第2話

 夕方、菓子パンをかじりながら借りた漫画を読んでると、窓の方からコンコンと音がした。翠が、虫取り網で叩いている。

「まだ読み終わってないよー」

 窓を開けて言うと、翠が変な顔をしてこっちを向いてた。

 眉間に皺が寄って形の良い眉毛は下がって泣きそうなのに、口元は笑ってて、鈍感な僕でも、何かあったんだと流石に気付いた。

「なになに、どうしたの?」

 おばさんにこっぴどく叱られた時だって、こんな表情したことない。

「へへ……」

 翠は変な笑い声を出して、一度下を向いて、すぐに顔を上げた。


「ママ、殺しちゃった」


 僕は一瞬、息を飲んだ。

「おー、それ超大変じゃん」

 翠の言葉の意味はわかったけどどこか現実味がなくて、そんな返事が口をついて出た。

 そりゃ驚いたけど、怖いとかそういうのは不思議となかった。


 僕は考える間もなく勝手に身体が動いて、気がつくと翠の家のリビングの入口に立ってた。

 血の臭いと、おばさんが好きだったお香の匂いが混じって吐きそうになった。

 テーブルの横に、頭と胴体から血を流した女の人が倒れている。間違いなくおばさんだった。

 僕の方からは表情がよく見えなくて、そこはホッとした。

「ママと言い合いになっちゃって、突き飛ばしちゃったんだ。そしたらテーブルに頭ぶつけて、動かなくなって」

 僕の隣に立った翠が、やけに落ち着いた声で説明してくれた。

「その時に救急車呼べば助かったのかもしれないんだけど……何か、もうこの人に構われるの嫌だなあって思っちゃって。包丁でいっぱい刺したんだ」

 おばさんの死体を見つめながら淡々と続けた。僕はその横顔を見る。翠は、窓越しに話した時には気づかなかったけど、赤黒い返り血で手も服もべっとりと汚れてた。

「言い争いになった原因って、何だったの?」

 死体を前にしてもまだ現実に起きたことだって思えない。フワフワした頭で、そんなことを聞いてみた。翠が怒るなんて、想像もつかなかったし。

「髪、切りたくなくなったから」

「え、あんなに切りたがってたのに?」

 僕は殺人の告白を聞いた時よりもびっくりした。


「翔が、綺麗だって言ってくれたから」

 翠は僕を見下ろして、真剣な顔をしていた。小学三年生くらいまではそこまで変わらなかったけど、翠の方がどんどん身長が大きくなって、今では十センチ以上も離れている。



「そっか」


 そっか。

 そっか。

 

 僕が褒めたのが嬉しくて。

 切りたくなくなったんだ。

 僕の言葉を、ちゃんと受け止めてくれてたんだ。


 そっか。




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