第174話 この国の庶民に勝てるわけがない(トーコ視点)
深夜のサクラギ公爵邸。
トーコが机上の資料を並べながら、サクラギ公爵と長い議論をしていた。
その内容は──東の大陸国家は、こちらに攻め込んでくるか否か。
そしてそろそろ、その結論も出る頃合いとなっていた。
「……やっぱり、攻め込んでくる可能性が濃厚だよね……?」
「お前の持ってきた情報が正しければ、そうなるだろうな」
異大陸と国交のある国は無い。それは事実だ。
しかし民間レベルでは僅かながら探検家や商人、それに酔狂な旅行者の往来があった。
いつの時代も変わり者、もしくは命を粗末にする若者はいるものだ。
なにしろ彼らの大部分は、大海原で魔獣に襲われたら全力で船を漕いで逃げるという、無理無茶無謀の詰め合わせ三点セットなのだから。
普段なら、そんな連中のことは気にしない。
異大陸の重要度が低すぎるうえ、分析しても結局分からないことが多いのだ。
しかし今回は違った。
東の大陸を往来する人間の流れに、ハッキリとした特徴が出ている。
「ったく、どこのバカよ……オリハルコンを売りやがったのは……」
トーコがこめかみを揉みながらぼやくと、
「小規模国家ならば、かけらほどのオリハルコンで数年分の歳入に匹敵するだろうからな。まああの男の土産を売り飛ばすなど、よほど剛毅でもなければできんだろうが」
「スズハ兄本人は気にしなさそうなのがなおさらよね……そりゃボクだって、
スズハの兄がウエンタス公国との調印式で配った、オリハルコンの欠片。
実際には武器や防具を作れる大きさでもなし、伝説の金属という以上の価値など無く、だから配っても問題など生じない……はずだった。
まさか、異大陸に売り払おうとは。
「いや、その可能性も考えたけどさ……でもいつの間にか統一国家樹立されてましたとか、あの時点で分かるわけないじゃん……!」
「それはそうだな」
政治において、あらゆる可能性を考えることは不可能だ。
だから思考をある程度で見切って決断しなければならない。
そしてあの時、異大陸の動向にまで思考を張り巡らせるのは不可能だろうというのが、二人の共通認識である。
「ではその点を踏まえて、今後どうするつもりだ?」
「うーん、基本的には様子見だよねえ……正直まだこっちの早とちりの可能性もあるし。動向がおかしいのも、もし異大陸で政変があったとかならボクたちには分からないしね。それと並行して情報収集の続行かな」
「そんなところだろう」
「ワンチャン、スズハ兄に見に行ってもらうってのも考えたけど……」
「異大陸は遠すぎる。それにあの男がいない間に、我が国が攻められる可能性は高い」
「だよねー」
それほどまでに上質なミスリル、そしてオリハルコン鉱脈の価値は絶大なのだ。
いずれにせよ、今はアンテナを張って待つしかない。
なので公爵は、もう一つの懸念事項に意識を切り替える。
「女騎士学園の方はどうなっている」
「んー……公爵も知ってるでしょ、バカどものネガキャン」
「まあな」
辺境伯領の女騎士学園分校については、使われなくなっていた修道院を再利用したうえ優秀な職人を集中的にかき集めたため、僅か一ヶ月で開校にこぎ着けられた。
女騎士学園の旧軍体制派が気づいたときには、全てが終わっていた状態である。
なので文句を言う暇さえ与えなかった。
なのに
その内容も稚拙なもので。
庶民に軍事が分かるはずないとか、庶民にまともな教育はできないとか。
トーコがふんと鼻を鳴らして、
「まともな人間から白い目で見られてるのが分からないのかなー?」
「今の軍最高幹部は、みなあの男に心酔しているからな」
「ボクの近衛なんかガチでそれだからね。騎士団総長が目を血走らせながら、毎回ボクに『処します? 処します?』って聞いてくるの、軽くホラーなんだよ!」
「処せばいいだろう」
「処すって一体どうするつもりさ!?」
とはいえトーコとしても、どれだけ処してやろうと思ったか分からない。
けれど、トーコがぐっと我慢した理由がある。それは。
「……王都の女騎士学園に、あんまりまともな人材入れたくないんだよね……」
そこだけ聞けば酷い話だが、サクラギ公爵は真意を理解していた。
「遷都か」
「そう。将来的に、女騎士学園は今の分校だけにしたいから。ここで王都の女騎士学園を正常化しちゃうと、スズハ兄なら絶対遠慮しちゃうもん」
「今いる生徒に恨まれないか?」
「そこはさすがに、全面的にフォローしといたからさ。あとは軍部の問題」
「そうか」
「言っとくけど、すっごい大変だったんだから!」
そう、大変だったのだ。
学習意欲のある生徒を纏め、男の騎士学校に話を付けて間借りしたりウエンタス公国に交換留学生として送り出したりして、そのうち成績トップ層の一部生徒は、スズハの兄の女騎士学園分校を受験させたりした。
そして見事に、その全員がココロ折られてしまった。
シクシク泣きながら実家に帰る、修道院に入ると言いだす優等生たちを引き留めるのに、トーコがどれだけ苦労したことか。
……後からウエンタス公国の交換留学生は、わざと遅れて試験日に到着させなかったと聞いたとき、自分もそうすればよかったと本気で後悔した。
「それにさ。なーんかあいつら、不穏な動きがあるのよね……」
その後、軍旧主流派がどれだけバカか盛り上がって。
その日はお開きになったのだった。
****
翌日、トーコがいつものように政務に励んでいると。
「女王閣下、東の異大陸からこのような書状が」
「えっ……?」
大臣に渡された手紙を眺めてみると、異大陸の大陸統一国家天帝の実弟が送った書状で。
現在こちらの大陸に滞在している天帝の実弟が、こちらの大陸を賞賛するとともに天帝が軍事侵攻する恐れがあると警告する内容だった。
トーコとしても、天帝に追放された実弟がいることは掴んでいた情報で。
その実弟がこの大陸に追放され、今は辺境伯領に住んでいること。
実弟に名目上、まだ権力が残っていること。
それは肩書きまで引き剥がすことに対して抵抗が強い、つまり存在感が消えていない証拠である。
そして実弟こそ国のトップに相応しいとする勢力が、今でも異大陸に残っていることも、トーコがその存在を憶えていた理由だった。
ぶっちゃけ、東の異大陸のトップをすげ替えるならコイツだと目していた人材である。
もしくは重鎮に寝返りを仕掛ける役とか。
だからトーコは、興味深く書状を読んでいたのだが。
「……なによこれ……?」
読む進むにつれ、トーコの困惑が色濃くなっていく。
書状の後半部分は、もしも天帝が実際に侵攻してきたその時は、自分が命を懸けてでも食い止めたいというもので。
まあそこまではいいとしよう。
問題は『この国の庶民に勝てるわけがない』と書かれた先で。
この国の庶民は頑強で大変素晴らしい、などと激賞されているのはともかくとしても、庶民が魔獣討伐も簡単にこなす──という文言が続けば。
その内容が示す庶民は、たった一人に絞られるのだった。
「スズハ兄ってば、とうとう異大陸にまで手を伸ばしちゃったの──!?」
そんな、本人が聞けば心外だと否定するに違いない言葉が。
王宮の執務室に、思い切り響き渡ったのだった。
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