第54話 結ばれた想い

 ――ザッパン


 イルカが大ジャンプを披露し、観客席からは歓声が上がる。プールに最も近い席の観客には合羽が配られていたが、それでも一部は濡れてしまっている。そんな人には水族館からオリジナルのタオルが手渡されていた。


「楽しかったぁ」


 ショーが幕を閉じ、観客はそれぞれに展示を見に戻ったり、帰宅の準備をしたりしている。

 華月は会場の全体が見渡せる高い場所にある席で、うーんと伸びをした。プールを見下ろせば、イルカたちが飼育員たちに餌を貰っている。

 天井から吊り下げられて揺れるボールが、ショーの余韻を残す。


「あのボールまで届くなんて凄いなぁ。それに、人を鼻先に乗せて泳いでたし」

「かなり訓練したんだろう。何となく、イルカも『やりきった』って顔してる気がする」

「ふふっ、そうだね」


 そろそろ行こうか。華月は立ち上がると、小型のリュックを背負った。

 華月が先行して出口へ続く階段を上る。すると突然、後ろから走ってきた幼い女の子が華月の横を無理矢理すり抜けようとした。


「わっ!?」

「華月!」


 どさっ。バランスを崩して椅子に頭をぶつけることも覚悟していた華月だが、痛みはない。

 そろそろと目を開けると、眼下にはプールがある。温かさを感じて首を捻ると、手すりを掴んで自分を抱き止める光輝の姿が目に入った。華月は光輝の胸に背中を預ける格好になっている。


「……」

「……」

「……その、大丈夫か?」

「あ──」

「ごめんなさいっ。お怪我はありませんか!?」


 華月が光輝の問いに答えようとした瞬間、それに被せるようにして焦った声が下の方から聞こえた。2人して見ると、女の子の親らしき男女が顔を青くして立っている。

 女の子はといえば、出口付近で「おかあさーん、おとうさーん?」と元気な様子だ。娘に対し、父親が怒りを込めて呼び掛ける。


「こら、戻って来なさい! お姉さんに謝るんだ!」

「本当にごめんなさい。うちの子そそっかしくて……」

「あ、大丈夫です、大丈夫です。この通り、何処も怪我してないですよ」

「一歩間違えば大怪我してたわ……。彼氏さん、彼女さんを守ってくれてありがとう。私たちもあの子にちゃんと教えなきゃ」

「え……あ、はい」


 彼氏さん。そう呼ばれ、光輝の顔がじわじわと赤く染まる。危ないですから気をつけて、とでも口にしたかったのだが、完全に毒気を抜かれてしまった。

 平謝りする両親とよく意味がわかっていない女の子を見送り、華月と光輝は互いに気まずくなってしまう。

 しかし、ずっとこのままここにいる訳にもいかない。光輝が「行こうか」と呟くと、華月も頷いた。


「あの、さっきは助けてくれてありがとう」


 土産物売り場を見て回っていた時、華月がペンギンのぬいぐるみに視線を落としながら呟いた。耳まで赤くして、顔を上げられない。


「あの子のお母さんの言う通り、白田くんがいなかったら怪我してたかも。だから──」

「え?」


 聞き返す華月に、カピバラのぬいぐるみと睨み合う光輝がぶっきらぼうに言う。


「呼び方。名前で呼んでくれて良いって、さっき言ったよな」

「あ……光輝、くん。……わたしのことも、呼んでくれる?」

「──華月」

「……はい」


 いつもより少し真剣な気配を感じ、華月は思わず丁寧語で返事をした。


「……話したいことがあるんだ。まだ、時間あるよな」

「う、うん」


 慌てて首肯した華月が顔を上げると、光輝が驚くほど優しい目で自分を見ていた。どくんどくん、と鼓動が速くなる。

 光輝はふとぬいぐるみ売り場から小さなイルカのぬいぐるみを1つ取ると、レジへ向かって歩き出した。

 まさかと思い、華月は光輝を呼び止めようとする。しかし、光輝は笑うだけだ。


「み、光輝くんっ!?」

「それ、さっき見てただろ? 待っててくれ」

「そうだけどっ」


 さっさと行ってしまう光輝を止められず、華月はぽつんと取り残される。心の中では、光輝の「話したいことがあるんだ」という言葉がリフレインしていた。


 ☾☾☾


 水族館を後にして、2人は再び電車に乗り込んだ。昼過ぎの車内は土曜日ということもあり、乗客が多かった。2人はドア側に追いやられ、壁ドンの形で目的の駅まで乗っていた。


