第183話 そんな自称民間人はこの大陸に一人しかいない(トーコ視点)
深夜、領都の外れにある酒場。
閉店した酒場の扉を、身を隠すように歩いてきた男女二人組が叩く。
歓楽街の裏通りを歩くには、いささかおかしな取り合わせの二人組といえた。
なにしろ親子ほどの差があるのだ。
男はどことなく偉そうな雰囲気があり、若い女は冗談みたいに胸元が盛り上がっていて、ともに外套で顔を隠していた。
その隠れた素顔を、もし見るべき人間が見たなら、なぜこんな場所に二人がいるのかと絶句するだろう。
その男はドロッセルマイエル王国の重鎮、サクラギ公爵。
そして女はドロッセルマイエル王国の頂点、トーコ女王。
扉の向こうから合い言葉を聞かれて、トーコがよどみなく答える。
「のばら」
「……どうぞ」
開いた扉の隙間に身を滑らせ中に入ると、そこにいたのは東の異大陸によくいる風貌の、この大陸では珍しい顔の男。
表の顔は辺境の酒場のバーテンダー、裏の顔は東の大陸の間者にして、大陸を統一した天帝の実弟にあたる男だった。
「ようこそ。こんな場末の酒場までわざわざ」
間者が二人にワイングラスを渡すと、公爵が面白くもなさそうに受け取って。
「ふん、そうでもない。ついでに懸案も処理できたしな」
「懸案ですか?」
「あの男の手ごねハンバーグを、ひさびさに喰らったわ」
「それは……?」
間者はしばらく首を捻っていたが、それ以上の説明は無さそうだと理解すると、改めて二人に向かって深々と会釈した。
「手紙は何度かやり取りしましたが、お目に掛かるのは初めてですね。なにはともあれ、今回は愚兄が大変なご迷惑を」
「まあねー」
トーコが受け取った手紙によれば間者はもともと表舞台から引っ込んで、辺境住まいのバーテンのまま暮らそうとしていた。
兄と対立した結果島流しに遭ったものの、恨む気持ちはそこまで無かったという。
けれど、オリハルコンが発見されたという噂が立ってから事態が急転する。
間者は現状一般人なうえスパイとしては三流なので、その噂が本当かどうかは知らない。
けれど、そんな間者にも同郷人を通じて伝わってくる情報がある。
「アホ兄も、この大陸に戦争を仕掛けるなんてアホなことを……」
「まあボクたちとしてみれば、本気でそうなんだけどねー」
トーコが苦笑して言葉を返す。
もちろんトーコとて、目の前の間者が天帝の実弟だとあっさり信じたわけではない。
最初に手紙を受け取ってから、トーコはあらゆる方法で情報の真偽を確認した。
そして、異大陸人への聞き込みや文献調査は当然もちろんのこと、身分の証明として同封されていた指輪も徹底的に解析した結果、まずホンモノと断じて間違いないだろうと確信したのだった。
そして同時に、実弟はこの大陸に暮らしておりこちらの事情に詳しく、穏健派であり、東の大陸にいまだに大勢のシンパがいる。
なので天帝を排除した際の後継権力者として、最有力の候補者と見なされており。
だからこそトーコとサクラギ公爵が、お忍びで直接会談に訪れたのだった。
「まああなたも大変だったみたいねー。兄弟で権力争いなんてのは、よくある話だけどさ。ボクだってバカ兄に命を狙われたし」
「逆に今はのんびり暮らしてますけどね。……アホ兄のせいでこうして出しゃばるハメになっちゃいましたが」
「世の中そんなもんよ。むしろこうなった以上、ジャンジャンバリバリ働いて貰うから。そこんとこよろしくね!」
「善処しますよ……まだ大陸の連中が憶えているかは疑問ですがね」
「まあそこは期待しておくから」
何気なく答えるトーコだが、その辺は一番念入りに確かめたところだ。
サクラギ公爵がこほんと咳払いをして、
「二人とも。無駄話をしている暇はないだろう?」
「そうだね。朝にはスズハ兄のところに戻ってなくちゃ」
大陸の地図をテーブルに広げ、三人で討議を始める。
異大陸の大艦隊が目指すだろう停泊ポイントはどこか。
兵力はどれくらいで、食料はどれくらい持つか。
軍船の調べうる限りのスペックと攻撃力について。
それらはトーコたちでもある程度の調べはついているが、それでも異大陸の軍事作戦を身をもって知っている間者と討議することで、より精度が高まっていく。
そして。
オリハルコンを手に入れるために、どのような手段を講じうるか。
「──アホ兄としては、自分が指揮する軍隊でオリハルコンを見事奪い取ったという形が最上のストーリーでしょうね」
「自ら先陣に立つスタイルってこと?」
「そうでなければ東の大陸の武芸者は、自分たちの頭領と認めないのですよ」
「……それにしたって、わざわざ異大陸まで来ることはないと思うけどねー?」
「あのアホ兄は、剣豪ツバキに武勇を任せたという陰口を払拭したいでしょうから」
それから間者の語ったところによると。
東の大陸を統一する戦争では、常にツバキいう名の天才爆乳美少女武芸者が先陣にいて、まるで鬼神のように敵を薙ぎ倒しまくっていたという。
天帝も一流の武士ではあるのだが、なにしろツバキは東の大陸に並ぶものなき大天才で、しかも曰く付きの妖刀まで使いこなす始末。比較相手が悪すぎる。
──なので大陸統一が進むにつれて、天帝のツバキに対する態度はだんだんと悪くなった。間違いなく嫉妬であろう。
ツバキが基本的に、戦い以外に興味を持たないことも拍車をかけた。
そして東の大陸が統一されてまもなく、ツバキは異大陸の調査を命じられた。
それは傍目には、
「なので兄は、かなり無茶をしてでも先頭で乗り込んで来ますよ。そして自分の武勇を、内外に喧伝しようとするかと」
