第18話 魔族の時

 昏倒して10分程が経ち、光輝が身動ぎをした。それに気付いた華月が、彼の顔を覗き込む。


「ん……」

「気が付いた? 白田くん」

「かづ……黒崎っ!?」


 すぐ傍に座っている華月に見詰められ、光輝が目を瞬かせた。そしてようやく状況を把握し、飛び起きる。その際、二人の額が勢いよくぶつかった。


「痛いっ」

「いっ……ご、ごめん」

「だ、だいじょうぶ……」

「おやおや。ふふっ、目覚めたのかい?」


 赤くなった額に手をあて痛がる二人を見て、キョーガは笑いを隠そうともしない。彼が肩を震わせるのを見て、華月と光輝は顔を見合わせて苦笑した。


「介抱してくれたんだな、ありがとう」

「そんなっ。わたしこそ、助けてくれてありがとう……起きてくれてよかったぁ」

「……」


 ほっとして、力の抜けた笑みを浮かべる華月。彼女の表情を見て、光輝はわずかに視線を逸らした。安堵していた華月は気付かず、キョーガのみが気付く程度にわずかだが。


(全く、人間というものは興味深い。昨日の敵は、ということか)


 キョーガは内心笑い、それからコホンと咳払いをした。のんびりと人間観察をしている場合でもないのだ。

 光輝の傍に膝を付き、手のひらをそっと彼の額に触れさせる。人間よりも体温の低い魔族の手にビクッと反応した光輝だったが、その心地好さに目を閉じた。

 キョーガは光輝の体温と自分の体温、それから改めて華月の額にも手を当てた。


「先生?」

「魔族は人間よりも体温が低いから。参考にならないんだよ」


 ふふっと微笑み、改めてキョーガは光輝と華月の体温を比べる。そして、ふうっと息をついた。


「よかった、熱とかはないようだね」

「……先生って、やっぱり先生なんですね」

「何だい、白田。魔族だからって、先生として生徒が心配でないとでも思った?」


 心外だな。そう言いつつもキョーガは微笑み、ふと目を閉じる。

 すると、キョーガの体が黒い翼に包まれる。目を奪われる華月と光輝の目の前で、キョーガは間京一郎の姿に変化した。黒髪に焦げ茶色の瞳という、見た目は日本人である。


「さて、そろそろ帰ろうか。あまり遅くなってしまうと、魔族の時に差し掛かってしまう。そうなれば、まだ力の弱い君たちは、たちまち喰われてしまうからね」

「先生……というか、『魔族の時』?」

「魔族の時って何ですか?」


 光輝と華月が次々に問い、京一郎は「ああそうか」という納得の顔をした。


「2人は知らなかったね。魔族の時というのは、この帳町と魔界が繋がりやすくなる時間──一般的には逢魔が刻なんて呼ばれる時間帯のことだと思ってもらえれば良い。時々、悪戯好きの魔族や魔物がワープホールを通り抜けてこちら側にやって来るんだけど、それを討伐するのも骨が折れる……そうだ」


 良いことを思い付いた、とばかりに京一郎は両手を合わせた。そして不思議そうに自分を見る華月と光輝に向かって、課題を提示した。


「丁度、鍛練になる。きみたち2人には、週に何度かぼくに同行してもらうよ。そこで魔のモノたちとの戦いを繰り返せば、アズールと次に会うまでに能力を飛躍させることも出来る」

「つまり、実践を繰り返すってことですか?」

「白田は察しが良いな。その通りだよ」

「実践……」


 華月は自分の両方の手のひらを見て、きゅっとそれらを握り締めた。この手の中に、未知の力が眠っているのだ。そう思うと、怖さと同時に強くならなくてはという決意も生まれる。

 ちらりと光輝を見ると、彼は地面に落ちていた剣と盾を拾い上げていた。彼の腕や足には擦り傷や切り傷があり、激しい鍛練を行っていたことがわかる。


(わたしも、守られるばかりじゃ駄目だ。強くならないと)


 そうしなければ、泣きじゃくる華月に対して「放っとけるわけあるかよ」と言った光輝の思いを無駄にする気がした。彼はきっと、魔族の血も関係なく、華月を華月自身として見てくれているのだと信じたい。

 ただ悲鳴を上げて逃げ回ることは誰にでも出来るが、悲鳴を呑み込んで隣に立つ存在でありたい。華月はその思いを強くし、自分の中に眠る力へと語りかける。


(宜しくね、黒龍。あなたと共に、わたしは大切なものを守れるように強くなるから)


 すると、華月の中で黒龍が頷いた気がした。少しだけ心が近付いた気がして、ふっと心が温かくなる。


「じゃあ、そろそろ行こうか。2人共、最寄駅まで送ろう」

「え、悪いですよ。この時間なら電車で帰れますし、大丈夫です」

「黒崎は駅まで俺が送ります。俺も同じ駅ですし……」

「だとしても、一緒に行くよ。……魔の気配が濃くなってきたからね」


 遠慮する華月と光輝だったが、京一郎の意思は固い。その言葉に有無を言わさぬ強さを感じて、2人は「じゃあ、お願いします」と折れた。

 キョーガの水の力で軽く汚れを落とし、鞄を背負う。2人の準備が出来た時、キョーガから戻った京一郎が暗闇に向かって右手を挙げていた。


「先生?」

「やあ、来たね。駅に行こうか」

「今、何してたんですか?」

「ああ、これ? ちょっと眷属に周りの様子を見てきてもらったんだ。幸い、駅までの道のりに魔のモノはいないようだよ」


 眷属はここにいる。そう言って京一郎が指を鳴らすと、透明な翅を持つ蝶が何羽も現れた。その翅は水で出来ているのか、時折水滴が零れ落ちる。


「ぼくは水を操る力があるから、眷属も水を身にまとうんだ」

「綺麗、ですね……」

「ふふ、ありがとう。この子たちも喜んでるよ」


 華月が感嘆の声を上げると、京一郎の眷属が元気に翅を羽ばたかせた。そしてそっと音もなく華月に近付き、彼女の周りをフワフワと飛ぶ。


「……」


 目を細めて嬉しそうにする華月を、光輝は何の気はなしに見詰めていた。その胸の奥に、小さな灯火があることはまだ知らない。

 京一郎はそのことに気付いていたが、あえて知らぬふりをして駅の方へ体を向ける。パチンッと再び指を鳴らし、眷属の蝶の姿を消した。

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