「狭いけど、我慢してくれ」

「だ、大丈夫……」


 恥ずかしさで顔を上げられず、華月は揺れから身を守るために光輝のジャンパーを掴んでいた。


 着いたのは、学校の最寄駅だった。

 まさか学校に私服で行くのかと危ぶんだ華月だったが、光輝が進むのは別の方向だ。何処へ行くのか見当もつかず、華月は手を引かれながら尋ねる。


「ねえ、何処に行くの?」

「……鍛練の途中で見付けたとこ」

「わたしの知らない所?」

「そ。何度か別行動したことがあっただろ? その時に、な。少し歩くけど」


 光輝の言った通り、駅を出てから20分近く歩いた。歩きやすいスニーカーを履いてきてよかったと安堵しつつ、華月はずんずんと歩く光輝を追う。

 やがて2人は坂道と階段を上り、町の高台へとやって来た。

 秋から冬にかけて、夜は早く訪れる。既に夕刻に差し掛かる中、光輝が手すりから空を指差した。


「見てみろよ」

「え……。わあっ!」


 高い建物が少ない帳町の全体が見渡せる高台から空を見ると、何にも邪魔されない茜色を臨むことが出来た。群青色と茜色のコントラストが美しく、更に町並みに色が映る。

 都会の夜景とはまた違うが、綺麗な景色だ。


「こんな風に、空も町も見たことなかった」

「だよな。俺は元々空を見るのが好きだったけど、最近は忙しすぎて忘れてた。……きっと、ここからの空は綺麗だろうって思ったんだ」

「だから、連れて来てくれたの?」

「……まあな」


 夕焼けの色なのか、光輝の顔が赤い。おそらく自分も同じような顔をしているのだろうと思いつつ、華月はリュックから紙袋を取り出した。

 水族館のイラストが描かれた袋を見て、光輝が目を丸くする。


「それ……」

「光輝くんがお手洗いに行ってる間に、わたしも買ったの。ほら、光輝くんに貰った子はここにいるよ」


 華月がリュックを開くと、財布やハンカチの上に桃色のイルカがちょこんと乗っている。

 光輝は華月から紙袋を受け取ると、その中身を取り出す。入っていたのは、彼が華月に買ったのと色違いの水色のイルカだった。


「っ、何だよ。交換するみたいになったな」

「今日、一緒に行けた記念。この子を見る度に、今日のこと思い出すと思う」

「華月……」


 照れ笑いをして、リュックから出したイルカを抱き締める華月。

 彼女と水色のイルカを見比べていた光輝は、意を決して口を開いた。


「華月、俺はお前が好きだ」


「えっ……?」


「最初は憎むべき敵だと思った。だけど、お前は俺と一緒に魔族と戦うと言ってくれて、いつも隣にいてくれた。……いつの間にか、華月が傍にいないと寂しく感じるようになってたんだ」


「……っ」


「魔界に華月がさらわれて、ようやく気付いた。もう伝えられないかもしれないって焦ったけど……取り戻せた。ずっと、伝えなきゃいけないって思ってたんだ」


「ま、待って。光輝くん、わたし──」


 キャパオーバーに陥り、華月は顔をイルカで隠す。しかし顔は隠せても、首や耳、手まで真っ赤にしていれば同じことだろう。

 心臓の音が五月蝿すぎて、喉から飛び出してしまいそうだ。そろそろと華月はイルカを胸の前に下ろすと、きゅっと抱き締める。


「わ、わたしも……わたしも光輝くんのことが好きです」


「え……」


「そりゃあ、最初攻撃された時はびっくりしたけど。でも、いつもわたしを気に掛けてくれて、守ろうと戦ってくれた。いつの間にか、一緒にいたいって思うようになって。……この前こっちに戻ってきた時に気を失ってて、心配で心配で仕方なくて、どうしようもなかったの」


 思い出すのは、魔界から戻ってからの時間だ。光輝の無事を願い、泣きそうになりながら待っていた日々。

 華月はごくんと喉を鳴らすと、潤む目を光輝へ向ける。これ以上は、心臓が壊れそうだ。

 破裂しそうな胸を押さえるようにイルカを抱き締め、華月は素直な気持ちを懸命に口にした。


「……あなたが好き。大好きです。わたしの彼氏に、なってくれませんか?」


「──はぁ、華月。可愛過ぎるだろ」


 ため息と共に本音を吐き出した光輝は、イルカを胸に抱いたまま、震える華月に近付いた。そっと背中に手を回し、壊れやすいものを扱うかのように優しく抱き締めた。

 もう二度と、離れ離れにならないように。


「俺で良ければ。……俺の彼女になって欲しい、華月」

「──うん。わたしも光輝くんじゃなきゃ、やだ」


 華月のすすり泣く声が、光輝の腕の中で聞こえる。2人分の鼓動は速く、最早溶け合ってどちらのものかわからなくなっていた。


 夕焼け空は群青に染まり、互いの真っ赤に染まった顔を隠す。それでも繋がれた手は熱を持っていて、冬の寒さは感じられなかった。

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