第4話 お泊り

 ランリンの家は、一等地にそびえ立つタワーマンションの三階にあった。中に通されると、さすがに引っ越ししたばかりとあって、最低限のものしか置かれていない。小学生時代には母親と同居していたが、本人曰く今度は一人で日本暮らしをしているらしい。


「あー……濡れちゃったなぁ」


 サメのぬいぐるみが入った紙袋は、雨でぐっしょり濡れていた。中身のサメたちももちろん、さっき海を泳いできたかのようになっている。

 濡れているのは、紙袋やぬいぐるみだけではない。俺もランリンも、全身ずぶ濡れだ。


「ボクのTシャツ貸すから、脱いだものこのカゴに入れておいて」


 そう言ってランリンはいそいそと脱ぎだしたのだが、俺は何だかランリンの裸体が気になって仕方がなかった。直視するのは気おくれするのに、ついつい脱ぎながら横目でちらりと見てしまう。男の裸を見る趣味なんてないのに、ランリンのそれは気になってしまう。どう考えてもおかしい。

 借りた長袖Tシャツに袖を通した俺の目に、収納棚の上にある写真立てが目に入った。そこには鮮やかな色彩の民族衣装に身を包んだランリンと、その横で赤ちゃんを抱いている若い女性が写っている。


「この写真、もしかして奥さんと子どもの?」


 多分そうなんだろう……と思いながら、俺は尋ねてみた。


「そうだよ」

「へぇ~すっごい美人だな奥さん」


 写真に写っている奥さんは、恐らくランリンより年上だろう。母性を感じさせる柔和な顔立ちの美人で、おまけにおっぱいが大きかった。控えめに言って、夫であるランリンがめちゃめちゃ羨ましい。


「他にも写真あるよ」


 ランリンは自分のスマホに保存してある写真を見せてくれた。夫婦一緒に写っているものもあれば奥さん一人で写っているのもあり、新しめのものでは子どもも一緒に写っている。民族衣装のものもあれば、ラフなTシャツ姿のものもある。


 ――そうか、こんな綺麗な、しかもおっぱい大きい女の人が、ランリンの子を産んだのか。


 胸の奥底が、むずむずしてならない。この二人が夫婦で、その間に子どもが産まれているということは、言ってしまえば二人の間にがあることに他ならない。どこまでしたんだろうか、と考えた所で、子どもがいるんだから避妊もせずにガッツリすることしまくったに決まっているということにすぐ気づいた。

 そんな妙なことを考えているうちに俺の体はすっかり火照っていて、股の辺りに血が集まっていた。男子の生理現象を見られたくなくて、俺の上半身は自然と前かがみになっていた。


「本当はこっちで一緒に暮らしたいんだけど、まだ少し先になりそうかなぁ」


 そう呟くランリンの声は、どこか寂しげな色を含んでいる。思えば、ランリンは心底寂しいはずなのだ。美人妻と可愛い息子は国元にいて、さながら単身赴任のような暮らしをしているのだから。

 俺も年頃の男子の宿命からか、すでに大人の階段を上った幼馴染の性生活に、並々ならぬ興味を抱いた。異性との性行為、というのは俺にとってまだまだ異次元にも等しい事柄で、だからこそ気になること、聞きたいことは山ほどある。けれどもそれを直接聞き出すのは、さすがにためらわれた。一緒にバカやってた相手だからこそ、生々しい性が彼の口から語られるのが怖かった。


「しっかしそんなに早く結婚するとはな……そっちの文化なんだろうけど正直びっくりだ」

「ボクの国はさ、戦争で若い男が兵隊に取られてたくさん死んじゃうような国だった。だから今でも早くに結婚して世継ぎを作らなきゃっていう考えが強いんだ。特にボクは部族長の家だからね。血を絶やしちゃいけないんだ」


 なるほど……確かに戦争が長引けば適齢期の男性は少なくなるだろうし、平均寿命も低くなるだろうから早めに子どもを作っておかないと血筋が絶えてしまう。そう考えると、ランリンの結婚もやむをえないものだったんだろう。今のところ何者でもない一般市民に過ぎない俺と違って、こいつは大きなものを背負った存在なのだ。

 そわそわ落ち着かなかった俺の頭は、次第に冷静さを取り戻した。そうしたら今度は、ランリンの方から俺に尋ねてきた。


「そういえば信康、レベル高い学校に受かったんだっけ」

「ああ、開青かいせい高校な。正直不安なんだよな、勉強ついていけるのか、とか」


 そう、俺の進学先は名の知れた進学校だ。きっと中学にランリンこいつがいたら合格できなかっただろうな、と思う。もちろん合格はゴールではなく、新たなスタートだ。これから先も、気を引き締めていないと置いて行かれてしまうだろう。

 ランリンが再び来日してから、俺自身の情緒は乱されっぱなしだった。俺が必死こいて勉強している間に、この幼馴染は大人の階段を上るどころか、翼を生やして天の彼方へ飛び去ってしまったのだ。紛れもなく同一人物なのに、今隣にいる黒髪ポニーテールの美少年が、かつて一緒にザリガニ釣りをやっていた友達と同じとは思えなかった。


 ――なぁ、お前は本当に、あのランリンなのか?


 それからも、ランリンが淹れてくれたお茶を飲みながら、俺たちは他愛もない話を続けていた。布団に入る頃には、すでに日付が変わっていた。寝室に二つ布団を並べて、窓側にランリン、ドア側に俺という形で寝ることとなった。

 なかなか寝つけなかった俺は、横目でちらとランリンを見やった。形の良い鼻、長いまつ毛に、やや幼さを感じさせるつぶらな瞳、雪のように白い肌と対照的な、艶のある長い黒髪……改めて見ると、本当に整った容姿だと感じ入る。この夫妻の間に生まれたあの子どもも、きっと将来は美しい顔立ちになるに違いない。

 俺の頭の中に、ランリンとあの妻との寝室での出来事がおぼろげながら妄想された。姉さん女房だから、きっと夜の主導権は奥さんの方にあるのだろうか。妄想は留まることなく、頭の中をあっという間に支配してしまった。

 ……気がつけば、またしても男子の生理現象が起こっていて、俺の右手は自分のパンツの中にあった。他人の布団を汚すわけにはいかないので、俺は深呼吸をして自らを落ち着かせようとしたが、やっぱりだめだった。どうしようもないのでこっそりトイレを拝借して、そこで己を鎮めたのだった。

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