第3話 ほろ苦いコーヒーと出会いの香り

現場は、見知った場所だった。

懐かしい金木犀の匂いとジャリジャリと地面と足がこすれる音がする。


屋上といえば、もうルートは決まっている。

耳についている情報端末の案内など、要らないほどに自分の体に染み付いていた。


彼女に出会うまで、僕の人生は詰まらないものだった。

出会ってから、人生が悪くないと気づいたのだから、出会わなければ、僕もきっと、今、同じ場所に立っていただろう。


母校の旧校舎の屋上は、その響きに相応しいほど、錆びた手すりがちらほら。

日が暮れてもう暗く、通報にあった例の子どもは、わざと自分を見せつけるかのように月の明かりが当たる場所に立っていた。


自殺防止用に作られた、やすやすと柵を乗り越え、グラウンドを眺める人影は、死を前にしているはずなのに、なぜか自由を得ているような気がした。


いつもは上司が傍に居てくれたおかげで、緊張せずに済んだが、手に汗が滲む。

僕は、新人研修で行った内容を、一生懸命思い出し、頭をフル回転させて、一歩一歩相手に向かって踏み出す。

人が多い都市部と違って、自分の住んでいる街は人が少ないために、こういった状況になってから、通報が来ることが多い。

過疎化真っ最中の街は、寂れていく一方で、最新技術も街に社会実装するにはコスパが悪いのだ。


だから、この足で、解決するしかない。

事後現場を見る毎日、こんなことになるなんて夢にも思わなかったが、救える命は救いたい。

親友の顔が思いうかび、柵まで近づけたその時、相手の口が開いた。


「今日は、お兄さんが来たんだ。。」

女性の声が聞こえる。

僕が来たことを察知して、屋上の縁に座り、足をブラブラさせていた。


僕は、唾を飲み込み話しかける。

「早まるな。救いたい。絶望しないでほしい。まだ、希望はある。」


「昨日来た刑事さんも同じことを最初言ってた。」

制服を着た彼女は、そう言って微笑する。

「それに、まだ希望はあるって本心?」

彼女は一度立ち上がって、柵越しにこちらを見つめる。


彼女に瞳からは、何か力強い気迫を感じた。

屋上に吹きさらす風に負けないように、必死にこっちを、僕を見つめているように見えた。

僕は、突然の質問に狼狽えていると、彼女は続けて口を開く。

「じゃあ、なんで、お兄さんはそんなに怯えた表情をしているの?」

正直、今日のお風呂場の事件を見てから、心が痛む。毎日、どこかしらで起こっている事件のはずなのに。他人事に思えなかった。


「もう人が、目の前で死ぬのは嫌なんだ」


「でも、私とお兄さんは無関係でしょ?なんで、知りもしない。今、会ったばかりの人に、そんな感情を持つことができるの?」

「分からない。確かに君と僕は関係ない。見ず知らずの他人だ。だけど、目の前の人を救うのが僕の役割だ。決して、事後現場を報告することだけが役割じゃない。」


「でもさ、お兄さん。お兄さんはそれで、満足かもしれないけど。私は、生きているのが現在進行形で辛いんだよ。お兄さんの存在理由は高尚なものかもしれないけど、私の存在理由は、ちっぽけなの。何人もいるうちの使い捨ての一人。特別なんかじゃないし、生まれたことを祝福されてもいない」

彼女の柵を握る手に力が入る。


自分のエゴで対話をしていたし、マニュアルどおり話せば、うまく収まるのかと思っていた。

彼女の目は至って真剣で、初めて、僕と会話したとは思えないほど、一つ一つ言葉を噛み締めて会話してくれていた。


「ごめん。僕は自分の経験で、語りすぎたね。君の気持ちを否定するつもりはないんだ。むしろ、最初も僕は似たような気持ちだったんだ。実は、ここは僕の母校でね。

何度も、ここに登ったことがあるんだ。君がその手にかけている手すりも、何度も触ったよ。」

僕は、声のトーンを落として、彼女に語りかける。

「人生って、つまらないよね。僕も同じ気持ちになったことがあるから。すごくわかる。正直、今なんで、この仕事をしているかも分からないんだ。毎日、事後現場を見つけて、報告する仕事。この作業にとても意味があるようには思えなかった。都心部で行っている作業も、この街に来ると、そんな些細なことも仕事になる。その繰り返しなんだ。」

僕は、一息ついて、また彼女を見る。

「僕は、今朝、一人の命と向き合った。彼女の死に際には、会えなかったけど。今では珍しい、紙で記録を残していたよ。それが、生きた証だったんだ。君は、今そこに立っているけど、何も後悔はないのかい?好きな人に気持ちは伝えた?親孝行はできた?」


僕が、彼女に近づき、語りかけた瞬間。


彼女は、柵を飛び越え、僕の胸ぐらをつかみ、押し倒してきた。


「ちょ」

僕は、彼女の急な行動に驚き、思わず、顔を隠し、両腕で防御の姿勢を取った。


数秒間、僕は身動きをしなかった。


彼女の涙が僕の腕に落ちた感触で、はっとし、腕をおろした。


「私に親はいない。私は愛されたことがないから、好きって分からない。学校のみんなは、楽しそうにしてるよ。いつも。でも、私は全然共感できないんだ。みんなが楽しそうにしている理由や、親友が嬉しそうに話す話を理解してあげられない。

