第197話 温泉街

 街道をショートカットして、山や森を突き進むこと数日。

 ぼくらは山のふもとにある温泉街に到着した。


 街の真ん中で温泉が湧き出しているのがいかにも温泉街っぽい。

 湯畑というのだとか。

 目指すダンジョンは、そこから更に進んだ山奥にあるという話だ。


「兄さん。なんというか、風情のある街並みですね」

「そうだね……」


 ぼくもスズハと完全に同意見だ。

 そもそもが建物からして違う。

 この大陸では、家が木材で建てられているのは珍しい。精々だんご屋くらいか。

 けれどこの街は、どの家も木材で建てられている。

 それに歩いている人も、浴衣を着ている人が滅茶苦茶多い。


 ぼくが珍しい光景に目を丸くしているとトーコさんが、


「あれ? スズハ兄は、温泉なんて何度も行ってるんじゃないの? ユズリハとも一緒に行ったって聞いてるし」

「山奥にある秘境の温泉とかは行ったことがあるんですが、こういう温泉街には来たこと無いんですよね」

「するとこれが、スズハ兄の初めての温泉街? ……えへへっ……」


 理由はよく分からないけど、ぼくの答えはトーコさんのお気に召したらしい。

 なぜか嬉しそうなトーコさんの横で、ツバキがぽつりと呟いた。


「この街は、拙の故郷の大陸そっくりなのだ」

「へえ。東の大陸って、こんな街並みなの?」

「なのだ」

「つまり東の大陸は、だんご屋が並んでるような見た目なんだね」


 一度行ってみたいなと思っていると、目の前に液体が。

 なんだろうと思って上を見ると。


「うにゅ……」

「わああっ!?」


 ぼくの頭上に陣取っていたうにゅ子が、思いっきりヨダレを垂らしていた。


 後で話を聞いたら、どうやら「だんご屋が並んでる」という部分に反応したとのこと。

 その様子を想像してヨダレを垂らしてしまったらしい。

 そんなことでは一人前のメイドの道は遠い、と説教するカナデの横で。

 メイド以前にエルフとしてどうなんだろうと、内心思うぼくなのだった。


 ****


 旅のメンバーに女王のトーコさんがいる以上、泊まる場所は当然温泉街で最高の旅館。

 というわけで突撃すると、最初は宿の亭主ににべもなく断られた。


「え? 満室ですか?」

「いいや。悪いが、ウチは一見さんお断りだ」

「えっと、宿賃なら先払いでいいですよ?」

「そうじゃねえ。お客の品位を保つためにな、ウチみたいな貴族御用達の宿は一見さんは泊めないんだ。そりゃよっぽど偉い貴族サマなら別だけどな」

「なるほど……」


 ティンと来た。

 つまりこの亭主、目の前にいるのが我が国の貴族の頂点であるトーコ女王だってことを分かってないよね?

 これは、トーコさんが身分を明かせば一発解決なパターンだけど……


 こっそりトーコさんを伺うと、ぼくに向かってしきりに目配せしてくる。

 目はしきりに瞬きをして、口元もモニョモニョ動いてる。

 これはまさか……!


(トーコさん。ちょっとこっちに)

(なによスズハ兄、ボクが今からビシッと──)

(いいですから、とりあえずこっちに)


 必死のアイコンタクトでなんとかトーコさんを連れ出し、宿屋の亭主の陰になる位置で小声で作戦会議をする。


「──トーコさん、これから何をしようとしてました?」

「そりゃもちろん『この紋所が目に入らぬかぁ!』って──」

「絶対ダメですよ」


 ちなみに紋所とは、一部の貴族が身分を証明するため持ち歩いている例のアレである。

 ぼくは弱小貴族なので、そんなものは当然持ってない。

 まあそれはともかく。


「いいですか。もしトーコさんがそんなことをしたって噂が広まったら、あの亭主は今後どうなると思います?」

「え? どうにもならないんじゃ?」


 やっぱり分かってない。

 ぼくは顔をずい、と近づけて囁いた。


「貴族侮辱罪で──ヘタすれば死刑ですよ?」

「んなアホな!?」

「ウソでも冗談でもありませんからね?」


 とはいえまあ、かなり大げさではあるけれど。

 それでも貴族と庶民を間違える行為は、常識的にタブーとされるわけで。

 そんな噂が広まれば、貴族相手の商売としては大きなマイナスになる。

 しかもなお悪いことに、今回は相手が貴族の中の貴族、トーコ女王なのだから。


「……でもさ。こんな山奥の宿の亭主が、ボクの顔を知らないなんて普通じゃない?」

「貴族相手の商売だって謳ってなければそうなんですが……」


 ていうかあの亭主も、貴族相手の商売にしては大分抜けてるとぼくは思う。

 なにしろ、トーコさんほど飛び抜けた美少女かつスタイルが抜群すぎる大貴族なんて、この大陸でたった二人しかいないと思うんだけどな。


「まあトーコさんが女王なのでこの場は笑い話で済みますけど、これがアレな権力者なら本当に死刑すらあり得る話で」

「まあ権力者って、アレなヤツは本当にアレだからねー……ボクは違うけど!」

「けれどまあ受け取り方も人それぞれなんで、波風は立てない方がいいんですよ。そこでぼくに案があります」

「なによ?」

「ぼくもこう見えて、いちおうは貴族っぽいナニかです。それを利用します」


 ぼくの作戦は至極単純。

 相手がトーコさんだから問題だけど、一方でぼくも肩書きだけなら辺境伯。

 けれどつい最近、わけの分からないままに貴族になったぼくである。

 トーコさんに気づかない亭主が、ぼくの顔どころか名前すら知らなくても当然中の当然。

 だからこそ。

 突然の「ぼく、実は辺境伯なんですよ」から流れるように泊めて貰うというムーブが、波風立てずに可能になるわけだ。


 ぼくの作戦を聞いたトーコさんは、なぜか渋い顔をして。


「……まあボクは別にいいけどさ? なにしろここってスズハ兄の領地だし」

「え、そうなんですか?」

「まあ国境ギリギリだから、昔だとウエンタス公国が半分実効支配してるかもって感じのビミョーな土地だけどね。今は戦争でそっちもスズハ兄の土地になったから、もう完璧にスズハ兄の領地だよ」

「じゃあなんでそんな渋い顔を?」

「……なんか、すごーく波風が立つような気がするから。だってスズハ兄だし」

「心外な。女王のトーコさんと違って、庶民に限りなく違い辺境伯のぼくですよ?」

「……まあいいわ。スズハ兄がやりたいならやってみれば?」

「了解です」


 なんだか失敗を確信したような態度が気になるけど、まあいいか。

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