「そういうことかー……」
トーコの得た情報には天帝自ら出陣したというのもあって、さすがに誤報じゃないかと疑っていたのだが。
その話を聞くと、どうやら本当みたいだ。
「で、実弟であるところのあなたはどうしてボクたちに付くことにしたの? 見たところ権力を奪いたいとか、自分の権力を取り戻したいってタイプでもなさそうだし? そりゃ穏健派ってのは分かるけどさ」
スズハの兄を直接知る自分たちなら、どちらが勝つかは明白。
でも少なくともスズハの兄がいなければ、地の利を加味しても勝敗はかなり微妙だろう。
情報によると、それくらいにはきちんと戦力を整えている。
ていうかこの男の立場なら、ぶっちゃけ放っておけばいいと思う。
そんなトーコの率直すぎる疑問に、間者が思わず苦笑して。
「これでも郷土愛はありますからね。いくらアホ兄やその軍隊とはいっても、ボコボコにやっつけられるのは後味が悪いので」
「ふうん?」
「それに、それでも止められずに戦争になった時のことを考えたなら、事前にそちら側に話を通しておいた方がいいでしょう」
トーコが頷く。
停戦時に最初から和平を主張していた人間が橋渡しをする、というのはよくある話だ。内応したとかならともかく。
それに、ボコボコにされるのを見たくないというのも本心だろう。
そのために自分の利益にもならない表舞台に立つのは、なるほどお人好しの類いに違いない。
政争には負けるが他人には好かれるタイプだ。
そしてトーコには、もう一つ確認したいことがあった。
「でもさ、東の大陸軍が戦争に勝てるかも知れないじゃない?」
──ここまでで、東の異大陸に流れる情報が
まず前提として、スズハの兄の情報が正確に伝わっていれば、戦争なぞ絶対にしない。つまり伝わってない。
けれどオリハルコンや、スズハの兄が美化された冒険譚などは伝わっているようだ。
ならば情報源の一つであるはずのこの間者は、なにをどこまで知っているのか?
トーコが直接会って話したかった理由の一つは、まさにその点にあった。
けれど間者は、そんなトーコの裏の意図など知らない顔で首を横に振る。
「いや、勝てないでしょう」
「どうしてそう思うの」
「理由はたった一つですよ。──この大陸にはとんでもなく強すぎる人間が、それはもうゴロゴロしていることを知っているから」
「ふうん?」
「さっき言ってた剣豪のツバキですが、今はこの大陸にいるんですよ。向こうの大陸では敵無しだったツバキなんですが、こっちの大陸ではあっさり負けちゃいましてね。しかもどこにでもいる民間人相手に」
「へえ。どんな相手だったの?」
「ツバキの話を聞く限りだと、見た目とっぽい兄さんって感じの好青年なんですけどね。でもツバキに言わせれば、自分よりも遙かに強いんだとか。その兄さんを倒すことこそが、今の自分の目標だって息巻いてましたよ」
「へー」
なるほど、スズハ兄のことは噂レベル以上のことは知らないらしい。
そして、そんなスズハの兄みたいな男が他にもいるんだねー、なんて感心していると。
「なんでも普段は、女騎士学園の分校で草むしりしてるんだとか」
「……え?」
「詳しくは聞いてないんですが、どうやら左遷させられたようで。最初にボコられた時はお城で書類仕事してたって言ってましたね」
「ふ、ふーん……?」
「あと最近だと庶民学の野外学習で、魔獣を一撃で倒してきたとか」
「……あっそう……」
間違いない。
そんな自称民間人はこの大陸に一人しかいない。絶対に。
「ちなみに、その人の名前とか聞いてる……?」
「ツバキからは左遷草むしり男としか……でもいい人だし話を聞く限り相当優秀なんで、機会があったら登用するのもいいと思いますよ」
うん、知ってる。
むしろとっくに登用してるんだ、この土地の辺境伯に。
さっきから横でサクラギ公爵が仏頂面のまま聞いてるけど、あれは内心で爆笑してると長い付き合いのトーコには分かった。
だって両肩が分かりやすく上下してるし。
「……どうかされましたか……?」
「い、いやっ! なんでもないから! 有用な情報ありがとね!」
まさかその左遷草むしり男こそが異大陸で噂の
間者には不思議そうな顔をされたが、それもつかの間。
「なのでまあ、とりあえずは自分が説得するつもりです。まあそれがダメなら、アホ兄は間違いなく惨敗するでしょう。途中で引くとか一切できないタイプですから。言うなれば勝利か切腹かみたいなタイプです」
「どの国もアホなトップってそうだよね……」
「時流に合えば強いんですけどね。なのでその時は、自分がなんとか立て直すつもりです。もちろんアホ兄に殺されていなければですが」
詰まるところ、敗戦した後は逃げたりせず迷惑も掛けたりしないから、それ相応に手心を入れろという打診である。
こういう話が早い相手は、トーコとしても嫌いじゃない。
「りょーかい。じゃあその方向で」
「はい。……繰り返しになって申し訳ないんですが、くれぐれも
「それはもう伝えたけどさ。随分こだわるじゃない?」
「あれでも兄ですから。最後にして唯一の敗北は、異大陸の『伝説』にこそ刻んでほしい。それにその方が、大陸の連中も敗北を受け入れやすいでしょうし」
「なるほどね」
どうやら自分と違って、兄弟仲はそれなりに良好だったらしい。
少なくとも途中までは。
それからトーコたちは細かい部分の確認を、明け方まで続けた。
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