第188話 ケツを蹴られた(ツバキ視点)

 その直後、奇跡が起こった。


 陸地の方からとんでもないスピードで、得体の知れないなにかが一直線に飛んできて。

 ツバキが慌ててそれを掴み取ると。


 ──それは紛れもなくツバキの愛刀、ムラマサ・ブレードだった。


「……これは、どういうことなのだ……?」


 理解が追いつかず、ツバキが呆然としていると。

 絶好の隙を狙って、新たな武士が三人纏めて飛び込んできた。

 ──ティン。

 そこにいた武士たちは、ツバキの鍔口が軽やかに鳴る音しか認識できなかっただろう。

 けれど次の瞬間。

 三人の武士は真っ二つになり、物言わぬ六つの肉塊となった。


「──、──! ────!?」


 武士どもが何事か騒いでいるが、ツバキの耳には届かず呆然としたまま。

 今のだって、襲われたから反射的に愛刀を薙いだだけ。

 なぜ、自分の愛刀が飛んできたのか。

 そればかりが脳内をぐるぐる回っていて、


「──やっちまえ!!」


 襲いかかってくる武士どもを、纏めて肉の細切れにした。

 なにがなんだか分からないまま、ツバキが刀を振るう。振るう。振るう。

 斃す、斃す、斃す。

 やがてツバキの心の奥深くから、じんわりとした感情が滲み出してくる。

 その感情の正体をツバキは知らない。


 ただ、分かっていることもある。

 一つは、ツバキがあの男に助けを求めて、そして助かったという単純明快な事実。

 そしてもう一つは、その事実を噛みしめるたび。

 ツバキの身体がどうしようもなく、浮き立ってしまって仕方がないということ──


 ****


 小舟で接近してくる武士がいなくなると、ツバキは自分から手近な船に近づいた。

 そして斬った。

 斬って斬って斬りまくった。

 大遠征部隊の半分以上は、間違いなく斬って捨てたに違いない。それくらい斬った。


 いくらなんでも斬りすぎだった。

 ツバキの刀は妖刀だ。

 ここまで血を吸わせまくると、危険な悪影響が出るはずだった。

 それは、ツバキが凶暴化バーサークしてしまうこと。

 妖刀の怨念と精神が一体化したツバキが、視界に入った人間を誰彼構わず襲いかかって、新鮮な人間の血を求めるけものと化してしまうこと。


 こうなったツバキは意識が飛んで、気がついたら自分以外には誰も動かなくなっている、そんなことが何度もあった。

 その場合、真っ先に斬られるのは足下にいる間者だろう。

 当然ながら計画は失敗して、ツバキも間者も無駄死にするはずだった。

 しかし。


「意識が、はっきりしているのだ……!」


 妖刀を振るうたびに感じるはずの焦燥感が無い。

 血に飢えたけものに自分が変貌していく、奇妙な感覚が無い。

 それどころか刀を振るうごとに、くたくたに疲れ果てているはずの精神が回復していく、そんな気さえして。

 そしてツバキに思い当たる原因は、たった一つだけ。


「あの男は、刀に治癒魔法を注入したと言っていたのだ……!?」


 信じられない。

 けれど、それしか考えられなかった。

 振るうたびに命を削るはずの妖刀なのに、なんだか側にあの男がいるような。

 振るうたびに、よくやったぞと褒めて、頭を撫でてくれるような。


 だからボロボロに疲れ果てていたはずのツバキは、今や元気いっぱいで──


「まとめてかかってくるといいのだ! 拙が一人残らず斬り倒してやるのだ!」

「おいっ」


 ケツを蹴られた。


「なにをするのだ!?」


 体勢を崩した拍子に飛んできた矢がヒュンと頬をかすめて、ツバキが涙目で抗議する。

 蹴った間者も謝りながら、


「ツバキ、お前なにしにここまで来たと思ってるんだ」

「……えっと?」

「あのアホ兄を説得するためだろ」

「おお、そうだったのだ!」


 ポンと手を打つツバキを間者はジト目で眺めて、


「とはいえ……もう説得がどうこうって段階じゃないな。アホ兄は何も聞かずにおれらを全力で殺そうとしたし、ツバキはそれをみんな返り討ちにしちまった」

「……そんなの、拙の実力ではないのだ……」


 東の大陸で、武芸者の頂点を極めた頃のツバキだったら。

 あの男と出会って、女騎士学園の分校に入学する前のツバキだったら。

 天帝の計算通り、ツバキはとっくに力尽きていたに違いない。


 けれどツバキはこの大陸で、偶然出会った青年にボコボコにやっつけられて。

 その男に、愛刀を解呪してもらって。

 しかも女騎士学園の分校に入学して、マッサージの真髄を見せてもらって──

 そうして以前よりずっと強くなったツバキは。

 天帝の「この程度なら勝てるだろう」という計算を、見事に越えてみせたのだ。


 そして全てのきっかけになったのは、たった一人の青年で。


「……あの男に出会ってなければ、拙は今ごろ、とっくに……」

「昔話をしてる場合じゃないぞ。なんにせよ、ツバキはアホ兄の武力を撥ね除けたんだ。もう説得は不可能、なら結末は一つしかない」

「分かってるのだ」


 ツバキも天帝の性格は知っている。

 嫉妬深いところや唯我独尊なところはあるけれど、それでも総大将としての矜恃などはきっちり持ち合わせている男だ。

 そうでなくては、単細胞な武芸者どもが頭領などと認めるはずもない。


「天帝の首級クビを獲るのだ」

「……いちおう切腹を勧めてからな……?」


 東の大陸では、首級を討ち取られるよりも自ら切腹する方が、名誉ある死に方とされる。

 まあツバキとしてはどちらでもいい。


「行くのだ」


 ツバキが呟いて、一番大きい軍船へと小舟の進路を取った。

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