第233話 蕎麦つゆをじっくり寝かせるみたいに

 翌日の夕食後、今度はユズリハさんに呼び出された。


「ユズリハさん、どうしました?」


 ユズリハさんの部屋に出向くと、なぜか恨みがましい目でジトッと睨まれ。


「キミ、ゆうべはお楽しみだったようじゃないか」

「語弊がありますよねえ!?」

「スズハくんに自慢されたぞ、月明かりの下でキミとロマンチックな訓練をしたと」

「ロマンチックではありませんが」


 ていうかロマンチックな訓練ってなにさ。


「羨ましすぎる、どうしてわたしも誘ってくれなかった」

「いえ、ぼくも訓練するとは思わなかったので」


 まあ最初から知ってたとしても、ユズリハさんを誘ったはずもないけれど。

 公爵令嬢を深夜に呼び出すなんて婚約者でもなければ普通できない。

 とはいえ、ユズリハさんも深く追求するつもりはなかったようで、


「──まあいい。キミを呼び出したのは、それとは別件だ」

「なんでしょう?」

「食事の時に話そうかとも思ったが、トーコに邪魔されても面倒なのでな。その……」


 ユズリハさんが不安そうな上目遣いで、


「……キミはわたしとの約束、憶えてくれているか?」

「もちろんですよ」


 カツ丼もいいけれどたまにはキミ特製の親子丼と蕎麦のセットも食べたい、と数日前に言われていたからね。

 ぼくが力強く返事をすると、ユズリハさんがあからさまにホッとした様子で。


「そうか、憶えていてくれたか!」

「当然です。なので今は、蕎麦つゆをじっくり寝かせ──」

「キミにも、わたしの成人の儀式に参加して貰う話だ」

「──るみたいに、ユズリハさんの言葉を待っていたところです」


 間一髪切り抜けた。セーフ。

 そう言えば、そんな話もあったなあと思い出す。


 ……あれは裏ダンジョンの最奥部、地獄へと通じる門でのこと。

 ユズリハさんに美味しいお肉をプレゼントするつもりが失敗したのはともかくとして、ぼくの謝罪からなぜか話の流れで、サクラギ一族以外立入禁止のハズの、ユズリハさんの成人の儀式にぼくが出席することになったのだ。


 あれってば、その場のノリと勢いだけの話じゃなかったの……?


 満面笑顔のユズリハさんに向かってまさか「冗談じゃなかったんですか?」などと聞く勇気もないぼくは。


「……でもその、やっぱり一族以外厳禁の秘祭にぼくが出るのはマズいんじゃ……?」

「ああ、そこが一番のネックだった」

「ですよね。じゃあ、」

「だがそれも解決する見込みが立った。キミは大手を振って出席できる」

「……ええ……?」


 凄くイヤな予感がする。

 ていうかそもそも、貴族の秘祭になんぞ参加したくない。

 ぶっちゃけ、庶民が貴族の知られざる裏側なんぞ知っても百害あって一利なしである。

 それがユズリハさんの成人の儀式であっても。

 でもユズリハさんの様子だと、少しは顔を出さなくちゃいけないんだろうな……


 などとこっそり覚悟を決めていたぼくに向かって。

 ユズリハさんが、更なる爆弾を落としてきた。


「そこで提案なんだが──キミさえ良ければ、明日にでもサクラギ領へ向かわないか? もちろんわたしと一緒に」

「えええっ!?」

「儀式の日程から逆算すると、今から向かうなら相当な余裕を持って到着できるからな。そうすれば、儀式に向けて次々到着するサクラギ一族の者にもキミを逐一紹介できるし、キミもサクラギ一族の者とじっくり顔合わせできる」

「え、えっと……」

「もちろんキミがサクラギ領で気兼ねすることなんて一切ないし、執事のセバスチャンも公爵家の私兵たちも、わたしに一刻も早くキミと一緒に帰ってこいと催促してるからな。どうだろうか?」


 とんでもない提案をしてくるユズリハさん。

 気兼ねなく、と言われて本当に一切の気兼ねなしに公爵家に滞在できる人間がいたら、それはもはや庶民じゃない。

 少なくともぼくは絶対無理だ。

 表面上はともかく、ぼくの胃のストレスがマッハになってしまう。


「そ、その提案はとても魅力的ですが……ぼくはアレですよアレ、トーコさんの謁見にも参加しなくちゃいけないっていうか」

「トーコには内々に確認を取っている。正直かなり渋られたんだが、名だたる国の謁見はみんな終わっているそうだ」

「そ、そうですか……」


 これは非常に拙い状況だ。

 このままだと、ユズリハさんと一緒にサクラギ家満喫フルコースが大確定である。

 何かないか、と脳内を必死で働かせた結果。


「──そうだ。幽霊だ」

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