第196話 遷都計画(アヤノ視点)

 ローエングリン城の執務室。

 トーコに渡された手紙を読み終えたアヤノは、得心がいったとばかりに息を吐いた。


「なるほど、そういうことでしたか……」


 ダンジョンへの出発直前、女王のトーコがこっそり渡してきた手紙。

 そこに書いてあったのは、遷都計画を早急に実行したいということと。

 スズハの兄がいない間に、事務方で可能な限り準備しておいて欲しい、という内容で。


「それならトーコ女王が一緒に行った理由も納得できますね」


 トーコが過労で倒れたというのは、恐らく本当だろう。

 そこで疲れを癒やすため、更にはスズハ兄のご機嫌伺いもかねて、ローエングリン領を訪問した。

 それも分かる。

 けれどそこから、トーコたちがダンジョンだか温泉に行く理由が謎だった。


 疲れを癒やすために温泉、なんて聞こえは良いが、実際トーコの主目的はスズハの兄のポイントを稼ぐことのはず。

 ならばわざわざ温泉など行かずとも、城内でのんびりしてればいいのだ。

 実際アヤノは、スズハの兄がダンジョンに行くと聞いたときには驚かなかったけれど、トーコが一緒に温泉に行くと聞いた時には僅かに目を見開いたものだ。


 ──けれどそこに、遷都の下準備という事情が入るなら話は変わる。


 つまりトーコは、ダンジョン云々の事情は関係なしに、最初からスズハ兄を温泉旅行に誘うつもりだったのだ。

 カナデが温泉旅館を紹介したと聞いたが、それも恐らくトーコの仕込みだ。

 さすがにスズハ兄がダンジョンに行きたいという話は偶然だろうが──


「……まあ遷都なんて、閣下がいればいい顔をしないに決まってますから……」


 スズハの兄は為政者としてもなかなかの傑物であるものの、自己評価が大変低いという欠点の持ち主である。

 もっともそれは、謙虚だとか今もなお庶民的である等の、利点の裏返しでもあるけれど。

 そしてそれさえ除けば、まっとうな政治判断だってできる。


 その結果。

 こんなド辺境に遷都するなどと宣言した場合、スズハの兄は反対するに決まってるのだ。

 そりゃ本人の価値を換算しなければそうなる。

 トーコ女王だって、スズハ兄の存在がなければ遷都なんてしないに違いない。


「まあ閣下のことですから、最終的には了承するでしょうが……」


 現在の辺境伯領には、スズハの兄以外にもエルフがいて、オリハルコンがある。

 その点をトーコが主張すれば、スズハの兄は納得するだろうが、その場合には一つの、絶対に無視できない重大な懸念がある。

 それはスズハの兄が辺境伯領をトーコに明け渡し、自分が下野すると言い出す可能性で、それはまさに最悪中の最悪手──


 アヤノがそんなことを考えていると、サクラギ公爵家から派遣された人間を取り纏めるトップの青年官僚が近づいてきた。


「アヤノ殿、難しい顔をしてますね。どうされましたか?」

「──これですよ」


 アヤノが手紙を突き出すと、青年官僚は手紙を眺めて苦笑する。


「トーコ女王からの手紙ですね。わたしに読ませていいんですか?」

「問題無いはずです。どうせ知ってるんでしょう?」


 トーコ女王とサクラギ公爵は現在、蜜月関係にある。

 この青年官僚もサクラギ公爵経由で、内容は伝わっているはず。

 それにトーコ女王は間違いなく、この手紙を文官幹部たちに見せることも想定している。

 そうすることで、女王自身の意思が早急な遷都にあることを証明するわけだ。


 そうでなければ、女王の手紙などという物的証拠をわざわざ用意する必要などない。

 果たして、青年官僚はあっさり頷いて。


「もちろん存じてますよ」

「ですよね」

「不意打ちのように進めてしまって、辺境伯が怒らなければいいんですが」

「それも問題ないでしょう」


 アヤノが見る限りスズハの兄は、計画段階ならまだしも、実際に始まったことを後からとやかく口を出すタイプではない。

 それが全くおかしいことなら中止を指示するかもしれないが、エルフとオリハルコンがある以上、スズハの兄を抜きにしても遷都する理由はそれなりにあるのだ。

 それに万一怒ったとしても手紙という証拠がある以上、怒りはトーコ女王に向かうはず。

 あとは女王が説得すればいい。


「ならばアヤノ殿は、どうして難しい顔をしていたんです?」

「予定外の予算が必要だなと」

「予算なら王家に請求すれば全額出るでしょうし、なんならサクラギ公爵家が負担しても構わないですよ?」

「全額ウチで出すに決まってるでしょう」


 ここでトーコ女王に金をせびるのは簡単だが、それでは後日に請求した金銭分の権利が主張されるか、少なくとも貸しになる。

 それではスズハの兄の利益が削がれるわけで。


 経緯はどうあれ、現状は辺境伯に仕えている以上、そこで手を抜くつもりは毛頭無い。

 それがアヤノの矜恃だ。

 なので、辺境伯の利益を最大化するためには、こちらの予算で全額まかなうのがベスト。しかし──


「予想される作業が膨大すぎて、ちょっとうんざりしたんですよ」

「ほうほう」


 笑みを深くする青年官僚に、アヤノがぶっきらぼうに手を差し出して。


「それで、あるんでしょ? 遷都計画の叩き台。さっさと見せてください」

「……どうしてそう思われたんです?」

「あなたが最近、特別に忙しい事案も無いはずなのに、適当な理由を付けて何日も徹夜を続けていたのは知ってます。いったい何を企んでいるのかその時は分かりませんでしたが……今になれば、遷都計画の叩き台を作っていたと推測できます。そして顔色を観察して、わたしに伝わったらしいと判断したから近づいてきた」

「完璧な判断です。いや失敬、機密事項をこちらから伝えるわけにはいかなかったので」


 青年官僚が後ろ手に持っていた計画書の束をアヤノに差し出す。

 アヤノはそれをざっと眺めて、


「さすがですね……ただ、女王が使うために新築する城はもっと近い方がよろしいかと。ローエングリン城の隣がベストでしょう」

「わたしもそれは考えたんですが、あの場所は異大陸の商会が建物を新築したばかりで。異大陸だと慣習も違いますし、立ち退きは難しいと……」

「知ってますよ。あの商会はダミーで、サクラギ公爵が実質的な持ち主ですよね」

「……」


 さりげなく公爵家の根城を確保しようとした青年官僚を撃退しつつ。

 アヤノの脳内は、今後の領都についての計算を始めるのだった。

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