第35話 魔界に囚われて
固い地面の感触に、華月は呻いた。更に冷たい床に倒れているのだと気付き、そっと目を開けた。
「ん……。ここ、は……?」
体を起こそうにも、手首が背中に回され何かで縛られている。足首も太い紐でくくられて自由に動かせず、華月は首を動かして周囲を見回した。
何処かの一室なのだろうか。可愛らしいクッションが置かれた椅子と机が窓際に置かれ、本棚にはぎっしりと書籍が詰め込まれている。
華月以外は誰もいないのか、しんと静まり返っている。響くのは、華月の呼吸する音とごそごそと動こうとする彼女の物音だけだ。
その時、戸が開いた。そして、誰かがゆっくりと入って来る。
「あらぁ、目覚めたの?」
「あなたは……ヴェイジア?」
「正解。だけど、ワタシが姉なのだから言葉には気を付けなさい?」
ふわりとした柔らかな動きで椅子に腰かけたヴェイジアは、笑みを浮かべて華月を見下ろした。その手には、分厚い本がある。
ヴェイジアは本のページをめくると、ある場所で手を止めた。そして、文字をなぞるように指を動かす。
「この本には、黒龍の力について書かれているの。黒龍と魔王の関係性や、魔力の使い方とタイムリミット。そして、黒龍を従わせる方法とかね」
興味深いでしょう。ヴェイジアはくすっと笑うと、椅子から立ち上がった。膝をつき、華月の顔にかかった髪を払う。
「あなたは、良い『器』になる。ワタシが魔王となった後、黒龍を宿して力を行使し続けるの。そして時が来たら……ワタシの身代わりとなって死になさい」
「……あなたは、わたしを黒龍の『器』として使おうと言うの?」
「察しが良いと褒めておこうかしら。ここに囚われた時点で、もう拒否権はないのよ、カヅキ」
圧を持った笑みを湛え、ヴェイジアは指を鳴らす。すると華月の手足を縛っていた縄が姿を変え、2匹の白い大蛇となった。
シュルシュルと舌と体を動かし、蛇たちはヴェイジアのもとへと集う。体を起こした華月の前で、ヴェイジアは蛇を自らにまとわせた。
「この子たちは、ワタシの眷属。姿かたちを変え、決してお前を逃がさないわ。……この部屋は、お前のための控え室。儀式の時が来るまで、わずかな時間を楽しみなさい」
「あ、待っ……痛っ」
部屋から出て行こうとしたヴェイジアを引き留めるために手を伸ばした華月だが、痛みに顔を歪ませる。足元を見れば、足首に蛇が噛み付いている。深淵の黒い瞳でこちらを見返す白蛇は、華月から離れると煙のように姿を消した。
華月が噛まれた部分に触れると、痺れるような痛みが走る。ヴェイジアの目的を考えると死に至る毒ではないのだろうが、華月は冷や汗が伝うのを感じた。
「ごめん、みんな。──助け、て。みつ……」
蛇の毒の影響か、華月の意識が朦朧としていく。目を開けていられなくなり、その場に崩れ落ちた。
黒龍を呼び出したくても、声を出せない。何かに向かって手を伸ばした華月だが、触れたいものはここにはない。
華月の閉じた目から、一筋の涙が零れ落ちた。
☾☾☾
「イレイスト」
「姉上、ここに」
監禁室から出てすぐ、ヴェイジアは弟のイレイストを呼び出した。音もなく控えるイレイストに向かって、ヴェイジアは問う。
「あの娘は戻してくれたかしら?」
「ええ。僕らと会った記憶を消した上で、自宅に戻しています。これで不用意なことを口走ることはないでしょう」
「そう、ありがとう。……キョーガの動向は?」
ヴェイジアにとって、目の上のたんこぶであるキョーガ。彼が魔王の傍を離れて人間の世界に肩入れしていることが、何よりも計画を危うくしている。
イレイストもヴェイジアの危惧を知っているため、勿論調べていた。彼の傍に、水色のイルカが現れる。イレイストの眷属だ。
「
「そう。キョーガは将来幹部となる可能性すらあった、強い魔力の持ち主。気落ちする必要はないわよ、イレイスト。……彼が手を打たないはずがないもの」
ヴェイジアは廊下の窓から魔界を見下ろした。普段と変わらず月光に照らされた町の喧騒は、城の防音によって聞こえない。
それでも城下には、たくさんの魔族が住んでいる。野や山には魔物たちが
(もう、今の魔王は限界。……黒龍の力が離れるまで、時間はない。早く儀式を行わなければ)
逸る気持ちを抑え、ヴェイジアは思考を巡らせた。
イレイストに命じ、儀式の準備は進んでいる。一日かかるところを半日にして、早急に始めなければならない。そうしなければ、キョーガがこちら側に送るであろう敵が近付いて来る。
「イレイスト」
「はい」
「……アズール兄上とオランジェリーに声をかけて来て。ワタシたちの魔界に、勇者の息子が来る。彼を殺し、『器』を手に入れるために力を貸して欲しいって」
「承知しました」
イレイストの気配が消え、ヴェイジアも踵を返して廊下を歩いて行く。儀式の前に、魔王の様子を見に行こうと考えたのだ。
ヴェイジアが向かうのは、魔王城の地下。その深い場所に、魔王はいる。
「……」
地下の部屋に繋がる戸を開け、ヴェイジアが中へと消える。彼女を見詰める影が一つ、その様子を見詰めていた。
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