第29話 もやもやに蓋をして
――ダンッ
バスケットボールがゴールを揺らし、顎から滴る汗を拭った光輝が息をついた。何十回と繰り返された動作は彼の体に染みつき、手のひらは真っ赤に染まりじんじんと痛みを発していた。
一度は疲れて木陰で休んだ光輝だが、後10回だけと決めてボールと向き合っていたのだ。
「白田、足の痛みは?」
「へ? ああ、平気ですよ」
「じゃ、左腕は?」
「若干引きつりますけど、傷は塞がりました」
ならよかった。京一郎は微笑み、光輝にスポーツドリンクを投げてよこす。
それからぼんやりと光輝を見詰めている華月の背を叩き、京一郎が魔族の時を告げた。これから、再び鍛錬が始まる。
体育祭5日前であっても、彼らの戦いに休みはないのだ。
しかし今晩の魔物の出は遅いらしく、華月と光輝は学校から少し離れた場所にある自動販売機の前にいた。華月は苺ミルクを購入し、何を買うか選んでいる光輝の横で缶を開ける。
「黒崎は、体育祭で何に出るんだっけ?」
「借り物競争と玉入れ。どっちも歌子と一緒だから、頑張らないと」
「そっか。どっちも午前中だから、俺のバスケと一緒だな。……じゃあ午後は、俺の応援に来てくれたらって思うけど」
「……絶対、行く。応援する。白田くんなら、絶対大丈夫だよ」
「さんきゅ。黒崎にそう言ってもらえるなら頑張るわ」
レモン味の炭酸飲料を一口飲み、光輝は照れ笑いを浮かべた。
そんな無防備な表情を見せる光輝に、華月は胸が大きく鼓動するのを感じていた。同時に頬が熱くなる。そして、少し遅れて昼間の女子生徒の蔑みが水を差した。
――……親しいからってイイ気になってんじゃねえよ。ブス。
(何なんだろ、この気持ち。別に、ブスって言われたことに傷付いてるわけじゃない。……どうして、こんなに悔しくて悲しいんだろう)
華月の中で渦巻く、不確定な感情。その名を知らないまま、彼女は心無い悪意に自分の心が蝕まれているのを感じていた。
一度は光輝が認めてくれたことによって温められたはずの心が、氷で殴りつけられたかのように冷える。
それでも負けまいと前を向こうとするのは、華月の矜持だ。同時に、隣に立ってくれる光輝がいるから立ち止まれない。
「黒崎、どうした?」
「え? ……ううん、何でもない。行こう」
無意識に飲み切っていた空き缶をゴミ箱に入れ、華月は傍に置いていた鞄を背負った。光輝も中身が半分以上減ったペットボトルを鞄に押し込み、京一郎の待つ方向へと足を向ける。
2人が自分の方へ向かっていることに気付いた京一郎は、パチンと指を鳴らして結界を展開した。そして、キョーガへと姿を変える。
「今回の魔物は、双頭の鴉だ。しかも2頭。……いけるな?」
「「はい」」
「よし、始めよう」
キョーガの合図を受け、まず光輝が魔物の前に飛び出した。鋭く鳴いて威嚇する鴉を無視し、斜め後ろに隠れていた方へと剣を振り抜く。
バシュッという音がして、鴉がよろめいた。後方にいて油断していた鴉の腹が裂かれ、黒い
「ガアッ」
「──っ。行ったぞ、黒崎!」
「うんっ」
キレた鴉が光輝に襲い掛かり、その鋭利な爪を振りかざす。光輝はそれを剣で防ぐと、弾くように振って形勢逆転を試みた。
その最中、華月に向かって飛ぶもう1体に気付いたのだ。
ここから、光輝と最初に組み合った方を鴉A、今華月に向かう方を鴉Bと称する。
華月は頷いて手を構えると、鴉Bに向かって手を広げた。
「来て、『黒龍』!」
「グォォォッ」
「ギャァッ」
召喚された黒龍が、鴉Bの猛擊を尾で弾き返した。
まさかの反撃に目を回したBだが、すぐに我に返ると体を旋回させて滑空を開始した。滑空することでスピードを増し、黒龍とのぶつかり合いに勝とうという魂胆か。
「わたしだって……」
黒龍が鴉Bの策に気付き、身を低くした。来るなら来いという姿勢で、いつでも飛び出せる用意をしている。
そんな黒龍の気持ちが、華月に伝わってくる。決して負けないという思いが。
だから、華月も強く思う。光輝にもキョーガにも黒龍にも守られるだけの自分ではなく、少しでも彼らの力になりたいから。
──ならば、黒龍の持つ力を借りろ。
「え? ──ぐっ」
何処からともなく聞こえた声に、華月は周りを見渡そうとした。しかしその前に鴉Bが突っ込んで来て、黒龍が頭突きで応じる衝撃に全てを弾かれる。
ドンッという衝撃波が辺りに満ち、鴉Aとぶつかっていた光輝にも伝わる。
「黒崎、無事か!?」
「わたしは大丈夫! 黒龍も……うん、平気。だから白田くんはそっちを!」
「わかった」
深追いせず、光輝は改めて鴉Aと対峙する。衝撃波に興奮したのか、Aの攻撃がより強くより単調に変わったようだ。
「黒龍が持つ力を借りる……?」
「グルル」
黒龍の尾と鴉Bの激戦を見上げ、華月は呟いた。彼女の呟きに応じるように喉を鳴らす黒龍の首に、華月はそっと手を置く。
「わたしに、わたしが戦う力を貸してくれる?」
「ガゥ」
やってみろ、とでも言いたげに黒龍が唸る。
華月は「ありがとう」と微笑むと、そっと目を閉じて己の奥底を探る。心の奥、黒龍が眠っていた深淵よりも奥に意識を沈めていく。
ふと、魔力の塊を見付けた。文字のような記号のような形をした何かが、
華月はそれを拾い上げ、解きほぐした。すると文字はひとつひとつ浮かび上がり、華月の中に返っていく。
文字の列が魔法だと知り、華月は深呼吸した。
「行くよ」
目を開けると、変わらない光景が広がっていた。鴉Bと黒龍がせめぎ合い、光輝と鴉Aが戦っている。
華月はそっと立ち上がり、右の拳を鴉Bに向けて突き出した。そして、先程心に染み入った言葉を口にする。
「──『黒龍秘法』……
「ガッ」
「……出来た」
華月の拳に向かって、胸の辺りから黒い光の筋が伸び、それが無数の木の葉に似た形となって鴉Bに向かって降り注いだのだ。数え切れない葉は刃のようで、鴉Bを切り刻む。
刃葉を受けてよろめいた鴉Bはその場に倒れ、黒い靄となって消えた。
「ほぉ……」
「凄……。俺だって!」
華月の新たな技に感化され、光輝もまた剣に力を籠めた。
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