黒髪長髪ポニーテールの幼馴染みは僕のことが好きらしい

惟風

第1話

かけるはさ、『ヘアドネーション』って知ってる?」


 漫画本が数冊入った虫取り網をこちらに寄越しながら、みどりが聞いてきた。

 僕と翠の家は、隣同士の一軒家だ。

 二階にあるお互いの部屋の窓がちょうど良い距離で向かい合っているので、こうして本やゲームの貸し借りをしている。いや、本当のところは僕が一方的に貸してもらっている。


「へあどねーしょんって、何?」

 僕はその言葉を聞いたことが無かったから意味は知らなかったけど、「ヘア」と付くからには、髪に関することなのかなと思った。

 めちゃくちゃ髪の長い翠の言うことだし。

 でも考え事をすると漫画を落としそうになって危ないから、素直に翠に聞き返した。

 翠は高めの位置で結んだポニーテールを大げさに揺らして見せた。

「髪の毛を長く伸ばして、カツラを作るとこに寄付するボランティアみたいなやつだって」

「へえ。じゃあ、やっと切れるんだ。翠の髪めっちゃ綺麗だから、ちょっと勿体ない気もするね」

 翠は前から切りたがってたけど、僕は翠の長い髪はわりと気に入ってた。

「……うん」

 翠は少し俯いて自分の髪の毛先を見た。長い睫毛の影が彫りの深い顔にできてて、そうしているとみたいに見える。

 僕は早く漫画が読みたかったから、それ以上何も言わなかった。

 翠も、言葉を続けなかった。


「読み終わったら言って。まだ続きあるからさ」

 僕が網の中の漫画を全部取り出したのを確認すると、翠は部屋に引っ込んで窓を閉めた。

 僕が雑に会話を打ち切るのはよくあることだったから、翠が怒ったりすることは無い。

 そもそも、翠が怒るというのがほとんど無いことだった。


 翠の家は、ちょっと変わった家庭らしかった。

 生まれた時からお隣さんで、保育園も小学校も、今通ってる中学校も同じでずっと一緒に過ごしてきたから、僕にとっては「まあそんなもの」って感じのお家なんだけど。

 特に目立つのが、おばさん――つまり翠のお母さん。

 年がら年中、家の中で怒鳴ってる声が聞こえてきて、慣れてる僕でもちょっと怖い。

 おばさんはいわゆる過干渉ってやつで、翠にやたらと構いたがる。

 翠の腰よりも長く伸ばした髪はおばさんに無理にさせられてるのは知ってたけど、それがボランティア活動のためだったなんて、意外だな。

「翠」なんて女の子みたいな名前をつけてるし、小学生の時までスカートを穿かせてたから、娘扱いしてるだけなんだと思ってた。

 でも、ボランティア活動に自分の髪じゃなくて息子の髪を使おうとするところが、あのおばさんって感じもする。

 男が女の子みたいな服着てロングヘアでいて、普通ならからかわれたりいじめられたりしそうなもんだけど、おばさんは相手が先生だろうが子供だろうが、翠にちょっかいをかける人がいると家にまで乗り込んで喚き散らして追い詰めるもんだから、積極的に翠に関わろうとする人間はいなくなった。

 自然と、翠は僕としか喋ったり遊んだりしなくなった。おばさんは僕が意地悪してないってわかってるからだと思うけど、特に何も言ってはこない。というより、無視されている。

 ちなみにおじさん――翠のお父さん――は大人しくて影が薄い。たまに外で見かけても、元気に怒ってるおばさんの横で黙ってじっとしてる。


 こっちはこっちで、翠の家とは違う種類の変わった家庭だから、僕も翠以外に友達がいなかった。

 僕の方は翠のとことは逆で、一言で言えばほったらかし。

 お父さんはいなくて、お母さんは夜に仕事に出かけて昼間は寝てる。

 最低限のお金だけくれて、後は話しかけるとすごく嫌そうにされる。タイミングが悪いと叩かれたり物を投げられたりする。ひとり親の家は珍しくないけど、包丁まで飛んできたり四歳とか五歳で何日も留守番させられるのはあんまり普通じゃないよなあ。

 そこだけ、怒鳴るしかしない翠の家が羨ましいなあって思う。ちょっとだけね。アイツも色々大変なのはわかってる。

 モノゴコロついた時から親がそんな感じだったから、僕はイマイチ他人との距離感っていうか接し方がよくわからなくて、幼馴染の翠以外とどうやって話せば良いかわからないし、めんどくさい。

 誰かの顔色をうかがうのって、すごく面倒なんだよな。

 翠だけは僕が常識外れのことをしでかしても全然怒らないし嘲笑わらわないし、一緒にいててすごく楽なんだ。




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