私は。。。私は。知りたい。その感情を。私の生きる理由を教えてよ」

彼女は、ぽろぽろ涙をこぼして、泣いていた。

肩を震わせて、嗚咽を出しながら。


親友を見送った葬儀場が頭の中で、フラッシュバックをして、僕は彼女に声をかけていた。


「ここ寒いからさ。下降りて、お茶しない?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




街中の明かりの下で、彼女をよく見ると、なんだか、昔会った彼女に似た雰囲気をしている子だなと。思った。


店の前で、流れる動画につられて、キョロキョロしている表情を見ると、やっぱり違うようにも感じた。


この街には、賑やかなコミュ力の高いキャッチは存在しない。

今世紀に入って、皆が気づいた。キャッチは意味がない。みんな情報端末を手に取り、無駄なく目的のために動いているからだ。

外に出た時点で、何をするか決まっている。


この通り、僕も平日は勤務。休日は買い出しと、やることが決まっているし、彼女のために寄り道はしないようにしている。


だから、この通りを歩いてて感じた。ここまで、何も目的がなく歩くのは久しぶりだと。



「ねぇ、お兄さん。お茶ってどこでするの?」


「そうだな。君、飲みたいものは?」


「今の流行りはバナジューだけど。良いよ、お兄さんが好きなので」

彼女は、カラフルで賑やかそうなお店を指差し、そこは二人じゃ入れないよね。と言いたそうな表情で笑い、僕に任せてきた。


「じゃあ、喫茶店で」

え、彼女の嫌そうな顔には、目もくれず、僕は喫茶店へ入った。


店内に入ると、テーブル席が用意されていて、自動で注文する仕組みかと思いきや、すでに趣向に合わせた飲み物がテーブルの上に用意されていた。


僕が少々驚いていると、彼女は構わず、テーブル席に先に座った。

僕も遅れて、席に座り、一息つくと、彼女が嬉しそうにこちらを見ている。


「こういう店、初めてなの?」


「ああ、こんな店、初めてだよ。喫茶店だと思ってたのに」

そう言って、僕は苦笑いする。


「そうなんだ。最近多いんだよ。完全個室で。パーソナルドリンクがあるお店」

彼女は、自分の前に用意された飲み物に刺さっているストローをツンツンしながら、喋る。

「その、パーソナルドリンクっていうのは、なんなんだ?」

僕は年下に、自分が無知なことを恥ずかしながらも、聞いてみた。


「今、自分の気分に合うものを、自動で作ってくれるんだって。お兄さんの場合は何なんだろうね。私の場合は、さっきまで、死のうとしてた人だし。毒でも入ってたりして」

彼女はそう言って、ストローで飲み物を飲もうとしたので、慌てて、僕はコップを取り上げた。


「あー、何するの」

彼女はムスッとした顔をして、僕を見る。


「せっかく、君を助けたのに、死なれてもらったら困る」

僕は、とっさの行動に自分自身驚きながら、彼女に言い返した。


「じゃあ、僕は、喉乾いてないから。僕のを飲んでいいから」

そう言って、僕の手元に置いてあったドリンクを彼女に渡す。


「えーこれ、見るからにコーヒーじゃん」

彼女は匂いを嗅いで、目を細めていった。


「大丈夫だよ。それ、ブラックじゃないし。きっと飲めると思う」

僕は、そう言って、彼女に飲み物を勧めた。



そう、

彼女は、ブツブツと文句を言いながら、コーヒーを口にした。


「ん?本当だ。結構甘い」

彼女はそう言うと、またいっぱい口にした。


「え、そんなに甘かったけ?」

僕は彼女の表情に半信半疑になった。いくらコーヒーでもそこそこ苦いはずなのに、彼女はそうでもなさそうに見える。



「なに、せっかく飲んだのに信じてくれないの?」

「あ、いや、そんなわけじゃ」

僕は、急いで訂正をすると、彼女は、自分の飲んだ飲み物を差し出す。


「はい。あなたも、飲んでみたらわかるよ」



そう言われて、僕は、またコーヒーのマグカップを見つめた。

ミルクで濁って、僕の表情は見えない。


僕がコーヒーを一口飲もうとして、マグカップを口に近づけるとそのまま、目の前の彼女の姿は視界から消え、次にコップを置いたときには、彼女は僕の横に移動してきていた。


「どう?美味しかった?」

え、僕は、彼女のいきなりの仕草に動揺していた。


気がつけば、彼女は頬を赤くして、僕に体を寄せてきた。

彼女の息遣いが聞こえる。


「どうしたの。いきなり」

「し、静かにして」

彼女はそう言って、僕に口づけをした。

ほろ苦いコーヒーの味がした。


そのまま何かに狩られるように、口づけを続けた。

僕も求められるように服を脱ぎ、彼女も荒い吐息ともに、肌を露出させた。


そして、枕元で彼女は僕に囁いた。



「知ってたよ。ここが喫茶店じゃないって。」

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