氷河

ひょう-が【氷河】

高山や寒冷地域の雪線以上のところで凝固した万年雪が、上層の積雪の圧力の増加につれて、氷塊となり、低地に向かって流れ下るもの。流速は、山岳氷河では一般に年50~400メートル、海に流れ出る氷河では年1000メートルを超えるものもある。


(広辞苑第七版より引用)


どうも、今日もまた自己語りの時間が来ましたね。


更新がだいぶ遅れてしまった。まぁ目まぐるしく忙しかったのもあるが、何より前話で書いた深海に触れる時間というのがなかったというのが一番の原因である。深海は触れようと思って触れられる日もあればそうではない日も多い。一週間のうち何度か試したが失敗に終わっていた、というのが今週である。


さて今日も世界が全く興味のないなんでもない文章を作成していく。どうやら私は一話で書いた「なんでもないもの」というのが大層自分の中で気に入っているらしい。振り回されるアリスは、今日はクリケット大会だろうか。全てが決まりきった大会にフラミンゴだったか、を持ち、ハリネズミを打って得点を競う。赤の女王の暴政に巻き込まれるアリスは、何を思っただろう。


ここまで書いて私は前回書きたいものを終盤に書いたことを思い出す。ええと確か内容はこうだ。「私の文章が難しいと感じる人たちへ」。先週の私の考えはどうだったか。何とか引っ張り出しながら書いていくとしよう。


まず、私の文章は一般大衆から見て難しい部類なのだろうか。ここでは読者が彼女と今のところもう一人、この方は私の文章の何に興味を持ったのだろうか…そんなことは考えても分からないので今のところは置いておく。仮に難しいと仮定するならば、それはなぜだろうか。なんだか数学的帰納法のようだ。恐らくだが、私の書き方は直喩暗喩等の比喩表現やら擬人法が多いのが原因だろう。あとは直接的に書かず、かなり遠回しで分かる人にはわかるような書き方しかしない。何もわからない人であれば「何だこれは、まるで文章が成り立っていないじゃないか」という指摘を受けてもおかしくない文章を書いている自信がある。これで他人に「そんなことねぇよ」と言われれば恥ずかしいことこの上ないのだが、まぁこの場なので許して欲しい。


私は比喩表現が好きだ。なんだかわけのわからない文章ほどワクワクするものはない。この時のわけのわからない文章というのは「単語は読めて一つ一つの意味は分かるのに、文章として成り立っておらず、意味が隠されているかもしれないもの」と定義する。この定義の中に文豪と呼ばれし人たちの小説は入らない。実のところ古典文学など今の言葉と一緒の書き方をされていないものは私の中に文章としてしか入ってこないのだ。つまり、その文章はただ事実を述べるだけのものになり果ててしまう。これは私の読解力不足なのだろうが、人が作り上げたものなのだ、相性というものである。そんな理由を勝手につけて何となく敬遠しているだけなのだろうが。


まあこれで結論である。とにかく、言いたかったことは私の文章が難しいのであれば、無理して読む必要はどこにもないということだけである。それでも興味を持ってくれるのであれば、嬉しいことこの上ないが。


そういえば、何度か前回を自分で読み返しているときにやけに先週の自分は饒舌だった気がする。深海に触れていないとこういうことが起きるのか。新たな発見であった。今もそうだが。


饒舌は悪い事ではないとは思う。ただ良いかと言われればそんなこともない気もする。なんでこんな話をしはじめたのか。今日は深海とはかなり遠い部分にいる用である。話が二転三転している。厄介だ。


なんだかこれ以上書いても今日は何も出なさそうだ。やはり深海にいないと書けるものもないものだな。今日はここで切り上げるとしよう。過去一無意味な話の時間であっただろうな。まぁそんな日もあるよな。

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