお兄さん! 『魔法使い』のお姉さん!」


 強い風が吹いた。それはユニの被っていたフードを捲り、その下の紺の長髪を靡かせる。


「『剣士』ねぇ」


「『魔法使い』……か」


 どちらからともなく呟く。

 俺は腰元の安物の剣を叩いて、ユニは側頭部の大きく湾曲したに触れた。


 俺の剣は錆び付いていてボロボロだったし、ユニのそれは明らかに人間のものではなかった。


「……気張れよ」


 聞こえないように呟いたつもりの言葉を拾い、ユニはくすくすと笑った。


「気取っちゃって」


「良いだろ。そういう『職業ジョブ』だったんだ」


 そっぽを向く俺にまたユニは笑う。舌打ちした。





「そうだね――勇者」


「お前はもう少し格好つけろよ――魔王」


 言ってから小突き合う。

 俺はユニの角を殴りつけ、ユニは俺の脇腹に肘を入れた。


な」


ね」


 そう、これは譲れない一線。俺はもう人類の希望など背負わないし、ユニはもう魔物の象徴ではない。


 俺達はもう、『職業うんめい』に縛られない。



「さて、これからどうしようか?」


 風に煽られる長髪を抑え、ユニは晴れやかな空を見上げた。どこまでも広く澄み渡る、自由の象徴のようなそれを。


「どうにでもなるさ」



 俺は、魔王を倒した。

 幾多の困難と数多の敵を打ち破り、人々の夢を叶えた。勇者として生まれた俺は、魔王として生まれたコイツを倒し、天上に召し上げられて幸せになる。それが俺とユニのエンディング。それが俺とユニの持って生まれた運命。


 俺達はそれを、拒絶した。


 俺は、ユニを殺さなかった。それがバグだった。綺麗に敷かれたレールを少しだけ外れてみたのだ。


 この世は、『運命』によって縛られている。

 人は生まれた瞬間、『職業ジョブ』という生き方を与えられて、それに従って生きている。俺は勇者として、ガキは墓守として生まれた。俺とガキが違うのはそこだけだ。


 生まれ持った職業が全てだ、この世界は。その瞬間に全てが決まる。努力なんざ入る余地はない。勝つ奴は、生まれた瞬間に勝っている。


 俺達は、それが気に入らなくて運命に逆らい、世界から弾かれた。


 『職業』に縛られていない世界は危なかった。

 戦闘以外じゃ死なないように補正のかかっていた俺とユニはその恩恵を受けられなくなり、追い詰められると覚醒するはずだった俺の力は、努力で無理矢理引きずり出すしかなくなっていた。


 それでも俺達は、運命に唾を吐いた。

 ルールの外の世界は死に溢れていたが、自由があった。


 俺達は、自由になった。



「待ってたって、どうにもならないよ?」



 それは俺達が、運命から外れているから。



「んじゃ、どうにかするさ」



 なら俺達はせめて歩き続けよう。

 待ってても来ない奇跡とかいうものを迎えにいこう。


 ユニに倣って天を仰ぐ。遠くの空で魔鳥が鳴いていた。そういえば腹は減ったままだ。美味い鶏肉でも食いたい気分だった。


「お野菜の気分じゃ無かったの?」


 うっせー。いいんだよ、別に。


 なんでも決まってたら、面白くねぇだろうが。

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