第211話 湯たんぽ

 白銀のダンジョンが位置するキャニクイテー連峰は、大陸随一の高嶺が集まる場所。

 というかこの周囲には、標高の低い場所がない。

 周囲より窪んでいる場所でも、軽く標高三千メートルを超えていたりするのだ。


 そんな中でぼくたちは、見晴らしが良く方角を迷いにくいという理由で、山の稜線を伝って歩いて行く。

 稜線とはつまり、連なっている山々の頂上を結んだラインだ。

 必然的に左右が崖になるような、一番高い場所をずっと歩いて行くことになる。

 しかも森林限界はとっくに超えているので、樹なんてどこにも見当たらない。

 するとどうなるか。

 風雨を遮るものが、上にも右にも左にも、どこにも無いのだ。


 ****


 山の天気は変わりやすいもので。

 山脈に入って三日目。

 出発した朝には好天だったその日、昼前にはひどい暴風に見舞われていた。

 真っ直ぐ歩くのもままならず、吹き飛ばされないように踏ん張るのが精一杯だ。

 しかも稜線は万年雪に覆われていた。なので暴風と相まって滅茶苦茶寒い。

 ちなみにみんなのスカートは、温泉ダンジョンでトーコさんが巻き起こした爆風以上に捲れ上がっていた。


「こりゃ大変だ……」


 多少はこういう事にも慣れてるぼくや、女騎士学園の生徒だから大丈夫なのであって、一般人なら遭難間違いなしだと思う。


「ねえカナデ、平気?」

「うん。へいき」


 そうは言っても、歩いているカナデの姿はなかなか大変そうだった。

 それは、女騎士学園の生徒ではなくメイドだからという以外に、単純に体重が軽いから風に飛ばされやすいというのもある。

 もちろん一番軽いのはうにゅ子だけど、現在ぼくの頭上でぴっとりしがみついてるので、まあ大丈夫でしょ。


 いつもはカナデの頭上が定位置のうにゅ子だけど、さすがにこの強風でカナデに更なる負担を掛けることはしなかったようで、風が強くなってきた頃合いと同時にぼくの頭上へ飛び移ってきたのだった。


「カナデ、いい加減寒くなってきたね。こっちおいで」

「……だいじょうぶ。カナデはできるメイド、だから寒さなんてへっちゃら」

「そう……?」


 これはアレか。

 ここに来る前に一悶着あったせいで、カナデは自分がちゃんとみんなについて行けるとアピールしたいのだろうか。

 そういう他人に迷惑を掛けまいとする姿勢や、メイドの仕事に対する厳しいプロ意識は素直に凄いと思うのだけど。

 でもカナデは、ぼくら中で最年少なんだし、それにまだまだオコサマなわけで。

 もう少しくらい年上のぼくらを頼ってくれてもいいと思うんだよね。


「──っ」


 突発的に暴風が吹き、カナデが無意識に苦しそうに顔を歪めたのを見たぼくは。

 うちの可愛いメイドさんは手がかかるなあと、作戦を変えることにしたのだった。


「ねえカナデ。お願いがあるんだけど」

「なに?」

「風が凄く強くて、ぼくちょっと寒くなってさ」

「それはそう。びょうそく一メートルの風がふくと、体感おんどが一度さがると言われる。だからご主人さまがいま感じている温度はおよそマイナス六十度」

「マジですか」


 寒い寒いとは思ってたけれど、まさかそこまでだとは。

 そりゃ防寒着を着ても寒いはずだ。


「だからねカナデ、暖かい湯たんぽが欲しいなあって」

「……ごめんなさい。ご主人さま用のゆたんぽを準備してない」

「いや、そこにあるじゃない」

「?」

「カナデを湯たんぽ代わりに抱きしめて歩けば、きっとすごく暖かいだろうなって」

「……!」


 意外と鋭いカナデのことだ。

 ぼくの単純な、カナデの身体を抱きしめて少しでも温めてあげたいという思惑なんて、きっと一瞬で見抜いているはず。

 けれどカナデは、呆然とした顔でぼくを見つめた後。

 目元をぐいと袖で擦って、少しだけ震える声で返事をした。


「……しかたない。それならカナデが、ご主人様をあっためる……!」


 言うなりカナデが、ぼくの胸元に飛び込んでくる。

 カナデの手足やほっぺたは、強風に晒され続けてビックリするほど冷たくて。

 手足を擦って温めているとカナデが、


「……かくごして」

「うん?」

「……ご主人様はいつも、カナデのこころもからだもポカポカにしてくれる。でもそれはほんらいメイドの仕事で、今のカナデはメイドのなおれ」

「そんなの気にしなくていいよ」

「……だからカナデはもっともっと、メイドとしてしょうじんして──ご主人様がくれたポカポカを何百倍にも何千倍にもして、一生かけて返しつづける……!」


 ──カナデはそんなことを、ぼくと目線を合わせずに呟いて。

 なのでそれは、ぼくに聞かせるつもりも無い、個人的な決意表明なのだろう。

 だからぼくは、暴風でよく聞こえなかったフリをして。

 その代わり、カナデの頭を優しく撫でてやったのだった──


 ちなみにその直後、ぼくがカナデを抱きかかえていることが前方を歩いていたスズハとユズリハさんに見つかって。


「ずっこいです! 兄さん、わたしもお姫様抱っこを希望します!」

「いや、風で飛ばされないようにしてるだけだからね……?」

「そうだったのか。ところでキミ、わたしもさっきから風で飛ばされそうで大変なんだ。なにしろ女騎士の中でもスリムな体型と評判の私は、比例して体重も軽いからな」

「え? ユズリハがスリムだとか、ちゃんちゃらおかしいのだ」

「ですよねえ。兄さんにお姫様だっこされたいという欲望がプンプンです」

「ていうかそのクッソ発育した乳と筋肉で、どの口が寝言吐いてるのだ……?」

「そ、それはさすがに言い過ぎじゃないのか!?」


 ……ヘタに口を挟んだら、即セクハラに認定されそうな口論が勃発してしまい。

 ぼくはひたすら目を逸らしつつ、カナデの身体を温めたのだった。


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