第187話 交わした約束(ツバキ視点)

 ツバキは、斬り捨てたばかりの若侍を小舟の外に蹴り出した。

 息つく暇もなく降り注ぐ矢の雨を、小刀で一つ残らず斬って弾く。

 斃しても斃しても、新しい武士が小舟に飛び乗って、ツバキ目がけて突き進んでくる。


 斬り捨てた人数は二百を超えたあたりで数えるのを止めた。

 血の混じった唾を吐き捨てながら、足下に強引に押さえつけたままの間者に声を掛けた。


「まだ生きてるのだ?」

「ツバキがアホすぎるせいで、今にも死にそうなんだが!?」

「それはすまなかったのだ。けれど、拙らがここまで嫌われてるなんて、いくらなんでも想定外だったのだ」

「おれは想定内だったよ!」


 今さらそんなこと言われても、とツバキは息を吐く。


 ****


 ──今回の件に関して、臆することなど何もないと信じるツバキは。

 つい半日近く前、港のど真ん中で「たのーもー」と大声を上げたのだった。

 そして自分が武芸者のツバキであり、天帝の実弟である間者も一緒であること。

 この大陸を侵略しようとするのは、即刻中止すべきということ。

 その話し合いをするために、天帝に合わせてほしいと大音声で叫んだ。


 そうしたら、やがて小舟がやって来て。

 その小舟に乗り沖合まで来たところで旗艦の甲板に天帝が出てきて、二人が間違いなく本人であると確認した次の瞬間。

 小舟に乗り合わせていた武士十人が、一斉に襲いかかってきたのだった。

 もちろんそれは、ツバキの敵ではなかったけれど──


 ****


 その後、別の小舟で乗り込んでくる武士を斬り捨てたり、降り注ぐ矢を斬り捨ててはや数時間というのが現在の状況である。


「このままだとジリ貧なのだ……」


 小刀一本しか持っていない自分が恨めしい。しかも小刀はもうボロボロに刃毀れして、とっくに斬れなくなっていた。

 いつものツバキなら──愛刀のムラマサ・ブレードならば、まだいくらでも斬れたはず。

 それほどの名刀にして妖刀なのだ。

 だがあの妖刀は、いまやあの男の持ち物だった。


 東の大陸で無敵だった自分を初めて倒した、謎の青年。

 本人から、妖刀を置いていけと言われたわけじゃない。

 けれど。


(妖刀を持っていったまま死んだら、拙は裏切ったことになるのだ……)


 あの男に借りを作ることだけは。

 あの男との契約を反故にすることだけは、ツバキにはどうしても我慢ができなかった。なぜならば。


 その男は、ツバキが認めた初めてのライバルだから。

 自分の横に並び立ちうる、唯一の男性だから。


 もちろんツバキだって、今はあの男より自分の方が弱いことは認めている。

 でも、だからこそ。

 あの男と対等な存在でいるために。

 ツバキは妖刀を、死地に連れて行くことができなかった──


 ****


 斬れない小刀で横殴りにして、また一人海へ突き落とす。

 そろそろ限界なのだ……などと口には出さず焦るツバキの足下で、くつくつと笑い声が聞こえた。足下に伏せさせていた間者だ。

 ついに死の恐怖でおかしくなったかと思っていると、


「まあでもさ、おれは安心してたんだよ」

「なにがなのだ?」

「ツバキが最近、生きるのが楽しそうでさ」

「はぁ!? 何言ってるのだ!?」


 コイツも海に蹴り落としてやろうか、と足を振り上げると慌てたように、


「違う違う! 良く聞けって」

「……」

「だってさ、昔のツバキっていつ死んでもいいって感じだったろ」

「……なに言ってるのだ。武士として常に死を覚悟するのは当然なのだ」

「死を覚悟するのと、いつ死んでもいいは別だろ」

「……」

「ツバキはいつもつまんなそうに人を斬ってさ、それで自分が最強で当然ってツラしてるいけ好かないクソガキでさ」

「クソガキじゃないのだ!?」

「なのに、こっちに来てコテンパンにやられてから後は、随分と楽しそうじゃないかよ。今日も負けたのだー悔しいのだーって言いながら、ニコニコ顔で愚痴りまくってきてさ。なんだツバキもちゃんと青春できてるんだーって、オジサン密かに感動してたんだよ」

「……そんなこと……アイツは関係ないのだ……」

「まあそんなことどうでもいいんだが」

「ズコー!?」


 思いっきり足を滑らせた。本気で死ぬかと思った。

 もし生き延びられたら絶対折檻する、と睨みつけるツバキに間者が笑顔で、


「だから今は、ツバキの思うがままにやってみろ!」

「そんなもの……とっくにやってるのだ……!」

「本当か? 遠慮してないか? 心残りは全部やっとけ? このままだとどうせおれたち二人とも死ぬからな!」

「心残り……」


 あの男に勝つ前に死ぬのだけが心残りだと、ツバキは思った。

 愛刀を持ってくればよかったかも、と思い返してすぐに否定する。

 それならそれで、天帝は別の卑怯な手でツバキたちを亡き者にしていただろう。

 だから最後に、あの男に愛刀を渡しておいたのは正解だった──


「──思い出したのだ」


 死の間際だからだろうか。片隅に押し込めていた記憶が鮮明によみがえる。

 あの男と、最後に話したときのこと。

 一つだけ交わした約束。

 あの男はツバキに、もしも助けが欲しくなったのなら、いつでもどこでも構わないから自分に助けを求めろと言っていた。


 ──この場所に、あの男がいるなんてあり得ないけれど。

 でもだからこそ自分の格好悪い、ボロボロの姿を見られなくて済む。

 だからツバキは、思いっきり叫んだ。


「左遷草むしり男──ッッ! 拙を、助けて欲しいのだ──ッッッ!!」





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お読みいただいております読者様のお陰様をもちまして、

2月28日にコミカライズ1巻、

3月19日に文庫5巻が発売されることとなりました!

よろしければ是非是非、お手に取っていただけますと幸いでございます……!

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