第207話 ではキスで手を打とうじゃないか

 ……よく聞こえないんだけど、なんか二人でユズリハさんの悪口言ってない?

 問いただしたいけど、こっちはこっちでそれどころじゃない。


「はっ! ふっ! ──はあっ!」


 気合いとともに、ユズリハさんの攻撃が嵐のように叩きつけられてくる。

 さすがに当たると痛そうなので全部躱してるけど、これいつ終わるんだろう?


「……って、そっか」


 考えてみれば、ぼくがユズリハさんをオークみたいに押し倒さないと終わらないのか。というわけで即座に実行。

 綺麗な三段突きを放つユズリハさんの足を刈って、仰向けに倒す。

 もちろんその時一緒にぼくも倒れて、ユズリハさんの背中が地面に叩きつけられるのを防ぐことも忘れない。


 するとちょうど、ぼくがユズリハさんを押し倒したような格好になった。

 そして寝転がったユズリハさんが、すぐ上に覆い被さるぼくの顔と、二人の唇と唇がほとんど触れそうなくらい近づいた。

 そのまま三秒くらい見つめ合ったころ、ユズリハさんがなぜか顔を真っ赤にして。


「──さあ、このまま次のシーンに行くぞ!」

「あ、はい」


 とはいえオーク役としてどうすればいいのか、皆目見当がつかないでいると。


「えっと、そうだな……まずはわたしの胸を、キミが滅茶苦茶揉みしだく」

「できるわけないですよねえ!?」


 何を言ってるんだこの公爵令嬢は。


「そ、そりゃあわたしも森で初めてというのは多少不本意だが……オークと言えばまずは乳揉みだろうし……わたしもその、キミ相手ならむしろどんとこいだし!」

「ユズリハさんが何言ってるか分かりませんが、それ以前にいくら訓練だって公爵令嬢の胸なんて揉めるわけないでしょう!?」

「そ、それはそうだな……だったら尻を揉みしだ」

「部位の問題じゃないですよ!?」


 いや確かに、リアリティを重視した訓練ならば揉んだり吸ったりするんだろうけど。

 相手がぼくなのは御免被る。

 そりゃユズリハさんの肢体は大変蠱惑的だけど、いくら訓練でも婚約者ですらない男が公爵令嬢に手を出したなら良くて去勢、ヘタすれば一族郎党皆殺しである。


 必死でそんな説明をすると、ユズリハさんがなぜか口を尖らせて。


「仕方ないな……ではキスで手を打とうじゃないか」

「なんでそうなるんです!?」

「オークだってキスくらいするだろう。多分」

「……う、うーん……?」


 確かにそれなら胸を揉むよりマシだし、ユズリハさんもかなり妥協してくれてる。

 それにそもそも訓練だし、ユズリハさんとキスするべきなのか……?


「──って絶対ダメですよ!? そもそも最初に無茶な要求で断られてから妥協した提案で相手が断りづらくするって、初歩的な交渉術じゃないですか!」

「ちっ」

「分かっててやってたよこの人!」


 汚い、さすが公爵令嬢ユズリハさん汚い。


「そもそも、これ以上の実演は必要無いと思いますけど」

「そんなことないぞ。これは女騎士がオークに襲われたときの心得がテーマなのだから、実際にオークに襲われてから先が本題になるんだ。……決してわたしが、キミに荒々しく押し倒されて身体を求められたいとか、昼は頼りになる相棒同士でありながら夜になるとお互いを求めて肉欲塗れになる乙女小説をトーコが忘れていったのを読んでしまったとか、そういうことは一切無いから勘違いするな」

「そんなこと微塵も考えてませんけどね!?」


 その小説、怖いもの見たさでちょっぴり読んでみたい。

 どこに保管されてるのかな。


 けれどまあ。

 ユズリハさんはそこまでしてでも、ダンジョンにおけるオークの脅威について、真剣に講義しようとしてくれているわけで。

 その熱意を完全否定するというのも、また違うと思うのだ。

 ではどうするか……そう考えてティンと来た。


「──分かりました。押し倒してキスまではいいでしょう」

「ほ、本当か!?」

「舌はダメですが、唇同士をくっつけるのは大丈夫でしょう。ただ一つ条件があります。それが認められなければ、ユズリハさんがなんと言おうと講義はここまでです」

「……まあ仕方ないな。条件を呑もうじゃないか」


 ユズリハさんも納得してくれた。よかった。


「ということで、オーク役をぼくからスズハにチェンジします」

「「……はい?」」


 ユズリハさんとスズハの声がハモった。

 いや、それはそうなるでしょ。

 どう考えても、ぼく以外がオーク役をやるしか、解決策は存在しないよ。


 ****


 ──というわけで、そこから先はオーク役をスズハに代えて講義が進んだ。

 二人のあまりに実りすぎた胸元がつっかえまくり、キスをするのに何度も失敗したのが印象的だった。

 ようやく唇同士が触れあったとき、二人の乳房は滅茶苦茶押し潰されていた。


 なんだかみんな妙に疲れた気分になり、なし崩し的にオークの講義は終了し、それから二度と行われることはなかったという。

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